F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

安芸市立歴史民俗資料館・野良時計・童謡の碑・岩崎弥太郎生家

2017年11月30日 21時05分19秒 | 旅行記

山内一豊は、安芸に五藤氏を置いて治め、1700年に奉行職を拝命して以来、幕末まで藩の要職にあって藩政を司りました。土居廓中は家老職五藤氏を中心とする城下町でした。そのあとに立っているのが歴史民俗資料館です。





ほほに矢を受けた山内一豊の顔を踏みつけて矢を抜いたのが五藤氏です。家宝の矢じり。



変わった紋です。







弘田龍太郎という名前を初めて聞きました。ところが「叱られて」や「鯉のぼり」、「浜千鳥」などを作曲した人でした。三歳まで安芸市にいたそうです。



車を置いて散策に出掛けました。





有名な野良時計です。「土居村(現在の安芸市土居)の大地主であった畠中源馬は時計に興味を持った。明治20年(1887年)ごろアメリカ製の八角掛時計を取り寄せて分解・組み立てを繰り返し、やがて自作の時計を作ることを思い立った。独学で全てのパーツを一人で作製したといわれる。当時は殆どの人が時計を持っておらず、周囲の田園で農作業に従事する人々が時間を知るのに役立っていたと言われる。(引用)」

今も動いているのか、だいぶ時間はずれていたけど。しかし、奇特な人がいたものです。









童謡の碑。





廓中ふるさと館というところに寄って昼食。



かき揚げしらす丼。1000円。



車まで帰り、岩崎弥太郎生家へ。駐車場に銅像がありました。





台座に。「武蔵」は、三菱重工長崎造船所、ゼロ戦は、三菱重工大江工場で。





生家。どうも龍馬伝で見たものと重なりません。





立派な蔵。



幼少のころ、





三菱グループの人が建てた碑。



鮮やかな千両が印象的でした。
















手結港可動橋・震洋隊殉国慰霊塔

2017年11月30日 19時48分44秒 | 旅行記
道の駅「やす」で起床。昨日仕入れておいた半額おにぎり弁当で朝食。

歩いて行ける手結港可動橋の見学に行きました。





香南市夜須町手結にある手結港は、江戸時代初期に河口の岩盤を人手によって掘削して石積みした日本最古の掘り込み港湾ともいわれ、その港の入り口に架かる片側跳ね上げ式の可動橋である。日本でも珍しい可動橋の形式で、橋の手前には踏切のように遮断機が設けられている。

建設費21億3000万円を投じて2002年(平成14年)9月完成した。長さは約32.8 m、幅員は7.0〜9.0 mで海側に幅2 mの歩道を有する。開閉時間は約6分かかる。警報機が鳴り始めると遮断機が下り、その橋はゆっくり上がり始める。1日のうち約7時間だけ橋を渡ることができ、その他の時間は船舶通行用である。駆動は油圧シリンダー方式で、跳開角度は最大70度である。(引用)

上がり始めました。列車の踏み切りのような金と遮断機。



6分後、上がりきりました。





古い、小さな港。



夜須駅。1両編成が多いのですが、朝晩は2両編成になるのでしょうか。



態勢を整えて、出発です。約2kmnところに「震洋隊殉国慰霊塔」があり、ぜひとも、お参りしたかったのです。

第128震洋特別攻撃隊 (手結)幻の土佐沖海戦


終戦翌日の昭和20年8月16日午後七時頃、高知県須崎の第二十三突撃隊司令から「本土上陸の目的をもって敵機動部隊が土佐沖を航行中、直ちに出撃してこれを撃滅すべし」との戦闘命令が、二十三突の震洋隊・回天隊へ発令された。

手結基地「震洋」隊でも直ちに準備にかかり、「震洋」試運転中に突然一艇から発火し、22艇が次々と爆発し搭乗員、整備員等111名が爆死した。

これを発見した見張所は「敵機動部隊、高知平野東部手結岬方面を砲撃中。目下付近の海軍特攻部隊は続々出撃、戦果拡大中」と打電。これを受けた陸軍四国防衛軍は大本営に「敵艦船とわが海軍部隊が交戦中」と報告した。四国在の各部隊は一斉に戦闘配置につき、第二十三突撃隊本部から須崎と浦戸の基地回天隊にも「回天戦用意」が発令された。
 
