雲のむこうはいつも青空

まったりもったり~自閉症息子のいる暮らし@ちびくまママ

気分はロシアンルーレット?

2007年12月29日 | 時には泣きたいこともある。
CIDPになってからというもの、朝目が覚めてまずすることは
自分の身体感覚を探って、手に力が入るかどうか、
脚に力が入るかどうかを試してみることでした。
しゃがんでみて、きちんと立ち上がれるかどうか、
毎朝どきどきしながら試してみていました。

でも、ここのところ、目が覚めてまずすることは
自分の気持ちを探ってみることです。

実は、もともと抑鬱状態と言っていい状態だったところへ、
クリスマス直前に、精神的に大打撃を受けるような出来事が
起こってしまいました。
私が入院中に思いつき、元気になったらきっと実現させようと
ここ1年ほど暖めてきたある計画が、実現にあと一歩というところまで
来た段階で、全てパーになってしまったのです。

少し落ち着いてきたかな、という私の状態がまたどん底へ
転がり落ちるのは簡単でした。
自分では何とかポジティブに考えよう、何とか前向きになろうと
いう気持ちもあって、ずっともがいているのに、
朝起きてまず頭に浮かぶのが「ああ、今日も生きて目が覚めちゃった」
「寝ている間に死ねたら楽だったのに」という気持ちの日が
かなり多いので、毎朝、今日はどうだろう、とドキドキします。
自分自身の気持ちのはずなのに、自分では「辛い気持ちになりたくない」と
願っているのに、CIDPで神経がやられるのと同様、
自分ではどうしようもない。
「気の持ちよう」だけではないのだと気がつかされるところです。
この間は「山の中で睡眠薬を飲んで凍死」という記事を読んで
「ああ、うらやましいなあ」と思ってしまった自分に
正直びっくりしました。

夜はいくぶん楽な気持ちで布団に入ったはずなのに、朝はいきなり
どん底になっていることもあるし、
崖っぷちのような気持ちで眠ったのに、朝は案外すっきりと
軽い気持ちで目覚めたりして、かと思うとあれよあれよという間に
絶望的になったり
一貫性がないというか、自分でも予測がつかないというあたりが
まるでロシアンルーレット。

どう頑張っても浮上できない暗い気持ちのときは
なぜか喉に何かが引っかかっているような違和感や
背中や肩ががちがちに凝って痛みがあるのに
気持ちが楽になるときは、同時にすうっとそうした
体の苦痛も引いていくので

やはり体と心はつながっているのだなあ、としみじみ感じます。

"I am OK."と思えない不安、自分の体や心が自分でコントロールできない不安、
自分では一生懸命頑張っているのに、失敗ばかりが続く挫折感、
わかっていたつもりでも、自分が実際に体験するまで
本当の意味ではわかっていなかったのだなあ、と
思うことも沢山あります。

息子が自閉だとわかったときに「これで未来も希望もなくなった」と
思ったけれど、後には「あの時早まらなくてよかった」と笑えたように
今の辛い気持ちも、いつか笑い話になる日がくる、と
そのことだけを自分に言い聞かせながら、ぎりぎりのところで
踏ん張っています。

息子は私が辛そうにしていると、すいっと寄ってきて
「おかあさん、すきだよ」と言ってくれたり、
背中をさすってくれることが増えました。
自閉っ子には人の気持ちがわからないなんて、
いったい誰が言ったのだろうと思います。

生きてます。

2007年12月26日 | 時には泣きたいこともある。
皆さん、暖かいコメント、ご心配、メール、ありがとうございます。
まだまだ不安定ですが、生きております。
今朝は久しぶりに、「寝ている間に死にたかった」と思わずに
目が覚めました。
数日振りに洗濯物を干しながら、朝日ってこんなに
すがすがしいものなんだな、と思いました。

弱った心には、たった一行のメールでも、どんなに
染み入るかということを、
自分のことを心配してくれている人がいることに
どれほど支えられるかということを
改めて感じています。

息子に思わず叫んでしまって初めて、
「私はいっぱいいっぱい」だったんだ、と気付きました。
ちょっとここらで一休み。
もう年賀状も、大掃除も気にしないことに決めました。
店だって、今は元日から開いていますものね。

個人懇談やら、通知票やら、楽しいこともあったのですが
それはまたそのうちさかのぼって書くことにします。

息子はとっても元気です。

爆発の余波

2007年12月20日 | adorably autistic
昨夜の私の大爆発にすっかり怯えたらしい息子ですが、
でもそれは「自分がお母さんを怒らせたのだ」と
思っていたようで、

今日は翌日は笑ってしまうほど「良い子」になっていました。
いつもなら帰宅後も制服を脱ぎっぱなして放っておいて、
夜寝る頃になって慌てて片付けたりしているのを、
帰宅するなりきちんとハンガーにかけて、
「お母さん、ほら、ちゃんとお片づけできたよ~」と見せに来たり、

