陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

米映画「遠い空の向こうに」は、若者に限り無く夢を抱かせる

2008-07-07 20:19:56 | 読書・映画・音楽
 ソ連が人類初の人工衛星「スプートニク1号」を打ち上げ、世界中を驚かせたのは1957年10月4日のことだった。重い人工衛星を打ち上げて、一周96分の周回軌道に乗せた科学・技術力は、大陸間弾道ミサイル技術の完成も意味していた。

 当時、私達は高校生、旺文社の「ユース・コンパニオン」誌に掲載されたスプートニク1号の英文解説記事を貪るように読んだ。科学への理解よりも、実は、打算で受験勉強の語彙を増やす狙いがあった(笑)。

 米国ウェスト・バージニア州マクダウェル郡の小さな炭鉱町、コールウッドに住む15歳の高校1年生、ホーマー・ヒッカム・ジュニアも、夜空を翔けるスプートニクを見て大きな感銘を受けた。大人達が、米国はロケット技術でソ連に立ち遅れたと慨嘆するのとは別に、「僕もロケットを作って打ち上げる」と家族の前で宣言、きょとんとする家族を他所に、悪友を誘って稚拙ながらも夢に溢れた実験を開始する。

 彼らは幾度も失敗を繰り返したが、2年半後には全長2m強、直径6cmの本格的な固体燃料ロケットを作り上げ、それを何と9500mの高さまで打ち上げた。「遠い空の向こうに(October Sky) 」(ユニバーサル、1999)は、その間の彼らの苦労、努力と悩みを描いた佳作映画だ。以下、粗筋を紹介しよう。

(粗筋)

 明るい性格のホーマーは、同級生の人気者だ。彼には、2歳上の兄ジムがいて、同じビッグクリーク高校ではアメリカンフットボールチームの花形選手だ。ジムにしてみれば、勉強もあまりしない上に、なよなよした弟・ホ-マーがどうも気に入らない。彼らの父親ジョンは炭鉱の監督で、掘削現場の全てを取り仕切る。1912年生まれで46歳になるが、高校卒業以来炭鉱夫として叩き上げた実力者の彼は、息子達が大学へ進んで、炭鉱技術者として活躍して欲しいと願っている。

 ホーマーの仲間達は、ボロ車で女の子を連れ歩くロイ・リー、それに気さくなオデール(父親は炭鉱事故死)だ。彼らは、懐中電灯ケースに、花火30個をぎっしりと詰め、ホーマーの家の木製フェンスに縛り付けて点火した。

 大音響と共に、懐中電灯は爆発、飛び上がったのは懐中電灯ではなくフェンスの切れ端であった。驚いて外へ出てくる母親エルシー、だが彼女はホーマー達を咎めなかった。

 この失敗に懲りて、ホーマーは色々ロケット関係資料を探したが、田舎高校の図書館にはロケットの本などあるわけが無い。彼は、皆から変人扱いされているが、理工科目に滅法強い同級生のクエンティン・ウィリアムズに参加を呼びかけて、ロケットに関する基本知識を集め始めた。

 クエンティンは、胴体にアルミパイプを用いること、塩素酸カリ+砂糖を燃料にすることを提案、また、ロケット下端部噴射口には、ワッシヤを溶接して噴射ガスを絞り、推力を強化することにした。ワッシャを胴体へ溶接するために、機械工場(マシン・ショップ)のユダヤ人アイク・バイコフスキーの協力を得た。勿論、親父ジョンには内緒だ。

 出来上がった40cm長の<オーク1>を町外れで打ち上げた。ロケットは垂直ではなく水平飛行して、炭鉱事務所の壁へもろに激突、大騒ぎになる。忽ち親父ジョンに機械工場でやった加工がばれてしまった。バイコフスキーは、罰を喰らって掘削現場へ移動させられるし、ホーマーは二度と炭鉱敷地内へロケットを打ち込まないことを厳命される。

 彼らは、街の中心から13km離れたスネークルート空き地に新たな発射基地(?)「ケープ・コールウッド」を建設し、コンクリート製発射台、観測室などを設置した。また、胴体とガス噴射ノズル部分を熱に強い高炉銑鉄にするため、廃線路からレールを外して来てノズルにするため切削加工した。

 一方で、燃料を混合する時に100%アルコールを使い、それを燃焼筒へ均一充填してから固化させるなど、少しずつだがロケットの性能改良を行う。街の人々は、彼らを「ロケット・ボーイズ」と呼んで、静かにそして暖かい応援を送った。

