陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

映画「渚にて」が語りかけるもの

2007-07-23 17:36:02 | 読書・映画・音楽
 第3次世界大戦が起こり、大量の核兵器が使われて死の灰に覆われた北半球の人類は死滅する。やがて南半球にも死の灰は押し寄せて、残り5ヶ月となった豪州メルボルン市民の様々な姿・・・。核戦争による人類の破滅と恐怖をテーマにして英国人作家ネヴィル・シュートが “On the Beach” (1957) と題したSF小説を書いた。この原作は1965年、井上勇氏により邦訳され、「渚にて―人類最後の日―」(創元推理文庫)となって刊行された。

 原作は国際的な評判を呼び、ユナイテッド・アーティスト社により1959年に同題名で映画化(モノクロ;135分)された。監督は、問題作のプロデューサーとしても著名なスタンリー・クレイマー(当時46歳)である。私は高校生の頃、ここで紹介する作品を凡そ半世紀前に劇場で見た記憶がある。

 映画の舞台設定は、1964年1月から6月にかけてのメルボルン市とその近郊である。原作では年の明示を避けているが、核戦争が起きて1年後となっている。映画には、核戦争が何故起きたのかの説明が無い。だが、どうやら次のような話が背景にあって、観客は映画鑑賞する内にそれを次第に理解するようになる。

 スエズ紛争が起きていた頃、最初に共産圏のアルバニアからトリノへ核爆撃が行われた。それからカイロ発のソ連製爆撃機がワシントンとロンドンを襲い、核爆弾を投下した。パイロットはエジプト人であった。両首府は壊滅したが、米国軍部は報復的にソ連の大都市へ核爆弾を投下する。

 一方で、ソ連は中共との国境紛争が激化しており、自国への核爆弾投下が切掛けとなって中ソ両国の間でも核兵器(水素爆弾=コバルト爆弾)の応酬があった。こうした因果関係は、原作においてさえも明確に述べられていないのだが、結果的に北半球全体に4700発の核爆弾投下があり、僅か7日間で世界大戦は終結、北半球地上の動物は全て死んだ。北半球で生き残ったのは、一部の米国巡洋艦と2隻の原子力潜水艦のみであった。

 映画は、米国原潜「スコーピオン」(“蠍”の意味;SSN-623)の内部から始まる。恐らく彼らは何処かへ偵察に出掛けて、メルボルンの近傍にあるウィリアムズ・タウン軍港へ再度戻って来たところである。艦長の手順良い命令の下、「スコーピオン」がゆっくりと浮上する。同時に、豪州の国民歌とも言える「ワルツイング・マチルダ」がオーケストラ演奏で背景に流れ出す。米国の母港を失って、言わば流れ者になってしまったが「スコーピオン」が悠々と進む姿は何とも印象深い。

On The Beach (1959) - opening scene - Waltzing Matilda HQ


 (YouTube のマークを押すと、切り替わります)

  豪州海軍大尉ピーター・ホームズ(原作では海軍少佐)は、20代後半だろうか、彼には若妻メアリーと生まれたばかりの赤ん坊ジェニファーがいて、優しい家族思いの男である。ある日、海軍省に呼び出され、数ヶ月間「スコーピオン」に乗り組み、連絡将校となることを命じられた。

 既にガソリンは枯渇し、人々は馬車と自転車の生活に切り替えていた。但し、石炭火力は十分にあるから、電気の供給に問題は無い。家庭でも街中でも電気は自由に使える。それに郊外電車も市街電車も定時で動いている。だから、ホームズの通勤は自転車+電車である。

 ホームズは、「スコーピオン」の艦長ドワイト・ライオネル・タワーズ米海軍中佐に会い、彼と親しくなる。タワーズ中佐は、33歳でコネチカット州の我が家に妻シャロンと息子リチャード(8歳)、娘ヘレン(5歳)を残して来たが、彼らは当然死亡している。ホームズは、正規勤務に着く前の週末、彼を我が家に招待し、友人達を呼んで小さなパーティをすることにした。

 気の毒なタワーズ中佐の話し相手に、ホームズ夫妻の若い友人モイラ・デイヴィッドソンに協力してもらう。彼女は、牧場主の娘で、数年前に大学を終えたばかり、そして滅法アルコールに強い。モイラは、タワーズ中佐に会うなり直ぐ気が合って、家族を失った彼を慰めようとしながら自分自身が彼に魅かれて行く。