「あっ、宿題、ちゃんとやろうっと~」とわざわざ口に出して
アピールしたり。

家であったことが学校でのパフォーマンスになにか影響を与えるかも
しれないので、障担のK先生には連絡帳で包み隠さず白状したのですが
先生からは
「おかあさんでもそんなことがあるんだと、親近感を感じました。
 そういうことを伝えていただけて、嬉しかったです」
「日頃の信頼関係がしっかりしているので、1度や2度のことでは
 びくともしませんよね。親子の絆を感じます」
と暖かい返事をもらい、ちょっと気持ちが楽になりました。

でもやっぱり「ちょっと抱っこしてください」と寄ってきた息子には
「お母さん、きのうはほんとうにこわかったねえ」と
言われてしまったのでした。



爆発

2007年12月19日 | 時には泣きたいこともある。
最初のパニック発作(?)への恐怖感(「またあのような状態に
陥るのではないか」という強い不安感・「予期不安」と呼ぶのだそうです)が
ようやく少し落ち着いてきたと思ったら、
今日はまたささいなきっかけで感情が爆発してしまいました。

息子は毎日学校で体力づくりや、体の操作の訓練のため、
ランニングやサーキットトレーニングをしているので、
体操服を毎日洗濯する必要があるのですが、
この季節、なかなか乾かないので、日没後は
リビングに室内干ししてあります。

ところが、息子がその下をくぐろうとして引っ掛けて、
体操服をハンガーごとファンヒーターの上に
落としてしまったのです。
幸い、ファンヒーターでしたし、すぐに拾いあげたので
何事もなかったのですが、
「ちびくまくん、洗濯物の下を走らないようにしましょうね。
 ストーブの上にお洋服が落ちたら、火事になっちゃうよ」
と注意しました。

ところが、こんなちょっとした注意でもたちまち「世界の終わり」に
なるのがうちの息子。
さっと顔色が変わったかと思うと、すぐに布団にもぐって
さめざめと泣き出しました。大声を出したり、くどくど責めたなら
ともかく、この程度のことでも彼には
「なぜ叱られたのか」より「お母さんに叱られた」ことそのもののほうが
大問題になってしまうのです。

やれやれ・・・と思いながら、息子が布団から顔を出すのを待って
こちらへ呼び寄せ、膝枕をして寝かせました。
ところが、完全にパニックモードになっているちびくま、
「もう火事になっちゃう!」
「もうストーブは捨てたほうがいい!」
「もう絶対体操服は着ないほうがいい!」
と思いつく限りの「否定的なこと」を言い始め、
自分でその言葉にさらに興奮して、大泣きしながら、
「ねえ、お母さん、もうストーブは捨てちゃう!」
「もう僕は学校は絶対行かない!体操服なんか捨てちゃう!」
と言い募り始めたのです。

こちらが落ち着いているときでもこれをやられるとさすがに
イラッとくるのですが、このところずっと不安定だった
私の精神状態のほうが、つられて切れてしまいました。

「火事になったら危ないのは、ちびくまくんにだって
 わかるでしょう?そんなに言うなら、もう体操服は
 着なくてよろしい!学校も行かないんだったら
 行かなくていい!」
私の剣幕に驚いて、息子は私にしがみついて泣こうとします。
その手を振りほどいて、
「もういいかげんにしてよ!お母さんだっていっぱいいっぱいなんだから!」
と叫ぶと、さっきまで息子がもぐっていた布団をかぶって
その中に逃げ込みました。
堰を切ったように、涙と激情があふれ出て、そのまま
大声で泣きわめいてしまいました。

しばらく泣いて、ふと我に返ると、
息子がおいおい泣きながら、なんとか私の上の
布団を剥ぎ取ろうとしているところでした。
「おかあさん、ごめんなさい~、ごめんなさい~」

息子に対して声を荒げることなど年に1、2度あるかないかの私が
大声を上げ、泣き叫ぶ姿に、すっかり怯え、パニックになった
息子を見て、こちらの興奮がすっと引きました。
「ごめん」と言って抱きしめると、息子はまた
「ごめんなさい~」と言っておいおい泣きました。

今度は親子でレスキューレメディを落としたお茶を飲み、
しばらくすると2人とも落ち着いてきました。

でも、私はまだ誰かに受け止めてもらいたくて、ネット友だちに
事の次第を伝えました。
「眠れなかったら、電話してきて。起きているから」
すぐに送られてきたその短いメールに、私はどれだけ癒されたことでしょう。

こんな自分を受け止めてくれる人がいる。
頼ってきていいよ、と言ってくれる人がいる。
「人と繋がっている」という実感がどれほど力を与えて
くれるものかを、改めて感じました。

