依頼されていたグラスを彫りました。原稿を作って。
2014年3月14日(金)
現在地です。
晴れました。
内宮に近い駐車場に一番乗りでした。
おはらい町のFamily Martで朝食ゲット。
内宮の御祭神はいうまでもなく天照大御神ですが、個人的なお願いはしないものだそうです。そうなると、中国・韓国との・・・・・・となるのも偏狭かとただ「いい国になるように」とお祈りしました。
鳥居をくぐり、五十鈴川にかかる宇治橋を渡ります。右側に日の丸が翻っています。
以前、テレビの式年遷宮特集番組で橋の架け替えを見て、大工さんのすごさを感じていましたので、本物を見ることができ、なおさらその丁寧さに驚きました。
声高な台湾語を聞きながら五十鈴川で手を洗いました。
まもなく正宮。
写真撮影はここまで。昔はもうひとつ内側で参拝させていただきました。
荒祭宮。wikiでは「荒魂は神の荒々しい側面、荒ぶる魂である。天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きである。神の祟りは荒魂の表れである。それに対し和魂は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面である。神の加護は和魂の表れである。」と説明されています。神も人と同じようにいくつもの側面があるようです。
御稲御倉(みしねのみくら、ごとうのみくら)小さいながら、内宮と同じ唯一神明造だそうです。最初に立てる2本の柱が特徴です。屋根の微妙な曲線と柱などの直線の組み合わせが美しい。
一日待ち、青空の下で参拝したことは正解でした。
まだ、開店準備に忙しいおはらい町、おかげ横丁を散策。
リクルート事件で失脚した元官房長官の生家、ご本人もここで饅頭を作っていたそうです。
最後の訪問地「松阪」へ。
お城の近くの駐車場は満杯で少し離れた図書館の裏の駐車場に停めて、自転車で回ることにしました。
お城で自転車を置くところを探していると「本居宣長記念館」にたどり着きました。本居宣長は18世紀後半、松阪で35年かけて「古事記伝」を著しました。商人の子で大変な勉強家だったそうです。記念館には細かいメモの書かれた資料が多く展示されています。松阪の人たちの誇りのようで熱心に説明してくれました。
旧宅で門人に講義をしていた鈴屋(すずのや)が城内に移築再現されています。
松坂城址は石垣しか残っていませんが、城作りの名手、蒲生氏郷が築城した会津に移封されるまで6年間治めました。江戸時代、当地は紀州藩の一部となり、城には城代が置かれ、城は早々に天守閣が台風で倒壊したそうです。
しかしながら、古い石垣は立派なものです。
建造物は残っていません。
一部は梅林に。
満開、寸前。同じ枝から色の違う花が咲いていました。
城跡から市役所方向を見ました。古い歴史を感じる城跡でした。
昼食時になりました。松阪牛を避け、ヘルシーメニューにしました。城跡に隣接する本居宣長の宮境内の「本居庵」で名物「自然生料理」(じねんじょうりょうり)「とろろ御膳」をいただきました。
自転車で「松阪商人の館」(小津清左衛門住宅)へ。駐輪場も駐車場もありません。近傍の長谷川邸も公開の準備中ということですが、お城近辺に観光用の駐車場も整備してもらいたいものです。
紙問屋として栄華を極めた小津家の邸で蔵や立派な台所も残されています。
近くにある「三井家発祥の地」。門構えのみです。
松阪を後にして、給油ののち、うどん亀さんがネットで見つけた三重県津市榊原町にある「榊原自然の森温泉保養館 湯の瀬」へ。
山の中腹にあり、地元のお年寄りでいっぱいのお湯でした。
65歳以上は250円。お年寄りが多い理由でした。この露天風呂が温度設定がいいのかすばらしく気持ちのよいお湯でした。
その後、伊勢道、東名阪道から新名神道、名神大津SAを目指しましたが、途中で事故渋滞、googlemapナビの示した迂回路で名阪国道へ、そして、途中で降りて一般道を新名神甲南ICへ。ここで高速道路に乗り、大津SA到着。大型車駐車場のトイレなどに一番近いところへ案内され、停泊。
昨年の4月にリニューアルされたそうです。24時間営業。横浜に住んでいるころは帰省のたびによっていましたが面影はありません。
夕食は、近江牛の柳川風。おいしくいただきました。
最後の酒盛りは芋焼酎、「前田利右衛門」。
明け方、近くのトラックのエンジン音が気になりましたがおおむね熟睡。やはり、SAでは小型車のところが静かででいいようです。
2014年3月13日(木)
道の駅「伊勢志摩」停泊中。夜半から風きり音と車体のゆれが激しく、雨も降り続いています。キャンカーちゃんは横風に弱いし、晴れた日に内宮を参拝したいので、1日お休みにすることに決定。
前日、コンビニで仕入れたおにぎりで朝食。