 この所、米国西海岸サン・ディエゴ市方面から不定期かつ意味不明のモールス信号が打電されているのを海軍省は把握していた。海軍省長官は、その発信元を確かめると共に、北極海方面の放射能汚染程度を調査するようタワーズ艦長に指令した。調査充実のため、科学者ジュリアン・オズボーン(原作では、ジョン・オズボーン)が航海に同行することになった。彼は、ホームズ夫妻の知己である上に、かつてのモイラの恋人である。

 長い航海に出た「スコーピオン」は、北極海に到達、ここも太平洋以上に著しく汚染されていることを確認した。帰路立ち寄ったサンフランシスコ港では、生き物が全く見られない上に、乗組員スウェインが艦を脱出する事態を招く。高放射能の下では、彼は3―7日しか生きられない。だが、サンフランシスコ出身のこの水兵は、故郷で静かに命を終えたかったのだ。

 無線による方位特定で、不審なモールス信号はサン・ディエゴ港の製鉄所+発電施設から出ていることを突き止める。そこで、危険を冒して1名の士官を上陸させ、調査に当たらせる。彼は、無人状態でも水力発電施設は稼動していることを確かめながら、コーラのビンが日よけの紐に絡まり、発信器に倒れ掛かっているのを見つける。風が吹くと日よけが揺れ、紐に絡まったコーラ瓶が出鱈目なモールス信号を発信していたのだった。この映画で最も印象深いシーンである。

 数ヶ月の調査航海の後、「スコーピオン」は無事メルボルンに戻る。だが、死の灰は更に南下接近しており、次第に体調を崩した市民が増えていく。ブリスベーンにあった米国海軍司令部も閉鎖され、全てはタワーズ中佐にゆだねられた。それでも、カーレースに打ち込む人々がおり、科学者オズボーンは愛車<フェラーリ>のレーシング・カーで出場して見事優勝する。渓流の鱒釣りも早めに解禁され、人々が最後の野外生活を楽しむ中、タワーズ中佐とモイラは結ばれる。

 「スコーピオン」乗組員有志は、メルボルンで死を迎えるのではなく、コネチカット州の母港へ戻ることを決め、タワーズ艦長もそれに同意する。出発の知らせを受けたモイラは、海軍基地でタワーズ中佐に別れを告げ、「スコーピオン」の出航を見送る。

 その後、体調不良にもかかわらず、モイラはメルボルン郊外のバーウオン岬へ車を走らせ、そこでタワーズ艦長と「スコーピオン」に最後の別れを告げるのであった。「ワルツイング・マチルダ」が静かに流れる中、微笑するモイラの大写し、「さようなら、私の永遠の恋人」とでも呟いているように見えた。

 最後の部分を YouTube で見てみよう。




 何ともやりきれない内容の映画なのだが、屈託の無い豪州人気質が随所に溢れており、加えて俳優達の実感に迫る演技があって物語は淡々と進む。クレイマー監督は、原作には無いタワーズ中佐とモイラの恋愛関係を強く押し出したが、原作者シュートはそれがどうやら気に入らなかったらしい。でも、私はそれで良いのではと思っている。全編を通じて流れる「ワルツイング・マチルダ」の変奏は、モイラの気持ちが色濃く映されているようで、哀切が篭っている。

 「どうしてこんな事になったのか、何を私達がしたというのか」とメアリーは夫ホームズ大尉に食って掛かるのだが、それはメアリーを心から愛する夫にも良く分からないのだ。科学者ジュリアンも、パーティの席上で自分達を含めてそれぞれに責任があると述べ、同席者と激しい口論になり、メアリーへは言い知れぬ絶望感を与える。彼女は、国家が与えてくれた毒薬を飲んで自分達が死んでいく時、生んだばかりの赤ん坊ジェニファーを安楽死させることに強烈な罪悪感を覚え、発狂に近い状態になる。もし、全面核戦争が起きた場合、メアリーの持った疑問は世界中で何億人もの人達が口にすることだろう。