友人のその言葉をお守りに、その日もいつもと同じように
息子と枕を並べました。
明かりを消した部屋の中で、息子はいつもの入眠儀式で私の顔を
触りながら、しみじみとこうつぶやいたのでした。
「おかあさん、今日はこわかったねえ」

Hug & Kiss

2007年12月16日 | adorably autistic
長らく更新できなかったため、ご心配をおかけしたことと
思います。
まだ気分の落ち込み、無力感、不安感は続いていますが、
こうして再びPCを開くことができました。

一番症状がひどかったのは、10日から11日にかけてでした。
10日は7週間ぶりの診察日で、3度目の入院からちょうど
1年が経ったこともあり、血液検査や尿検査、骨密度検査に
レントゲン、と検査漬けになってきました。
それでも、徒手筋力検査では手足とも正常域に戻り、
「もう日常生活はほとんど不自由がないでしょう?」と
主治医に言われるまでになりました。

筋のぴくつきやしびれ感、疲れやすさなどはこの病気である以上
ある程度は仕方のないことで(そこが「慢性」であるゆえん)
とりあえずは症状はいい具合に落ち着いていると思われるので、
もう少しステロイドを減らして、様子を見てみましょう、ということに
なったのです。

ところが、その帰り道から、段々不安が強くなり、帰りに寄った
スーパーではもう商品を見て買い物することさえできず、
早々に自宅に帰ってきました。

ところがもう着替える気力も、自分の昼食を用意する気力も
ありません。TVをつけても、ラジオをつけてみても、
まったく何をやっているのかわかりません。
とりあえずそのまま布団にもぐりこんでみたのですが、とにかく
「もうだめだ。自分なんか生きていてもしかたない」
「生きていても、もう絶対に良い事なんかない」
「あれもこれも、きっと最悪の結果になる」
「自分の人生は全てが間違いだった」
と、どんどん自分自身を否定する考えが膨らんで、
押しつぶされそうになってしまいました。

それでも、私のへたれなところが幸いして、
マンションの8階から下を見るととても怖くて飛び降りることなど
できないし、
電車に飛び込む、刃物で・・・ということも
とても怖くてできなかったのでした。

とにかくこれほどのパニック状態、強い恐怖感は、
息子の診断を受けたときにもなかったことで、
自分でも、これは尋常ではないとわかり、
とりあえず何らかの手段を取ろうとしました。

普段から落ち込んだ気分になりやすいため、抗うつ作用があると
言われるセントジョーンズワートのサプリメントはいつも
手元においてあるのですが、これはプレドニンの作用を増強し
副作用の危険を高めるということなので、飲むことができません。
(このあたり、なぜか冷静)

それで、しばらく使うことのなかったレスキューレメディを
飲んでみることにしました。
これはバッチフラワーレメディという欧米ではよく知られた
ホメオパシー(民間療法)の1つで、
海外や日本の一部でも副作用のない補助療法として、
カウンセリングなどと併用されることが多いものとして
息子の診断を受けたばかりの時期に、当時交流のあった方から
教えていただいたものです。

レメディを飲んでしばらくじっと耐えていると、少しだけですが
先ほどの錯乱状態が落ち着いてきました。でも、まだ
何も手につかず、起き上がることもおっくうなほどで、
胸から腹部にかけて、何かずっしりと重いものが
詰まっているように感じられます。

下校時間になり、息子が帰ってきても、私は玄関を開けて
やるのがやっとで、いつものように声をかけてやることもできず、
布団にもぐったまま、ひたすら自分を襲ってくる恐怖感と
戦っていました。

息子にも、母親の状態が尋常でないことはわかったのでしょう。
布団に横たわったままの私にぴったりとくっついて
「おかあさん、しんどい?お熱ある?」と訊いてきましたが、
「うん」と頷くのがやっとでした。

そのうち、これだけは息子に対して言うまい、彼まで不安にさせまい、と
我慢していた言葉を、ついに我慢しきれなくなって
「ちびくまくん、もう、おかあさんいなくなってもいい?」
「おかあさん、しんどくなっちゃった、もう楽になりたいの」と
言ってしまったとき、

息子が私をぎゅっと抱きしめて、額にキスをして言いました。
「だめだよ、おかあさん、いなくならないのがいいよ。
 ぼくはおかあさんがすきだよ。おうちにいてくれるのがいいよ。
 いっしょにねんねしてくれるのがいいよ」
そして頬に、額に、何度もキスをして、また抱きしめてくれたのです。