 ホーマーは、ウェルナー・フォン・ブラウン博士を尊敬していた。今も新しく組織されたNASAで活躍している。何時かは、フォン・ブラウン博士と一緒にロケットの仕事をするのだ。彼に熱烈な手紙を書いたら、ホーマーの誕生日にフォン・ブラウン博士の署名入り写真を送って来た。

 彼らに物理/化学を教えているのは、大学を出たばかりの若い女性教師、フレイダ・ジョイ・ライリー先生だ。彼女は、ロケット・ボーイズの心意気を受け止め、厄介者として冷たく接するターナー校長を説得しながら、ホーマー達の夢をしっかりと支える。

 更に、ライリー先生は彼らが全米科学コンテストに出る様に提案をする。もし入賞すれば、奨学金を貰えるかも知れないし、ビッグクリーク高校の名前が全米に知られるようになるじゃないと言って、彼らを励ます。ライリー先生は、分厚い「誘導ミサイル設計の原理」と言う専門書を入手して、ホーマーに与えた。

 「わたしはあなたにその本をあげるだけ。なかに書いてあることを学ぶ勇気は、あなたがもたなければならないのよ」と彼女は言い添えた。

 さて、ジム兄貴は、フットボールの能力を高く評価された結果、ウェスト・バージニア大学から奨学金を出すとの知らせを貰った。親父ジョンは彼を誇りに思い、一方でホーマーに不可解な思いを抱いた。

 こうしている内に、テストロケットの打ち上げも、10基以上になった。ある時、2000mを越えて高く上がったロケットは、山を越え遠くに飛んだ。ロケットボーイズも観客も大喜び、地元の新聞は彼らの快挙を詳しく報じた。暫くして、州警察が来て、ホーマーを逮捕した。ウェルチ市近くの山火事現場にロケットの残骸があったから、それが原因だと言う。ホーマーは、高く昇った<オーク13号>が行方不明になっていたので、上手く答えられない。ライリー先生の弁護も空しく、責任者のホーマーは手錠を掛けられて留置所へ。

 ジョン親父が何とか其処から出してくれた。ホーマー達全員は意気消沈してしまい、もう止めたと言うので「ケープ・コールウッド」基地を焼却破壊する。気分転換にダンスパーティに行くと、ホーマーが慕う美人の同級生ドロシー・プランクは兄貴に横取りされてしまう。だが、やさしい1学年上の女学生ヴァレンタインが彼を慰めてくれた。

 炭鉱で大きな落盤事故があり、バイコフスキーは事故死、ジョン親父も大怪我をして入院、現場に出られなくなった。兄貴のジムは、ウェスト・バージニア大学へ行く予定だし、このままでは家計に大きな影響が出る。ホーマーは決心して高校を一時中退、炭鉱現場へ入って行く。炭鉱夫たちに支えられながら、彼は努力を重ね、どんどん炭鉱夫としての技量を磨く。

 立坑へ下る時、エレベーターの天井から「スプートニク」が流れるように飛んで行くのが見えた。エレベーターの中でそれをじっと凝視するホーマー。

 やがて父親は歩けるようになり、現場監督に復帰する。父親と共通の話題を持つようになったホーマーだが、どうしてもNASAの技術者になりたい。そして、父親と口論を繰り返す中で、父親はホーマーの気持ちを次第に理解するようになって行く。

ホーマーは、毎日勤務が明けると、我が家でライリー先生から貰ったミサイル設計の本を熱心に読んだ。そして、数学が苦手なのに、最後の実験の時のデータを用いロケットが飛んだ方向と距離を計算した。得られた結果をクエインティンにチエックさせ、二人は基地の発射台から計測しながら<オーク13号>ロケットの残骸を探した。そして、計算通りの位置にロケットの残骸を発見した。どうだ、俺達は無実なんだぞ!

 体調を崩したライリー先生は自宅療養をしていた。若いのに彼女は難病に罹っているとの噂が流れた。ホーマーは、ライリー先生を自宅へ見舞った時、がんの一種、「ホジキン病」なのよと彼女から直接教えられる。そして、彼女からロケット製作を改めて励まされる。考え込んでしまうホーマー。

 ホーマーは、決断して炭鉱へ入るのを止め、高校へ復帰した。そして再び仲間とロケット打ち上げに精神集中する。噴射ノズルに曲線を持つ<ラバール型>を採用し、機械工場のレオン・ホールデンに精密加工してもらった。燃料は、燃焼力の大きい[亜鉛粉末+硫黄]に変えた。もう打ち上げ高さは、<オーク24号>になると4000mを越えるようになった。それらの検討経緯と成果を分り易くまとめて発表練習を行い、ブルーフィールドで開かれた地区科学コンテストでは見事1位になった。

