F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

ウロウロヨロヨロ旅-九州編第24日-3 知覧武家屋敷群

2015年11月13日 06時58分29秒 | 旅行記
知覧特攻平和会館から数分のところに知覧武家屋敷群があります。市役所隣の有料駐車場200円に駐車。

南九州市役所。



数分で、



近くのお店で庭園鑑賞のための入場券を買います。500円。

約1キロの石垣と生垣の道の両側に庭園が鑑賞できる家が7軒。建物が見学できるところが2軒。正式名称が知覧武家屋敷庭園というように屋敷というよりも庭を見るところでした。



門。



庭。



門。目隠しのように正面に生垣があります。





庭。生垣と一体化しています。何年かければこうなるのでしょうか。



門。



庭。京都のお寺でこんな庭を見たなと思いますがお寺の名前までは思い出せません。



外から見ると、



魔除け。





昔の家。かぎ型の作りがこの地方の特徴。





無料開放。









門。



庭。



門。



庭。





門。



庭。



気持ちの良い道を引き返して見学は終わり。見ごたえはありました。武家屋敷といっても家老の屋敷、下級武士の家などそれぞれ特徴があります。

また、どこかにあれば見に行きましょう。



近くの温泉。330円。



道の駅「川辺やすらぎの郷」で停泊。

本日の走行距離 55km

この旅の累積走行距離 2,750km







ウロウロヨロヨロ旅-九州編第24日-2 知覧特攻平和会館

2015年11月13日 06時21分28秒 | 旅行記
枕崎へ移動。港のすぐそばのお魚センター。大きくはありませんがカツオ節のいい香りがします。





2階のレストランで。



海を見ながら、刺身はコリコリ、カツオは臭みなし。久しぶりに鹿児島の甘いお醤油でいただきました。





7月北海道の紋別で、8月新潟県の新発田市でオイル交換。1時間ほど前にすでに6000キロ走っていることに気づき、枕崎でオイル交換、空気圧の調整をしました。



知覧に向かい、灯籠の並ぶ道を行くと駐車場。



歩いて、







知覧飛行場には陸軍太刀洗飛行学校の分校がありました。そして、全国から特別攻撃のために集まって出撃する基地でした。



中には1036名の方の遺影や遺書とともに一式戦闘機「隼」と四式戦闘機「疾風」が展示されています。また、引き揚げられ無残な姿の零式戦闘機も。撮影禁止。
お年寄り、若者、小学生など多くの方が遺書の前でたたずんでいました。

一時的に過ごした三角兵舎。





周りは慰霊の施設が多くあります。





飛行機は航空自衛隊の初等練習機。



石原慎太郎氏が総指揮をした「俺は、君のためにこそ死ににいく」の撮影で使用された「隼」。碑。







故高倉健氏が元特攻兵を演じた映画「ホタル」の碑。



「特攻おばさん」と呼ばれた鳥浜トメさんの営んでいた「冨屋食堂」。



「ホタル」にも出てきます。



昨年ノーベル賞を受賞した赤崎先生は知覧のご出身でした。



なぜもっと早く、戦争を止めれなかったのか、いつも思うことですが、政治家にも、軍部にも、冷静に判断できるグループがいれば・・・・・












ウロウロヨロヨロ旅-九州編第24日-1 万世特攻平和祈念館

2015年11月13日 03時38分50秒 | 旅行記
道の駅「きんぽう木花館」で起床。
薩摩半島の西側にある吹上浜の南端、南さつま市に昭和20年3月から7月までの4か月間、日本陸軍の万世飛行場がありました。



沖縄戦が行われたこの4か月間に201名の若者が沖縄沖の米国艦船への特別攻撃のためこの飛行場から飛び立ち散華されました。

万世特攻平和祈念館はこれらの若者を慰霊し、文字通り、平和を祈念するために作られました。知覧から10数キロの距離にあります。





建物は初等練習機(赤とんぼ)の複葉機と合掌を組み合わせたデザインです。



1階には砂浜を模した上に零式水上偵察機が展示されています。





昭和20年6月、沖縄方面の偵察後、吹上浜沖で燃料が尽き、不時着水、乗員3名は助かりました。平成4年、引き揚げられました。



このような飛行機でした。



全長が約9m、全幅が12mの零式戦闘機に比べ、全長11.5m、全幅14.5mと大変大きく感じる機体です。

遺書などがある2階は撮影禁止です。

1階には有名な子犬を抱いた少年兵の大きな写真がありました。彼らは写真を撮った翌日、万世飛行場から特攻を敢行しました。



後で行った知覧特攻平和会館には大変多くの方が来られていましたが、万世平和祈念館はF老人一人でした。