陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

<烏山頭ダム>の訪問と八田與一技師への想い

2008-01-23 04:30:14 | 学ぶべき日本人
 1月13日(日)の午後、予約しておいたタクシーが<台南・朝代大飯店(ダイナスティ・ホテル台南)>へ迎えに来てくれた。運転手は愛想の良い李さんで、少し日本語が出来る。黄色に塗ったタクシーの車種は、トヨタ製のアバロン。米国からの輸入車だと言う。台湾は左ハンドル、車両右側通行で米国と同じだ。

 李さんは、ペットボトル入りの冷えた緑茶、チョコレート入りのスナック菓子、現地の新聞などをサービスで細々と用意していた。何と優しく親切なことか。

 市内を抜け出て、南部第二高速道路3号線を走ること30分、李さんはカラオケが大好きだそうで、日本語でマスターしているのは30曲以上もあると話してくれた。56歳のこの運転手、ドライビングを好み、1日かなりの長距離もこなしても平気との事。分からない日本語をメモ帳に漢字で書いて見せてくれる。時速100kmで走らせながらそれをやるので、はらはらした。

 午後2時前に<烏山頭ダム>駐車場ゲートに到着し、入場料NTD120、駐車料NTD50を払う。ダムへ行く前に<八田技師記念室>へ立ち寄った。この記念室は新しく、八田技師の数々の遺品、学生時代の資料、外代樹(とよき)夫人や家族との生活の様子、そしてダム建設の過程を克明に写した写真が沢山飾られている。八田技師の出身地、金沢市の人々も資料を提供してこの記念室の完成に尽力したらしい。

 この記念室はダム堰堤の下にあり、それから少し歩くとコンクリート製の階段があって、そこにはダム工期10年間の犠牲者134名を慰霊する立派な<殉工碑>が建立されていた。八田氏の草した慰霊文と犠牲者氏名が刻まれている。日本名もあれば、台湾名もある。八田氏はダム工事を厳しく督励する一方、亡くなった方々への慰霊と暖かい配慮を決して忘れなかったのだ。

 更にコンクリートの階段を登って、堰堤の上に出た。堰堤の高さは湖底から56mあるらしいが、満々と清水を湛えているので、その高さが感じられない。堰堤長は、1273m、断面台形の底辺は303mもあり、台形頂部幅は9mである。私のいる頂部はアスファルト舗装され、2車線になっているが車両通行は禁止されている。専ら遊歩道として利用されているのだ。

 1920年(大正9年)9月に工事を開始して、このセミ・ハイドロリック工法によるダムが完成したのは、1930年(昭和5年)3月、有効貯水量1億5000万トンの大貯水池が姿を現した。当時八田技師の構想を全面的に支持した台湾総督府・民生長官下村海南博士は、貯水池を上から見た形状が枝分かれした珊瑚に似ているとして、この大貯水池を<珊瑚潭>と命名した。

 ダム完成と共に嘉南平野を潤す灌漑路も共用を開始され、総水路延長24、000km(この複雑に枝分かれした水路を「嘉南大■(しゅう)」と呼ぶ)にわたって農耕地に水を供給することになった。灌漑面積は15万ヘクタール。それにより、嘉南平野は「三年輪作耕法」が可能となったのだ。(「大■」の■は土偏に川。JIS表示には無い。灌漑のこと)

 李さんは、「貴方は堰堤を歩いて下さい。私、あちらの端へ車を回しておきます」と言うので、湖水を眺めながら堰堤路を歩いた。曇り空で、遠くが霞んでいるが、この湖の巨大さがよく分かった。釣り師もボートも見えず、静かな佇まいである。堰堤は、定期的に手入れをするのだろう、短い草で覆われている。女子学生が4-5人、賑やかに話を交わしながら、スクーターで私を軽快に追い越して行った。

 この工事の総事業費は、当時のお金で5、413万9千円を要したと言う。その内、国庫補助金2、674万円(補助率約50%)、他は総督府と日本勧業銀行の借入金で賄った。このような大事業が可能であったのは、

(1)八田技師の優れた地形把握と大土木工事に対する設計・監督能力
(2)当時の台湾総督と民生長官の深い理解
(3)地元農民の熱烈な願望と協力体制

が渾然一体となっていたからであろう。工事を開始した時の首相は、原敬であった。彼は、台湾の治安は安定したと判断して、総督を武官から文官(田健治郎)に変え、統治地域の民意を重んじる行政を意図したのである。こうして、田総督の下で、下村海南民生長官が八田氏を積極的に応援した。今私が歩いている堰堤を、78年前に八田技師も完成の悦びを噛み締めながら歩いたに違いない。

 1935年(昭和10年)、磯永吉(いそえいきち)・台北帝国大学教授が12年の歳月を掛けて開発した「蓬莱米」(中粒種)が完成、その後は嘉南平野でもこの美味なジャポニカ米が大量に栽培され、内地にも送られた。磯永吉氏は、<蓬莱米の父>として、台湾人からいまなお厚く尊敬されている。

 やがてタクシーに乗り込み、堰堤の外側に最近作られた<天壇>の傍に出た。そこは広い駐車場や広場が出来ていて、イベントなども行えるようだ。<天壇>は、有名な北京のそれをそっくり真似した形状で、皇帝が天に祈る場所である。野外コーヒー店があったので、私はブレンドを頼み、李さんは私の誘いを断って持参の緑茶を飲んだ。