 次は、インディアナポリスで開かれる全国科学コンテストだ。ホーマーがそれに出席するため旅行の支度をしていると、自宅に親父ジョンを狙って銃弾が打ち込まれた。ジョン監督を憎む組合メンバーの仕業だ。その夜、ホーマーは再び父と激しい言い争いをした。

 インディアナポリスへ旅立つ朝、バスに乗り込むホーマーをロケットボーイズが不安そうに見送る。展示会場では、予想もしなかった不幸な事件が起きた。展示台から美しい形状の<ラバール型>ノズルと流線型先端カウルを盗まれてしまったのだ。明日は審査員の前でそれらを使って説明しなければならないのに、ホーマーは途方に暮れてしまう。

 母親エルシーに電話した。「明日までに、レオンに頼んで、ノズルとカウルを準備して貰えないだろうか」「ホーマー、今はストライキが激しくなって、誰も機械工場へは入れない。でも待っててね」とエルシーはホーマーを慰めた。そして、彼女は夫ジョンを説得して組合と一時和解させ、レオンにノズルを準備させる。こうして朝一番にインディアナポリスに到着する「トレイルバス」にそれらを積み込んだ。こんな経緯があったけれど、ホーマーは新しいノズルを得て、翌日立派に研究発表をすることが出来た。

 ホーマーとロケットボーイズは、全米科学コンテストで最優秀のメダルを獲得、表彰式で、フォン・ブラウン博士がホーマーに握手してくれた。だが、有頂天の彼にはそれが誰か分からない。

 町の人達が、帰郷したホーマーを温かく迎えた。ホーマーは早速病院へ行き、ライリー先生を見舞いながら最優秀メダルを見せる。やさしく微笑むライリー先生は、「貴方達は私の誇りよ」と言う。

 炭鉱へ行き、親父ジョンにメダルを見せて、お礼を言おうとするホーマー、だがそれを見せる前にまた口論をしてしまう。お互いに思いやりながら、それを口に出せない親子。

 1960年6月、最後のロケットを打ち上げる日が来た。基地に集まった大勢の町民を前に、ホーマーはロケットボーイズを代表してメダルを披露し、皆さんの協力があったからここまで出来たんですと挨拶。今は亡きバイコフスキーと、母親の横に立っているレオン・ボールデンに感謝の言葉を述べる。

 そしてホーマーは、常に励ましてくれたライリー先生、温かく見守ってくれた母親エルシー、そして父親ジョンに心からの謝意を表す。その時、今まで一度も打ち上げに来なかったジョンが基地に姿を見せる。それに気が付いて、目を輝かすホーマー。

 ホーマーは、父親に発射用スイッチを渡し、最後の打ち上げをやって欲しいと頼む。はにかみながらそれを受け取り、ジョンはスイッチを押した。轟音と共に白煙を引いて青空を突き抜けるようにどこまでも上昇を続けるロケット、遠い空へ向かって進むその勇姿を、人々は何時までも眺めているのだった。

(その後のこと)

 映画はここで終わるのだが、エンディング・ロールでその後が少し説明される。

 結局、ライリー先生は、皆の祈りが届いて健康を少し持ち直し、学校へ戻って熱心に教育を続けた。だが1969年、彼女は32歳の若さで不帰の人となった。

 ホーマーが尊敬するヴェルナー・フォン・ブラウン博士は、1977年大腸がんで亡くなる。ホーマーは、ベトナム戦争へ行ったりしたけれども、1981年、念願であったNASAの技術者になり、1997年11月に退職した。そんな訳で、ホ-マーはフォン・ブラウンと一緒に仕事をする機会は無かった。後に彼は、宇宙飛行士の訓練教育に参加、世界中から集まった優秀な若者と交流した。

 ロケットボーイズは、奨学金こそ貰えなかったが、皆それぞれに選んだ大学へ行った。その後、ロイ・リーは銀行家に、オデールは保険業界へ入って、今は牧場主になった。クウェンティンとホーマーは、技術者になった。

(原作との関係)

 この映画は、主人公ホーマーが執筆した自伝 Homer H. Hickam, Jr., "Rocket Boys", Delacorte Press, 1998 が原作である。武者圭子氏の翻訳で「ロケットボーイズ(上、下)」(草思社、2000)が出版されている。

