散歩

2013-04-28 20:56:16 | Weblog
いつもの散歩道。春っぽい景色になってきてはいるが、まだまだ風は冷たい。しかし、周囲の木々も少しずつ色をつけてきている。

弾けても弾かない

2013-04-28 17:02:40 | Weblog
 最近、通勤の車中ででよく聴くのが、パパ・ゼルキン。ベートーベン弾きとしてとして有名な人だが、生涯、全集を完成させなかった。近年、こんなこともできるんだぞと言わんばかりに、ある作曲家の全曲演奏会を敢行するピアニストが増えている中で、彼の考え方は根本的に違っていた。ディスコグラフィーを見てもおや、と思う曲が抜けていたりする。たとえば3番、7番、17番(テンペスト)などがそうである。おそらく彼の手にかかると名演になること間違いないが、なぜか弾いていない。(録音リストから抜けている。)どうしてなのだろう。たとえば、ワルトシュタインも録音したが、彼はリリースを許可していなかったはずだ。今日、我々が聴くことができるのは、ご家族の許可ゆえである。この事実を知ったらひよっとすると天国の彼は激怒したかもしれない。しかし、客観的に判断しても、このワルトシュタインは素晴らしい。来日公演のような熱さはないが、まさしく彼のベートーベンだ。いったいこの演奏のどこが気に入らなかったのか、ご本人に来てみたい気もする。ともあれ、彼のベートーベン。まっすぐで真摯。甘ったるい味付けは皆無。木訥で男性的。ライブの方は、より柔軟で火花が散るようだ。若手ピアニストの安っぽい耽溺とは次元が違う。彼はベートーベンの精神を見ているだけだ。とくに音と音の間の緊迫感がすさまじい。また彼のスケールはかくも音楽的なのかと驚嘆させられる。
 82年の秋、渋谷の街を歩いていたら、パパ・ゼルキンと小澤氏共演のチラシが目に入った。早速、新宿マイ・シティでチケットを求めた。11月3日に東京文化会館で行われた演奏会。曲目はベートベンの皇帝とモーツアルト21番コンチェルトだった。これが彼の最後の日本公演になったと思う。この時、尊敬するゼルキンに近づきたいと思い、若気の至りだが、ステージに自ら歩み寄った。ゼルキンはステージ袖に入ろうとしていたが、私の姿に気がついたのだろう。こちらに近づいて来て、なんと握手をしてくれたのである。それはそれは感激の極みであったが、何よりも驚いたのが彼の手。今まで何人もの世界的ピアニストと握手をしてきたが、彼の手ほど頑丈な手を他に知らない。それはあたかも、大きなサボテンの肉厚な部分を思わせた。自分の小さな手がすっぽりと包まれてしまい、これが同じ人間の手なのかと思った。この手だからあのような素晴らしいブラームスのコンチェルトが弾けるのだと直感した。後日、友人が普門館でのブラームスコンチェルト1番は素晴らしかったという話を聞いた。うらやましかった。とにかくその芸術性の高さ、気高さ、自己に対する厳しい要求などどれをとっても桁外れの歴史に残る名ピアニストだ。