Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

教育

2015年01月10日 | Weblog

                  

日本が真珠湾で開戦した年に生まれたEdは、敗戦後米国によってもたらされた
民主主義の下で新たな教育制度によって戦後教育を受けた。当時の教師たち
は、(特に敗戦直後のころは)それまで教え込まれ信じ込まされてきたものが根
底から覆ってしまい、自分たちさえ経験していない新たな「民主主義教育」を任さ
れて、大いに戸惑ったのではないだろうか。


戦前の教育と思想の影を引きずったまま新しい教育を始めたわけだから、Edが
小・中学生だった頃の先生は子どもたちの悪戯や憶えの悪さなどには不寛容
で、中には生徒をすぐ怒鳴ったりチョークを投げつけたり頬を張ったりする先生も
多かった。しかし子どもたちに愛情があり、優しさに溢れた先生もいた。


Edの家は中でも特に貧しかったからだと思うけれど、小学生のころ休みの日に
友だちと数人で先生の家に招待され食事をご馳走になったりした。今思い出す
と、そこには単なる先生という教育者だけではない「人間性」を感じる。無謀な戦
争によって日本全体が破壊され、誰もが貧困のどん底に喘いでいたなかで、先
生が見せてくれた優しさは我々に、他人にはどう接すべきかという人間としての
大切な心を植えつけてくれた気がする。


                                                

以前にも書いたけれど、高校でEdが最も強く印象に残っているのはM先生の社
会科で、日本国憲法の前文並びに9条他主だった条文を全て暗記させられたこ
とである。その当時は「どうして暗記まで・・・」と思ったのだけれど、後から我々
に”国民として大切なことを、良くぞ叩き込んでくださった”と感謝するとともに、M
先生の先見性に頭が下がる。


現在の学校教育で憲法がどのように教えられているのか知らないけれど、国民
一人一人が守り大切にすべき憲法は学校で確り教えなければならない。学校で
憲法を確り教育することは国、教師の義務であり、文部省だって異論はないはず
である。今改憲を目論んでいる安倍政権は、目的の為なら何でもやってしまいそ
うな勢いだが、我々はもう一度日本国憲法を読み直し各自が内容を再確認した
ほうがよい。


第9条を変えるのが未だ難しいと判断した安倍内閣は、9条は表には出さず、姑
息にも無関係な部分を挙げて憲法改正の試みをやろうとしている。こういう”騙
し”にむざむざ我々国民が引っかかるようでは、日本もお終いである。


                                                

東工大の上田紀行先生の仰る通り、日本人の習い性とも言うべき「周りと一緒な
ら安心」という考え方は、もういい加減でやめて、各自が自ら考え、自分の考えで
行動するときが来ている。

                  



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