陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

大津波が襲った風景:歳々年々人同じからず

2011-05-18 00:53:40 | Weblog
 東日本大震災が起きて1ヶ月、4月11日の午後、私はTVを見ながら、三陸地方の人々と共に犠牲者への黙祷を捧げた。その後も、居間の椅子に座ったまま、津波に呑み込まれ命を落とした石巻の小学生たちのことを考え続けた。

 一瞬の内に港湾奥深くへ押し寄せる波浪、それが引くと周囲は瓦礫に埋まって荒涼化、無生物の世界に転じてしまう、この激変が大津波のなせる厄災である。それは、生き物にとって恐怖そのものに映る。巨大地震による建物崩壊、それはやはり多数の犠牲者を伴うのだが、大津波が齎(もたら)す苛酷な災害とではかなり様相が異なる。

 30mを越す波の壁、それは高さ10mの巨大な田老・防潮堤を楽々と乗り超えて、民家や公民館、鉄道・道路施設、様々なインフラストラクチュアへは勿論のこと、生きとし生けるもの悉くへ遠慮なく襲い掛かり、それらを破壊し尽して水底へ引き摺り込んで行った。

 経験豊富な80代の老人であろうが、あるいは母親が抱えた乳幼児であろうと津波は遠慮せずに等しく彼等の命を奪う。結婚式を目前にして、幸福感に浸る若い女性、春の出漁準備をしながら大漁を期待していた40代の中堅漁師、卒業式を終えたばかりで4月から首都圏の大学で学問に励む志を持っていた若者達、一人ひとりがそれぞれに異なる夢と希望を持っていた。それらを津波は一瞬の内に呑み込み、叩き潰したのだ。

 自然現象を非情だとか残酷だと文句を言っても始まらぬ。自然が生き物のことを考えて、地面の揺れを加減するとか、津波の高さを控えるなどと言う事は有り無い。自然現象に畏敬の念を持ち、常に恐れを持って森羅万象を見る心構えが大事なのだ。現実生活の中で、自然を擬人化する甘い思考は取り払うべきと思う。

 「地球に思いやりを」、あるいは「環境に優しく」などのスローガンは、人間の思い上がり であることを今回の大震災は改めて教えてくれた。地球の表層、僅か数10kmにおける地殻変動(地球内部のマグマ挙動を反映)がM=9.0の巨大なエネルギーを放出、それに伴って大量の海水が陸土に押し寄せただけなのだが、東日本に住む人たち、数百万人に嘗て経験したことのない甚大な災害を与えたのだ。

 唐代の詩人、劉廷芝(りゅうていし)は、彼の傑作「代悲白頭翁」(白頭を悲しむ翁に代わる)の中で、次のように詠った。以下は、Tadさんのブログ「花と詩と音楽と」からの部分的引用。
http://homepage3.nifty.com/TAD/poems_3/poem_35.htm


今年花落顔色改     今年花落ちて顔色改まり
明年花開復誰在     明年花開いてまた誰かある
巳見松柏摧為薪     巳(すで)に見る松柏くだけて薪となるを
更聞桑田変成海     更に聞く桑田変じて海となるを

古人無復洛城東     古人また洛城の東に無し
今人還対落花風     今人還(かえ)って対す落花の風
年年歳歳花相似     年年歳歳花あい似たり
歳歳年年人不同     歳歳年年人同じからず


 引用した最後の部分のフレーズは、余りにも有名、忘れられない響きを持つ。

 大震災を経験した地域でも、例年と同じく桃や桜は開花し、新緑が美しく輝く場所もあろう。だがそれらを楽しむ人々は大きく様変わりしてしまった。
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