翌17日朝、誤報であることが判明し各隊の戦闘用意は解除された。終戦後の混乱期にあっとはいえ、この事件は世間に大きく取り上げられる事も無く終わった。
 
昭和31年にいたり地元の夜須町有志が立ち上がって奉賛会を結成するとともに、各方面から浄財を集め「震洋隊殉國慰霊塔」を建立、毎年8月16日に慰霊祭が執り行われている。(殉 國 之 碑 引用)

終戦の翌日、こんなに多くの人が亡くなっていたのです。





名簿から分かることは下士官、兵が圧倒的に多いことです。おそらく、若者ばかりです。



護衛艦「のしろ」の主錨が献じられています。



去りがたい思いでしたが・・・。



最後に敬礼して、慰霊塔を後にしました。









牧野植物園・竹林寺・掩体壕・絵金

2017年11月30日 09時00分34秒 | 旅行記
天神橋パーキングで起床。きれいなトイレを探しに散歩。スターバックスでカプチーノ+トイレ。



みんなあわただしく出勤、通学にいそしみます。自転車が多い。



落ち着いたところで出発。牧野植物園に来ました。五台山という山が植物園になっております。





牧野博士の一生を紹介しています。意外にも学歴はありませんでした。





竹の林。



寒蘭。





花の少ない時期ですが



見事な紅葉。



変わった菊。



温室。







モンステラでしょうか。大きい。



すぐ隣が31番札所「竹林寺」。







紅葉。





五重塔。



前浜掩体壕群。







絵金の町、赤岡。



遅い昼食。



絵金蔵。撮影禁止でした。無頼の絵師と思っていましたが、「弘瀬金蔵」といい、北斎に学び、まっとうな絵師だと知りました。



贋作事件に巻き込まれますが、赤岡で生きていきます。



最後に。



道の駅「やす」で停泊。ここは、10数年、国体の支援で訪れたところ。土佐ロイヤルホテルで入浴。1000円。






いの紙の博物館・桂浜・高知城・高知城歴史博物館など

2017年11月29日 20時17分09秒 | 旅行記
道の駅「土佐工芸村」で起床。

いの町立紙の博物館を見学しに行く。ちょうど、版画展も開かれていることだし。



紙すきの道具など。昔の人は工夫がすごい。





楮などの原料5,500gから



220gの紙ができます。4%です。96%は途中の工程でなくなっていくのですねえ。



紙漉き名人。



版画展は撮影禁止。精巧なもの、大胆なもの、外国の人と日本人の作家が50%ずつくらいでした。

桂浜へGO。いつみてもいいですねえ。



龍王岬に行ってみました。





眼下に社。



龍王岬から龍頭岬を見る。絵になりますね。



坂本龍馬の銅像は何かの工事中。クレーンを背にした龍馬。



クレーンが入らない角度で。



楽しみにしていた龍馬記念館はリニューアル中でした。

いよいよ、高知市街へ。「天神橋パーキング」はひろめ市場など繁華街まで約10分。一泊2,000円でした。





まず、腹ごしらえ。土佐自然堂、濃厚和節ラーメン。魚のにおいが結構きついので好ききらいが分かれそう。メニューはほかにもありますのでご安心ください。





登城。まず、山内一豊にご挨拶。





あ、将棋好きが集まるところはここなのか!



