我が家のキンモクセイ(金木犀)の大木に、橙色の小さな花が沢山咲き、芳香が漂うこの頃。暖かく晴天に恵まれた陽光の下で、平塚の友人から頂いた「シクラメン」2鉢の植え替えをした。この植物、1年を経てかなり成長したので、大き目の土鉢へ移し替えることにしたのだ。
培養土と燐酸系肥料を十分に与えて、根の部分に盛り上げた土へたっぷりと水を掛ける。これで、来月には沢山の花を咲かせるだろう。
思い出したが、こうした秋の晴れた日を<小春日和>と言うのだろうか。米国では、「インディアン・サマー」(収穫の季節)と呼んでいた。
そんな小さな仕事の後、些か満足感を覚えて、冷たい<ジンフィズ>を造り、映画音楽のCDを聴いていた。その中に「ラーラのテーマ」があった。MGM映画<ドクトル・ジバゴ>(1965)の主題曲である。
モーリス・ジャールが作曲し、様々な変奏を伴うこの曲の特徴は、ロシアの民族楽器「バラライカ」演奏の入る事だ。ディヴィッド・リーン監督が制作したこの映画の魅力ある場面を想い出しながら、優雅なこの曲をゆっくりと聴いてみよう。
Doctor Zhivago - Lara's Theme
ラーラとは、映画の女主人公の愛称。彼女は、ラリーサ・フョドローヴナ・ギシャールが正式の名前。英国女優ジュリー・クリスティー(当時24歳)が力強く魅力的に演じた。不倫を知りつつ、ラーラが身も心も捧げ尽くす相手は、ユーリ・ジバゴ医師(オマー・シャリフが好演)。
二人は、第一次世界大戦下のウクライナ戦線で、医師と看護婦として出会い、互いに忘れられない存在になる。やがて別れの時が来て、ラーラはトラックの荷台に乗り、去って行く。その後姿を黙って見送る詩人ジバゴ。ここで、「ラーラのテーマ」が静かに流れる。実に忘れ難い印象的なシーンだ。
1917年に始まるロシア革命の最中、紆余曲折を経て再会した二人は、雪の世界に閉ざされるミクリーツィンの別荘で、短いが濃密な蜜月の時を過ごす。詩作にふけるジバゴに、ラーラ親子の幸せを願う気持ちが募り、無理な形でラーラをウラジオストック方面へ送り出す。それが彼らの悲しい今生の別れであった。
大雪原の中、ラーラを乗せた橇(そり)が走り去って行く。それを何時までも見送るジバゴ。「ラーラのテーマ」が静かに流れ、観衆はただ感動に打たれる。
映画を見ていなくても、あるいはラーラを知らなくても、このスクリーン・ミュージックを聴く人達は、その優しさに何となく癒された気持ちになるであろう。
培養土と燐酸系肥料を十分に与えて、根の部分に盛り上げた土へたっぷりと水を掛ける。これで、来月には沢山の花を咲かせるだろう。
思い出したが、こうした秋の晴れた日を<小春日和>と言うのだろうか。米国では、「インディアン・サマー」(収穫の季節)と呼んでいた。
そんな小さな仕事の後、些か満足感を覚えて、冷たい<ジンフィズ>を造り、映画音楽のCDを聴いていた。その中に「ラーラのテーマ」があった。MGM映画<ドクトル・ジバゴ>(1965)の主題曲である。
モーリス・ジャールが作曲し、様々な変奏を伴うこの曲の特徴は、ロシアの民族楽器「バラライカ」演奏の入る事だ。ディヴィッド・リーン監督が制作したこの映画の魅力ある場面を想い出しながら、優雅なこの曲をゆっくりと聴いてみよう。
Doctor Zhivago - Lara's Theme
ラーラとは、映画の女主人公の愛称。彼女は、ラリーサ・フョドローヴナ・ギシャールが正式の名前。英国女優ジュリー・クリスティー(当時24歳)が力強く魅力的に演じた。不倫を知りつつ、ラーラが身も心も捧げ尽くす相手は、ユーリ・ジバゴ医師(オマー・シャリフが好演)。
二人は、第一次世界大戦下のウクライナ戦線で、医師と看護婦として出会い、互いに忘れられない存在になる。やがて別れの時が来て、ラーラはトラックの荷台に乗り、去って行く。その後姿を黙って見送る詩人ジバゴ。ここで、「ラーラのテーマ」が静かに流れる。実に忘れ難い印象的なシーンだ。
1917年に始まるロシア革命の最中、紆余曲折を経て再会した二人は、雪の世界に閉ざされるミクリーツィンの別荘で、短いが濃密な蜜月の時を過ごす。詩作にふけるジバゴに、ラーラ親子の幸せを願う気持ちが募り、無理な形でラーラをウラジオストック方面へ送り出す。それが彼らの悲しい今生の別れであった。
大雪原の中、ラーラを乗せた橇(そり)が走り去って行く。それを何時までも見送るジバゴ。「ラーラのテーマ」が静かに流れ、観衆はただ感動に打たれる。
映画を見ていなくても、あるいはラーラを知らなくても、このスクリーン・ミュージックを聴く人達は、その優しさに何となく癒された気持ちになるであろう。