陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

海上自衛隊の支援部隊がインド洋から撤退

2007-11-02 01:11:51 | 中東問題
 テロ特措法が11月1日で期限切れとなり、6年間給油・給水任務を続けた海上自衛隊の洋上補給部隊はインド洋から撤退する。海自の担当の皆さん、本当にご苦労様でした。無事帰国されることを願っております。

 さて、米国は勿論、国際社会の期待に反して、このように日本が振舞うことへ後世の人々は果たしてどんな評価を下すであろうか。

海自 インド洋から撤収開始
2007.11.1 21:51  産経ニュース

 【アラビア海北部=加納宏幸】テロ対策特別措置法に基づきインド洋に派遣されている海上自衛隊の補給部隊は日本時間2日午前0時、同法の失効を受けて日本に向け撤収を開始する。

 石破茂防衛相は1日午後、インド洋に派遣していた海自の補給艦「ときわ」と護衛艦「きりさめ」を指揮する横須賀地区の自衛隊司令官に2日午前0時をもって多国籍軍艦艇への給油・給水活動を終え、部隊を撤収するよう命令を出した。福田康夫首相は談話を発表し「補給活動を早期に再開できるよう新テロ法案の速やかな成立に全力を尽くす」と強調した。

 海自は13年12月以来、米英両軍がアフガニスタンでのテロリスト掃討作戦の一環として始めた海上阻止活動(OEF-MIO)参加艦船に794回、艦船用軽油計約48万キロリットル、水計約7000トンを無償提供した。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071101/plc0711012151013-n1.htm


 日本のこれまでの負担は、燃料だけで220億円を超えるとの事。加えて、私は航空自衛隊の在日米軍協力を知らなかったのであるが、これも打ち切られた。

空自が最後の任務飛行 テロ特措法の対米支援

2007.10.31 12:01  産経ニュース

 テロ対策特別措置法に基づき在日米軍基地間の物資輸送を続けてきた航空自衛隊のC1輸送機が31日、同法が11月1日に期限切れとなるのを目前に、東京都福生市の米軍横田基地から最後の輸送任務に出発した。

 国内などでの米軍支援は、海上自衛隊がインド洋で実施している各国艦艇への給油活動と並び、テロ特措法が定める自衛隊の任務。輸送機は岩国基地(山口)、嘉手納基地(沖縄)をめぐり、1日に活動を終了する。

 防衛省によると、空自は平成13年11月から、米側の要望に合わせて週1回程度のペースで在日米軍基地間で米軍の整備機材や衣料品などの物資を輸送しており、今回が366回目。16年7月まではC130輸送機によるグアムなどへの国外輸送を15回実施した。

 物資輸送は米軍側の需要が年々減少している。インド洋での給油活動を継続するために政府が今月17日に国会に提出した対テロ新法案では、対米協力の姿勢を薄める狙いもあり削除された。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/071031/plc0710311201005-n1.htm


 これは、米軍用国内宅急便のイメージが強い。兵站物資輸送訓練と考えれば良いのかも知れないが、米軍がグアムなどへ移動しているから需要は減っているのだろう。

 テロ特措法に反対する民主党は、期限切れを迎えて一応の成果(?)を挙げたけれども、まだ纏まった対案を提出していない。日本は、海洋国家であるから、海上支援中心の対案を出してもらいたいものだ。

(追記:11月2日)

 6年間の任務精励を終え、一旦インド洋から撤収する海自隊員の声を読売新聞が伝えている。そのご苦労を偲び、重ねて謝意を表します。ご家族との再会が楽しみでしょう。

給油撤収の「ときわ」、隊員に誇りと戸惑い交錯

 テロ対策特別措置法の期限が切れた1日午後7時(日本時間2日午前零時)。海自補給艦「ときわ」で、第6護衛隊司令の尾島義貴1佐(47)が訓示し、「国際社会で我が国の評価を高めることができた。我々に付与された任務は日本への帰投だ。祖国日本へ向けて針路を取る」と3か月間の活動の成果を強調した上で帰国を指示した。

 1日、気温33度の炎天下、隊員約140人は淡々と任務に励んだ。隊員の間では任務完了の誇りと、与野党対立で帰国が早まったことへの戸惑いが交錯した。

 「ときわ」艦長の菅原貞真2佐(54)が「気を入れて頑張ろう」と気勢を上げると、家族とメールでやり取りする若手隊員は「一日でも早い帰還はうれしい」と声を弾ませた。
 ただ、帰国を喜ぶ隊員は多くなかった。先任伍長の増田昭夫海曹長(48)は「途中で帰るのは複雑な気持ちだ」と語った。「ときわ」と護衛艦「きりさめ」は7月に日本を出港、今年末まで渡航の予定だった。だが、“任務半ば”での帰国となった。

 2001年12月に始まった給油活動に参加した隊員は延べ1万人を超えた。国際貢献にあこがれ、海自入りした若者も多く、下重龍太1士(19)は「海外であこがれの仕事を続けたい」と語った。洋上給油に従事する南真悟3曹(30)は「命令があれば戻ってくる」と断言した。

 尾島1佐は艦内の雰囲気についてこう語った。
 「我々は帰国しますが、(他国の)海の男たちがなお一生懸命、活動しているということです」。
(2007年11月2日3時3分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20071102i201.htm?from=main2
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