中学生になっても外での頑張りの分を取り戻すように
「おかあさん、抱っこしてください」と甘えてくる息子が、
いまだに毎晩腕枕をして欲しがる息子が

その日に限っては、私を抱きしめて腕枕をして、
額に額をくっつけて、
「おかあさん、ぼくはおかあさんがすきだよ」
と何度も繰り返してくれたのでした。
涙を流す余裕はもうなかったけれど、私は今までこれほど
誰かから大切にしてもらったことがなかった、そう思いました。
こんなになっても、身も世もなく「助けて」と叫べる相手が
いない私を、この子だけは愛してくれている。

多分息子は「お母さんがいなくなる」という言葉から
再度の入院かと思ったのでしょう。
あの時息子は私が傍にいなくても頑張りぬいてくれたけれど、
やはり彼の心に私の入院が落とした影は小さくないと
感じることがこれまでも何度かありました。
まして私が彼に理解できない理由で二度と帰らなかったら
彼の心はきっと壊れてしまう。

この子のためだけに、これほど私を大事にしてくれる息子のために、
どうしても今ここで死ぬわけにはいかない、そう思いました。

息子が赤ちゃんの頃から、私は毎晩布団に入ってから
息子を抱きしめてこうささやいてきました。
「おかあさんは、ちびくまくんが大好き。
 ちびくまくんは、お母さんの宝物だよ」

子どもを養護幼稚園まで送ってきたアメリカ人のお母さんが
子どもの頬にキスをして"I love you!"と声をかけるのを
真似て始めたhug & kissが今も息子と私の間での挨拶です。

それをただ真似しただけかもしれないけれど、
SOSを出す力もないほど弱りきった私の心に
息子のくれたhug & kissは暗闇のなかの一本のろうそくのように
ぽっと小さな暖かい光をともしてくれたのでした。
鉛を飲み込んだような気持ちのままではありましたが、
その日は息子を抱きしめて、それでも眠りにつくことができました。

あれから1週間、今もまだ気分にはかなりの波があり、
ふさぎこんだ気持ちのままで過ごすこともあるし、
急に不安や焦りがこみあげてくることもあります。
何を見ても聞いても笑うことも泣くこともできないのは
まだまだだという気もしますが、

これまで私がいつも皆さんに繰り返してきたように、
どんなに落ち込んでもいいから、絶対に一線だけは越えないでと
自分自身に言い聞かせながら、少しずつ回復していけたら、と思っています。
ごめんなさい、こんな話は読んで暗い気持ちや不愉快な気持ちになられる方も
いるかもしれませんが、皆さんへの約束のつもりで、ここに
正直に記録しておきます。




見通しの立たない不安

2007年12月03日 | CIDP
ここのところ、不安と焦りと無気力状態で、日がな一日
ぼーっとしていることが増えています。
TVを見ても面白いと思えないし、本を読む気も音楽を聞く気も
しないし、映画なんか見たくもないし、

でも息子の連絡帳を見るのだけは楽しみだし、
息子のために体操服を毎日洗濯するとか
ごはんを作る、とかのためにだけは動けるのです。
息子がいなかったらとっくに孤独死しているかも・・・。

理由のひとつは、ステロイドの量が順調に減ってきて
そろそろ「いつ再燃してもおかしくない、でも運が良ければ
このまま再燃しないかもしれない」という微妙な線に
なってきたことがあるようです。
このあたりが根治療法がない病気独特の難しさかもしれません。

症状が重くて、日常生活も大変なほど身体が満足に動かないときは
却って開き直って静かに養生していられたのに、

なまじ動けるようになってきて、それなのに手足の痺れや
筋肉のぴくつき、異常な疲れやすさなど、病気の火種は
確実に自分の身体の中でくすぶっている、という感覚があり、
明日あさって、来週の自分さえどうなっているという見通しが立たない、
やりたいこと、やらなければならないと思っていることはいろいろあるのに
身体がついていかない、できそうに思えない、
そんな状況が大きなストレスになっているようです。

いえ、実のところ世界中のどんな人にだって、明日の朝
元気でいるという100%の保証があるわけではないのですから
要は大まかなところで「自分は大丈夫」と思っていられるかどうか
「明日朝起きたら立てなくなっているかもしれない」ということを
意識しているかどうかの違いなのでしょう。

自閉っ子たちは五感や時間・空間の感覚が非自閉のそれとは
かなり違うので、いつも不安や驚きでいっぱいなのだ、だから
具体的に怖いもの、嫌なものは取り除いて、スケジュールなどで
見通しを立てて、わかりやすい安心できる生活をさせて
あげることが第一、と
先日行った教育相談の先生がおっしゃっていたのですが

彼らの置かれた混沌とした不安の世界というのは
こんな感じなのかなあ、と思ったりします。
だったらやはり「気の持ちよう」だとか「努力が足りない」と
叱られても、不安や自信のなさがつのるだけで
なんの解決にも事態の改善にもつながらないのは当然だよなあ、と
身をもって実感しているところです。