 堰堤の反対端には、八田氏が腰を下ろし額に手を当てた等身大の銅像があり、湖をじっと眺めている。これは、工事を終えた八田技師が昭和5年に台北へ引き上げてから、地元の人達が自発的に作ったものと言う。終戦を挟んで、この銅像は色々な経緯を伴っているようだ。銅像の後ろ側には、八田夫妻の慰霊碑が建立されている。毎年、5月8日の八田氏の命日には、ここで慰霊祭が行われるとのこと。

 台湾人と覚しき4人のグループが銅像の脇にいて、一番年長の人が「日本人ですか」と話しかけてきた。「八田さんのことを知っていますか」と重ねて問うので、「少し知っています」と答えた。

 「私は、昭和5年の生まれで、中学1年生まで日本語の教育を受けました。私の生まれた年に、このダムが出来ました。八田さんは、偉い人です。台湾人は、今も彼に感謝しています。彼は、今の日本人に知られていますか」と聞かれたので、「多くの日本人は知らないでしょう。でも、台湾に興味のある一部の人は八田さんの偉業をきっちり理解している。司馬遼太郎という小説家が「台湾紀行」と言う作品で<烏山頭ダム>を紹介したし、李登輝氏が数年前に八田さんをとても誉めた文章を日本語で書いたのでね」と説明した。

 彼らは頷きながら、やがて静かに去って行った。今の台湾は工業立国、農業の価値をどれだけ意識しているのかは分からない。でも、嘉義市から南方に広がる広大な嘉南平野を潤す灌漑施設に、21世紀の台湾農民達はなお限りない愛着を持ち、80年近くも前にこれを造ってくれた八田與一技師を神様のように崇め続けているのだ。

 ダム建設の頃使われた小型の機関車が展示してあった。この機関車が引く無蓋車に八田氏は作業員らと共に乗り、パナマ帽を風で飛ばされたことがあったらしい。

 去りがたい気持ちで再び<珊瑚潭>を眺め、外代樹夫人が1945年(昭和20年)9月1日に身を投げた放水口へ行くのは遠慮して、やがて台南市への帰路に着いた。巨大な建造物を見て、ただ圧倒されるのとは全く別な感想を私は持った。嘉南平野にかつて居住し、現在もなおそこで農業を営む延べにして何百万人もの人々が、自然との調和を維持し恩恵を与えてくれる<烏山頭ダム>に誇りを持って、八田技師へ捧げる静かな祈りが感じられたからだ。

 李さんとダムを見た感想を話し合いながら、台南市には午後4時前に到着した。李さんは、熱心な民進党の支持者で、前日の立法院選挙の結果を悔しがっていた。台南市は、民進党の本拠地であるが、美人の国民党女性候補者を何人も立てて、食い込みに成功したらしい。街中には、そうした候補者の大きな看板がビルに掲げられていた。私は、「総統選では、きっと勝ちますよ」と言って、李さんを慰めた。

          ◇         ◇

 余談であるが、これから<烏山頭ダム>へ行こうとする人達のために道順などを述べておきたい。まず新幹線で台南市に行く。嘉義市からも行けると思うが、台南の方が便利と思う。もし、午前中に台南市に到着すれば、タクシー利用で<烏山頭ダム>へ直行するのが良い。距離にして38km、烏山頭水庫を経由する台南市発の定期バスがあるけれども、本数が少ないし、バス停からダムまではかなり歩くことになる。

 ホテルなどを介してタクシーを頼めば、1台NTD2300からNTD2500(=8750円)の間で往復してくれるだろう。それは、交渉次第だ。数人で割り勘にすれば安いものである。運転手によっては、ある程度日本語を話す場合があると思う。高速道路料金や、<烏山頭ダム>入場料NTD120は別料金だ。台南駅近くに日本人を当て込んで、誘いを掛けるタクシー運転手がいるが、これはあまりお勧め出来ない。

 午後1時に出発すれば、午後4時には悠々と台南市へ戻ることが出来る。ダムでは小1時間歩くから、万一のため傘を持参すること。戻ってからは、新幹線で台北方面へ行くことも可能だし、高雄市へ足を伸ばすのも容易だ。出来れば、台南市で一泊し、翌日午前中を市内見物に当てる事をお薦めする。それだけこの街には、見物・鑑賞に値する遺跡が多い。そして台南料理の本場で一夜を楽しむのも良いだろう。

(参考)

 以下のエントリーに、李登輝氏が執筆した「日本人の精神」(慶應義塾大学における予定稿)を全文掲載した。この文章は、八田與一技師の苦労と努力を余すところ無く述べている。

 李登輝氏の来日を歓迎

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4 コメント

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Unknown (coaaa)
2008-01-23 17:02:10
はじめまして、台南のcoaaaです

嘉南大川の川は土偏です、州ではありません
「圳」です、台湾語の発音は五十音の「ずん」に似てます
返信する
間違いました (茶絽主)
2008-01-24 00:04:39
coaaa 様

間違いました。訂正しました。
ご指摘、有難うございます。
返信する
Unknown (tsubamerailstar)
2008-02-08 09:28:38
烏山頭はホント不便みたいですね。LAみたいにヘリで上空から、みたいなサービスでもあればと思いますが。(笑)

この八田技師の嫁はんは、子供残して投身自殺とか何ちゅうことを、と当初思いました。(汗)
返信する
烏山頭を世界遺産に! (edaats)
2011-07-11 15:58:08
トラックバックありがとうございました。
烏山頭を世界遺産に登録しようという運動をしています。
ぜひ八田與一技師の功績を広めてください。
よろしくお願いいたします。
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