こういうこともあろうかと、数冊の本を持ってきました。志摩市の道の駅に停車した車の中で風にゆらされながらという非日常的な環境でしたが、物語にひきつけられて、熱中してしまいました。読んだ本は藤原緋沙子さんの「切り絵図屋清七 ふたり静」と「切り絵図屋清七 紅染の雨」です。武家を捨てた清七が二人の仲間と有名は江戸切り絵図を作るという設定の中で人情、恋愛などがしっとりと進みます。ときどき、goo地図の古地図サイトにアクセスして、本物の切り絵図で確認しながら読みました。2代目歌川豊国の晩年ごろ1830年ごろの設定でしょう。
実際の江戸切り絵図が版元尾張屋から最初に出されたのは嘉永2年(1849)です。
道の駅のレストランで昼食。うどん亀さんの調査でここの伊勢うどんは評判がいいということで、伊勢うどんと鉄火丼のセットをいただきました。伊勢うどんのタレはうわさどおりでした。
隣は物産館。
その隣は場外馬券場。中に入るのは初めてで1レース分見ました。この殺伐とした雰囲気と負けた人の悔しさが充満したような空気にはついていけそうにありません。
夕食兼酒盛りは道の駅で購入したコロッケとかまぼこをさかなに地焼酎「この空この海このあおさ」で。ほのかに海草の香りがしておいしい焼酎でした。
2014年3月12日(水)
熊野川河畔の道の駅「奥熊野古道ほんぐう」で爽やかな朝を迎えました。
前日、向かいのスーパーで仕入れていたおにぎりで朝食。
168号線を海岸線に向かって走り、42号線で新宮市から三重県紀宝町に入りました。紀伊=和歌山県のような感覚でいましたが、東紀伊は三重県でした。海岸線に沿って旧道を走り、道の駅「紀宝町ウミガメ公園」に立ち寄りました。
年間数頭から十数頭のウミガメが道路を隔てた砂浜で産卵するようです。
ウミガメふれあいパークという建物があり、オジサン二人で入ってみました。水槽に数頭のウミガメがいて、100円で買ったえさをやるとパクリと飲み込みそのたびに鼻の穴から水を噴きます。
次いで道の駅「パーク七里御浜」へ。中はスーパーか小さなショッピングモールのような感じで、本日の酒盛り用に地の焼酎を購入。
うどん亀さんとの酒盛りのルールは720ml入りのなるべく地の焼酎を手に入れ、なくなったら終了ということで、後を引くような買いだめはしません。
歩道橋で道の向こうの浜に出ました。七里御浜という砂浜(石浜)でした。
見事な丸い石の浜でした。
さらに海岸沿いに北上。桃太郎の岡山出身者には気になる名前の景勝地があったのでお立ち寄り。
隆起と侵食でできた奇岩、若者たちも楽しそうでした。
近くで見ると。
駐車場に水産物直売所があり、マグロ丼の張り紙がありました。時間もちょうどよかったので、即、購入。600円、安い。
漬け丼風で、タレもおいしくめっけものでした。
ここから紀伊長島まで約2時間、坂道とトンネルが続きました。エンジンに比較して車体の重たいキャンカーちゃんは一生懸命走りました。
ようやく、道の駅「紀伊長島マンボウ」に到着。
ここからも一般道は坂道が多く、時間を稼ぐため「伊勢道」で伊勢神宮外宮を目指します。途中で、電車に乗り遅れて道端にいた乙姫様を同乗させ、宇治山田駅まで送りました。
外宮の駐車場に到着。
予想以上に多くの人がいて驚きました。
せんぐう館を見学。入場料は300円でしたが内容は充実しており、大変よく分かりました。
ゆったりした気持ちであるきました。
外宮は豊受大御神(とようけおおみかみ)をお祀りしています。お名前の「うけ」とは食物のことで、食物・穀物を司る神です。
古いほうの社殿。
新しい社殿。
別宮も新たに建て替えられており、こちらは撮影の制限がありませんでした。屋根の線など見事です。
日没が迫ってきましたので、志摩半島のリアス式海岸が一望できる横山展望台へ。
吉村昭氏の「朱の丸御用船」という小説を読んだことがありました。ここは難破船が漂着する地域で、その荷物の隠匿に関する物悲しい小説でした。また、江戸時代、この地域を出港すると伊豆半島、三浦半島まで途中の遠州灘などは避泊できる場所がなく、そこで遭難する船が多かったとも書かれていました。
本日の温泉は、志摩スペイン村のひまわりの湯でした。正面玄関。
お風呂だけ利用の人は外側を回って横から入ります。清潔で広く、昼間であれば見晴らしもよさそうでした。
道の駅「伊勢志摩」で停泊。夕食はインスタントラーメン。地の名物続きでしたが、たまにはこれがおいしい。
本日の酒盛りは地焼酎。「熊野水軍」。天候の悪化が懸念される夜でした。
A:道の駅「奥熊野古道ほんぐう」
B:道の駅「紀宝町ウミガメ公園」
C:道の駅「パーク七里御浜」
D:鬼ヶ城
E:道の駅「紀伊長島マンボウ」
F:伊勢神宮 外宮駐車場
A:伊勢神宮 外宮駐車場
B:横山展望台
C:志摩スペイン村ひまわりの湯
D:道の駅「伊勢志摩」