陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

英国敵兵を救助した工藤<雷>艦長

2007-02-07 02:16:57 | 学ぶべき日本人
 工藤俊作海軍中佐の行動を詳述した恵(めぐみ)隆之介著「敵兵を救助せよ!」(草思社、2006年7月)を読み終えた。昨年秋にこの書を入手したが、今回始めて全部を読んだ。現代に生きる<武士道>とは、このようなものかと改めて感じ入った。

 山形県東置賜郡高畠町出身の工藤中佐(米沢興譲館中学卒業)は、海軍少佐として駆逐艦<(いかづち)>艦長であった時、大東亜戦争初期のスラバヤ沖海戦(1942.2.27)で撃沈されて海に漂う英国人将兵422名を救助した。

 その功績を一切誇る事も無く、彼は戦時中を海上連戦の内に過ごす。昭和17年3月1日中佐昇進(41才)。その後、過労の為病を得て、昭和20年(1945)3月海軍中佐のまま待命、敗戦後は一市井人として静かな余生を送った。昭和54年(1979)1月12日に埼玉県川口市で胃ガンのため逝去。享年78才。

 平成10年(1998)5月、天皇・皇后両陛下は英国とデンマークを親善御訪問される予定であった。その数カ月前から、英国ではかつて日本軍の捕虜となった退役軍人達による天皇陛下への謝罪要求、はなはだしきは英国へ来るなとの運動が激しくなっていた。

 細川首相始め、数年前から村山、橋本両首相が大東亜戦争時の振る舞いに関して、続け様に謝罪を行っていた事が英国在郷軍人の思いに火を付けたらしい。こうして、有力新聞への彼らの批判的投書が相継いだ。

 親善御訪問の直前、即ち同年4月29日、サムエル・フォール卿は英紙<タイムズ>へ次の様な意味の投稿を行った。(恵隆之介氏の著書より形を変えて引用)

「元日本軍の捕虜として、私は旧敵と何故和解する事に関心を抱いているかを説明したい・・・。スラバヤ沖海戦で、巡洋艦<エクゼター>、駆逐艦<エンカウンター>が日本海軍により撃沈された。この時、英軍将兵4百数十名が海に漂った。

 日本艦隊が去った後、駆逐艦<雷>が戦闘海域を索敵した。連合国潜水艦に狙われる中、<雷>艦長工藤俊作海軍少佐は部下220名に下命、英軍将兵422名を全員救助し、港へ引き返してオランダの病院船へ我々を引き渡したのだ。

 この時、工藤艦長は国際信号旗『我只今救助活動中』を掲げ、縄梯子、ロープ、竹ざおなどを用いて、我々を艦内へ引き上げさせた。しかも、艦長は英国海軍の士官全員を前甲板へ集めて、英語で健闘を称え、『本日、貴官らは日本帝国海軍の名誉あるゲストである』とスピーチした。

 そして兵員も含め、全員に友軍以上の丁重な処遇を施した(注:実際、飲料水、衣服、食糧など、艦内の物品を充分に提供したらしい)」


 フォール卿のこの投書が掲載されると、それまでの日本批判の新聞投書は尽く精彩を欠くに至った。こうして、天皇・皇后両陛下の訪英は滞りなく行われた。外務省の様々な英国媚びの説明よりも、かつての工藤中佐の行為を知ってもらう事は英国人各界リーダー達の魂を打つものがあったのだろう。

 外交の一つの側面として、外国人リーダー達と上記の様な麗しい過去の互恵経験を踏まえながら、互いに遠慮なく主張しあって着実に外交を進めるべきである。そうした中に、本当の国家間の信頼感が生まれるのだ。
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