月曜日沢港の駐車場に軽トラ君を置いて、別の車で三原に移動しました。そして、昨日のことです。生口島へ移動するため須波港まで送ってもらいフェリーに乗ろうとすると、減便されて時刻表が変わり、目の前で小さいフェリーが出港していきました。
調べて見ると先月の19日から時刻表が変わり、使用する船も小型化されていました。航路を存続させるため四苦八苦されていることがよくわかりました。
1時間10分、本を読みながら待つことになりました。ようやく、船が来ました。
岸壁でもやいをとっている人に聞くと、もともと新居浜で使われていて、震災後、三陸で走っていたとのこと。
乗り込みました。
2列の車両甲板。
同じレベルにある客室。階段の上り下りがなくなったので楽です。
大島⇔黒島の字が消されていました。
本日調べて見ると興味深いことがわかりました。
新居浜には「大島」という島があり、四国本土側の黒島(島の名前ではなく、地名)との間をフェリーで結ばれています。(片道15分)
2011.3.11 東北大震災が発生しました。宮城県気仙沼市の本土とすぐ沖合にある島「大島」との間はフェリーと客船7隻で結ばれていましたが5隻が島に乗り上げ、炎上したり、沈没したりして壊滅状態になりました。
3.13 小型船で1日3往復から始まり、4月27日江田島市から無償貸与された「ドリームのうみ」でカーフェリーが再開されました。
愛媛県新居浜市では大島までのカーフェリー「おおしま」が老朽化したため広島県鞆の浦にある造船所で新造船「おおしま7」を建造、同じ造船所に気仙沼市の大島汽船が新造船を発注する縁があり、「おおしま」は気仙沼市の大島汽船に無償譲渡されました。
そして、2012.3「ドリームのうみ」は江田島市に返却され、代わりに「おおしま」が活躍しました。
2012.7大島汽船は新造船「ドリームおおしま」(江田島市に感謝の意を表するためあやかった船名にしたそうです。)を就役させました。気仙沼市の文書によりますと、大島汽船は「おおしま」を引き続き使用するためには多額な検査修理費が掛かり、廃船にするとしても経費がかかるということで売却することになり、売却益と思われる400万円が気仙沼市に寄付されています。
売却先は東南アジア方面とされ、2012.12、熊本県の天草に向け回航されました。
それから、約10ヶ月、「おおしま」は「やっさもっさ」と名前を変え、三原の海に来たのでした。代わりに、いままで走っていた「しまなみ」が東南アジアにいくという情報もありました。「大島」と「おおしま」が錯綜してわかりにくくなりました。
船の一生は人間の一生と同じで何が起こるかわからないと聞いたことがあります。新居浜で多くの人と車を運び、震災後の気仙沼で活躍し、瀬戸内海に帰ってきて三原で余生を送るのか、また、新たな展開があるのか・・幸せな一生であることを祈っています。
沢港で降りてから撮りました。まだまだ元気そうです。