 人は死を迎える時、最愛の生きている存在、例えば家族が側にいることを求める。そうした存在がこれまでに無いままに過ごしてきたモイラ、そしてジュリアンは、生きる時間が限られたと知った時、ジュリアンは大切な物に触れ、モイラは美しい想い出を代替としながら従容と死に立ち向かう。死が近づいても、乱れる事なく自分の考えを通す彼らの姿はそれなりに美しい。この映画には、絶望感を乗り越えてそれぞれが思う形で死を迎える幾つもの姿が淡々と描かれている。

 私は、核兵器保有に固執する金正日総書記、それとアフマディネジャド大統領にこの映画を是非見てもらいたいと思う。金氏は映画が好きだから、既に何度も見ているかも知れぬ。状況に応じて、国家が核兵器を持つことを私は否定しないが、その使用に際しては、人類全てに対し責任を持つことを核兵器保有国家の指導者に覚悟して欲しいのだ。誰もいなくなった州議事堂前の広場、映画の最後のシーンだが、”There is still time..Brothers” と書かれた横断幕が風に旗めいていたのは、クレイマー監督から世界の人々への呼びかけであったと思う。

 さて、出演俳優達は、

 タワーズ中佐:グレゴリー・ペック(当時43歳)
 モイラ:エヴァ・ガードナー(当時37歳)
 ピーター・ホームズ大尉:アンソニー・パーキンス(当時26歳)
 メアリー・ホームズ:ドナ・アンダーソン
 ジュリアン:フレッド・アスティア(当時59歳)
 先任水兵:ミッキー・ルーニー

が主な所である。映画の中では、G・ペックもE・ガードナーも10歳以上若い役を演じているのだが、特に強い違和感を覚えない。むしろご両人の存在感ある演技と人間的な味わいが豊かに醸し出されていて、若い俳優達を登用するよりも適切であったのでないか。時折、タワーズ艦長が訝しげに空を見上げる場面が繰り返しあるのに気付いたのだが、その意味がどうも分からない。死の灰の降下を気にしているのかも知れぬ。

 「ダンスの王様」と言われたF・アスティアは、年齢のせいだろうか、渋みがあって素晴らしい。彼は、この映画で初めてダンス無しに演技をしたのである。役造りとしては30歳前後なのだが、実在の彼は還暦に近かった。それでも激烈なカーレースに出たりして、随分若々しく演技していた。彼のタバコの吸い方は何ともきざなのだが、私には「カサブランカ」のハンフリー・ボガードと同じく印象的に映った。

 映画で大きな役割を演じるのは、米原潜「スコーピオン」である。原作によると、排水量約6000トン、原子炉機関によるタービン出力は1万馬力以上、2軸推進型との説明である。海軍士官11名、下士官・水兵約70名が乗員とタワーズ艦長はホームズ大尉に説明する。

 この頃の米海軍原潜には、スキップジャック級を拡張改造し、ポラリス・ミサイルを始めて搭載したジョージ・ワシントン級(1959年就役)があり、これは排水量(水中)6700トン、加圧水型原子炉による1軸タービン推進、出力15、000馬力となっている。乗員は、士官12名、下士官12名、水兵88名である。どうやらこの当たりの原潜が、原作者シュートの脳裏にあったのかもしれない。ただ、このタイプの原潜は涙滴型形状、司令塔に潜舵を備えるから、映画に出てくる潜水艦とは形状が大幅に異なる。

 実際、米国は「スコーピオン」と言う名の攻撃型原潜( USS Scorpion, SSN-589)を保有していた。排水量(水中)3、500トン、スキップジャック級3番艦であるが、1968年5月21日、理由不明の事故によりアゾレス諸島沖で4000mの海底に沈没した。以上は、 Wikipedia による。

 この原作は、2000年にオーストラリアでTV映画化されたらしい。題名は「エンド・オブ・ザ・ワールド」と変えられたが、3時間半に及ぶ大作との事。残念ながら、私はそれを見ていない。

 最後に、オージー(豪州人)に愛唱される「ワルツイング・マチルダ」の曲を歌詞付きで聞いてみよう。伴奏しているのは、アンドレ・リュウ(オランダ人)である。

Andr�・ Rieu - Mirusia Louwerse / Waltzing Matilda - Federation Square
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