 大体は、事実に沿って映画は作られたが、「ロケットボーイズ」は映画に出てくるメンバーの他に、シャーマンとビリーと言う2人の少年が参加していた。それは、映画ではカットされている。ホーマーが高校を中退して炭鉱に入った話は完全にフィクションだ。また、廃路線からレールを盗む話も事実ではない。

 映画化された頃、コールウッドの町は人が住まず、炭鉱施設も朽ち果てていたと言う。炭鉱自体は、1989年に完全閉山されていた。エネルギー転換の世界的な波に押し流されて行ったのだ。それは日本でも同様で、1960年前後には北九州・三井三池などで大争議が起きたし、次第に石炭は石油に駆逐され生産量は激減した。

 コールウッドはアパラチア山脈の一部で、良質の瀝青炭を産出したが、エネルギー転換と共に、米国内では国際競争力に負け鉄生産量が縮減して行ったことと同期している。それは、ペンシルバニアの有力炭鉱でも起きたことだ。

 親父ジョンは、1977年の定年(65歳)までコールウッド、即ちオルガ石炭会社で働き続けた。その後は技術顧問になり、1989年に閉山するまでクラブハウスに住んだ。母エルシーは、1977年にマートルビーチへ移り、一人でジョンが来るのを待った。ジョンは、マートルビーチへ移って直ぐに亡くなった(享年79歳)。

 縦糸に衰退する炭鉱の営みと苦悩を配置し、横糸に高校生達の明るい生活ぶりと暖かい友情を配置する。そして、父と10代の息子の精神的葛藤を添える。若者の持つ夢の実現を地域社会がある時は批判し、ある時は応援する、そのような内容の映画だが、何れにせよロケットボーイズはラッキーだったと思う。

 と言うのは、ホーマー達の扱ったロケット燃料は、火薬または爆薬で非常に危険な化成品である。それを知識が無いままに加熱したり混合したりしながらロケットに充填した。よくまあ大事故が起こらなかったものと思う。まず、日本でなら許されないような実験内容だ。打ち上げ時でも、人身事故は生じなかった。これも幸運に恵まれていたとしか言いようが無い。

 それはさて置き、若者が自分達の夢の実現に向かって突進する、その心を励まし支えながら、現実の問題解決に周囲が智恵を出して協力して行く。そうした調和が素晴らしい結果を生み出して、若者に自信をつけさせる。同時に、周りの人達も心地良い満足感を覚える。だからこの映画は、見た後に爽快感が残る。そして、若者よ、あらゆる事に夢を持ちなさいよと言いたくなるのだ。

(キャストとスタッフ)

 あまり有名な俳優は出ていないけれど、高校生達が熱心に演技している。ジョン親父を演じるクリス・クーパーは中々良い。ライリー先生役のローラ・ダーンは印象的。

goo映画から借用して貼り付けておきます。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD31827/cast.html

キャスト・スタッフ - 遠い空の向こうに(1999)

キャスト(役名)
•Jake Gyllenhaal ジェイク・ギレンホール (Homer Hickam)
•Chris Cooper クリス・クーパー (John Hickam)
•William Lee Scott ウィリアム・リー・スコット (Roy Lee Cook)
•Chris Owen クリス・オーウェン(Quentin Wilson)
•Chad Lindberg チャド・リンドバーグ (Sherman O'Dell)
•Natalie Canerday ナタリー・キャナディ (Elsie Hickam)
•Scott Thomas スコット・トーマス(Jim Hickam)
•Laura Dern ローラ・ダーン (Miss Freida Riley)

スタッフ
監督
•Joe Johnston ジョー・ジョンストン

製作
•Larry J. Franco ラリー・J・フランコ
•Charles Gordon チャールズ・ゴードン

原作
•Homer H. Hickam Jr. ホーマー・エイチ・ヒッカム・ジュニア

脚本
•Lewis Colick ルイス・コリック

撮影
•Fred Murphy フレッド・マーフィー

音楽
•Mark Isham マーク・アイシャム

美術
•Barry Robison バリー・ロビソン

編集
•Robert Dalva ロバート・ダルヴァ

衣装(デザイン)
•Betsy Cox ベッツィ・コックス

この映画のDVDは1500円で、容易に入手可能。
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1 コメント

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Unknown (ロケットオールダー)
2008-10-17 15:19:50
この映画が日本の学校で放映されたリ、レンタルビデオで見たりしてロケットや宇宙に関心を持った生徒達が市販の火薬で飛ぶモデルロケットを学校で文化祭で飛ばしました。許可を出す学校とと出さない学校で差別感が生徒に残り教師達も禁止するだけでなく、生徒の知的好奇心を育てるるほうにむかってい欲しいと感じました
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