Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

戦争への恐怖

2013年08月22日 | Weblog

           

Edは日本が太平洋戦争で敗戦を迎えた時点(1945年8月15日)で、3才10ヶ
月だったから当時の記憶は殆ど無くて、僅かに記憶として残っているものも、後
から姉や兄の話を聴いて自分の記憶だと思っているだけかも分らず、全てが朧
で明確なものはない。

B29による空襲の際は、親か上の者に抱かれたり手を引いてもらってあちこち
逃げ回ったハズだけれど、”恐怖”というものの記憶がない。家族で怪我をしたり
死んだ者はいなかったから、多分本当に危険な目には遭わなかったのだろう。

しかし・・・防空壕、住宅の焼け跡、焼夷弾のカラ、コンクリートに残された機銃掃
射の跡、片腕を失くした友達のお母さん、傷痍軍人・・・等々、戦争の生の傷跡は
身近にいくらでも横たわっていたから、実体として明確な記憶に残っている。

更に・・・食糧、物資の不足については子供だったから、調達の苦労こそしなかっ
たものの、ひもじくても不味くて食べられない食べ物、継ぎ当てだらけの衣類、不
衛生且つ不便な日常・・・等々、今では想像もできないような貧困生活。

その後長ずるにつれ、本で知った原爆の恐ろしさ、戦地へ送られ勝ち目のない
戦いで無残に殺された無数の兵士、満州に置き去りにされた一般の人々、一般
人まで自殺を強いられた沖縄戦、零戦で死地へ向かわされた若者たち・・・等々
人間が理不尽に死ななければならない戦争というものが、いかに恐ろしいものか、
戦後の困難な生活にも裏打ちされて身に沁みている。

                                      

戦争の実体験が全くない人達ばかりになってしまい、(太平洋)戦争に対する
真摯な反省と歴史に学ぶことを意識的に避けてきた歴代自民党政治は、今また
安倍内閣という軽率で危険な思想を持つ政権を作ってしまった。日本は今まさに
重大な岐路に立たされているのだと思う。

明治時代、日露戦争では崩壊間近だった帝政ロシアにかろうじて勝利を収めた
けれど、当時の(明治の)軍人はそれ以降の人間とは違って、謙虚で慎み深く
「勝てたのは、天佑である」とし、戦争というのは勝っても負けても空しいもので
あると、しっかり事実を見据えていた。

軍備を強化し、強権国家を造ることが国を強くすることだと思っているらしい、幼
稚で的外れな現政権とそれを支持している人達は、もう一度明治以降の日本の
歴史を勉強し直してもらいたいものである。

戦争と軍事強化に賛成するひとは、自分や親戚の子供たち、孫たちを死地に追
いやるだけの覚悟があってのことなのかどうか、よく、よく考えて欲しいものだ。