Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

最初で最後

2013年04月05日 | Weblog

                                    

人間生まれるてくるときの記憶は無いから、初めて肺呼吸したとき、果たして恐
怖とか苦痛とかといことを感じていたのか、あるいはそういう感覚が存在してい
たのかどうかさえ定かでない。つまり、その瞬間は今生きている自分にとっては
「無」に等しい。


死というものを段々身近に感じるようになってきた故か、老後、終末、葬式、遺
言などに関する記事やブログに直ぐ目が行くようになった。他人が書いたもの
を読んでいると、”生きるということは大変である”という人が多い。

「死」は生まれる前と同じ「無」に等しいとEdは考えている。”生きるということは
大変である”と他人がいう、そのことをもう少しよく考えてみると、どうやら死を迎
える直前を「生きる」ことが「大変」なのだ、と云っている風にEdには聞こえる。

しかも最近は核家族社会だから、独りきりで最期を迎えるひとが多くなったので
余計そう感じるのかも知れない。生まれるときも独りなら死ぬときも独り、とはよ
く云うけれど、生まれてくるときと違って、終末を迎える時は自分の「意識」や「感
情」が残っている場合が多いから、考えているよりも実際は大変なのだろう。

                                      

終末は自宅で家族に見守られて死ぬのが最も幸せだとEdも思う。それは無理
として、独りでもいいから、
せめて病院ではなく自宅で最期を迎えたいとは思う。
Edが子供の頃は近所にかかりつけのお医者さんがいて、家族の誰か具合が悪
くなると家まで往診に来てくれた。今またそういう医療方式を模索している地域も
あり、是非復活させて欲しい。

日本では、病院にしろ介護施設にしろ、北欧のように設備や人材が十分整った
、心のケアまでしてくれるような所はないし、あっても金持ち以外は入れない。
最期はせめて自宅で、と願うのは贅沢なのだろうか・・・