陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

愛唱歌<早春賦>の懐かしさ

2010-03-17 14:10:12 | 読書・映画・音楽
 昨夜から降り積もった雪は、10cm。土表面と枯れ草が露出していた我が家の庭も、再び銀世界へ戻った。春の陽気は、実に気紛れだ。車のトランクから、タイヤ・チェーンや脱出器を下ろし、さてスタッドレス・タイヤも変えようかと思っていたが、暫くはタイヤ交換をお預けにする。

 3月になって地表が現れると、毎年のように<早春賦>を想い出す。研究室の卒業パーティでは、女子学生が透き通った声でこの歌を唄っていたのが懐かしい。

 作詞者の吉丸一昌(1873-1916)は、大分県臼杵の下級武士出身で東京音楽学校(現・東京芸大)教授。歌の作られた舞台は、彼が長野県穂高町・安曇野を訪れた時に着想したと言う。この歌を愛する多数の人達が、臼杵市と穂高町にそれぞれ歌碑を建立し、「吉丸記念コンサート」を催しているようだ。

 北国では、2月も末になれば雪解けを待ち、春を望む心がいやが上にもつのる。そのような気持を<早春賦>は、美しく静かな言葉で語っている。

早春賦(NHK東京放送児童合唱団)



 <早春賦>  (1912)  

作詞:吉丸一昌
作曲:中田 章(作曲家:中田喜直氏の父)

春は名のみの 風の寒さや
谷のうぐいす 歌は思えど
時にあらずと 声もたてず
時にあらずと 声もたてず

氷融け去り 葦はつのぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けばせかるる 胸の思いを
いかにせよと この頃か
いかにせよと この頃


 蛇足ながら、「つのぐむ」は芽が角のように吹き出ること、「あやにく」は、生憎く残念なことにの意。


(参考)

 愛唱歌教育の充実を願う
http://210.165.9.64/charotm/e/49872f25b35c05f66be191f866b21bc0
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