気を取り直して、国宝だったのは戦前のこと。今は重要文化財、国宝にしようという運動があります。松江城のことあるし、これだけの規模で残っているのは、すばらしい。



石垣は、一見、野面積み、しかし、石と石の間にある小石がありません。美しい石垣です。



追手門を通り、



なんと正面には板垣退助。岐阜城を見に行って、ふもとで暴漢に襲われた。そのとき、「吾死スルトモ自由ハ死セン」と、これがやがて「板垣死すとも自由は死せず」という表現で広く伝わることになりました。まだ、40代で、それから、37年も生きていました。



突き出ているのは「石樋」です。



一豊の妻の像。千代という名で、2006年に放送された「功名が辻」では、仲間由紀恵が演じました。

”一豊が織田家の一家臣でしかなかった頃、近く馬揃えがありました。馬揃えとは、簡単に言えば、近く行なわれる戦の前に、馬を一堂に集めてその検分をするもの。その頃来た馬売りが連れてきた駿馬を見て、欲しいと思うが金がなかった。それをみかねた妻・千代は夫に何かあったらと父から嫁入りの時に渡された10両を一豊に渡した。そして、一豊はその10両でその馬を買った。そのみごとな馬は信長の目をひき、感心も得ました。(引用)”



三の丸の石垣。見事なものです。



詰門。右に迂回してこの門の2階を通って天守閣に行きます。





本丸御殿と天守閣。



一時は相当傷んでいたのです。



本丸御殿。透かし彫りが斬新です。





天守閣。現存天守12個目、最後になりました。質実剛健。





天守閣からの眺め。新しく作られた「高知城歴史博物館」が見えます。





満喫して、高知城歴史博物館へ。



フラッシュをたかなければ撮影可能。いいことです。



土佐の歴史をわかりやすく解説しています。維新の前後、わかったような気分にはなりますが、しばらくすると・・・・。藩主が大勢に付くからなのでしょうか。





坂本龍馬が生まれた町へ。歩いて15分。意外と大通りに面している。



でも通りを一本入ると水路が通り、昔の感じがあります



龍馬のうまれたまち記念館。入りましたがいろいろ工夫しているのはわかります。





はりやま橋まで歩きました。





ひろめ市場に寄りましたが一人では盛り上がらないのでパスしました。





雨に降られて帰りました。その後、小降りになったので夕食。ついつい、入ってしまいました。



よく歩いた一日でした。

本日のルート。



本日の走行距離。

44km

本日までの航跡。



本日までの走行距離。

508km

海洋堂ホビー館四万十・土佐久礼・武市半平太・青龍寺

2017年11月29日 14時16分57秒 | 旅行記
道の駅「ビオスおおがた」で起床。朝の砂浜を歩いてみました。



鳥がいました。



ビーチグラスを拾おうと波打ち際を歩いて見ます。2個だけ。



道の駅「ビオスおおがた」を散歩。







お世話になりました。

海洋堂ホビー館四万十を目指して出発。

なぜ、こんなところに作ったのか、と思うほど辺鄙なところです。



中に入ると





ありとあらゆる種類のフィギュアが。









ATXの迷彩塗装。



風神雷神の3Dバージョン。



仏像。



ジュラシックパーク用の恐竜の足。



息が絶える寸前のトリケラトプス。



などなど。時の経つのを忘れるほどでした。

次の向かったのは「土佐久礼」。駐車場に車を入れて。看板がこんなに小さかったかな、2度目にしては記憶が廃れています。





ここで魚を買って、



向かいの店で、食します。



今日はかつおのさしみ。美味でした。



ここで干物を食べてもよかった。



大正町の由来。



駐車場へ帰ると、以前にはなかった施設が。津波の避難塔です。純平タワーといいます。





上がってみると、町の反対側にも



多くの人に助かってもらいたい。穏やかな海だけど、牙をむくときがくるのでしょうか。



土佐久礼は漫画「土佐の一本釣り」の舞台。漫画家「青柳裕介」の像。



近くの八幡宮には



須崎市の横波三里と呼ばれる半島へ。

武市半平太の像が太平洋を望む高台に。





見晴らしのいいところから。



36番札所青龍寺を参拝。



石垣の先にはこじんまりとした本堂。





三重塔。



約30分走り、道の駅「土佐和紙工芸村くらうど」へ。印象とは違ったけどよくあること。入浴して夕食。





外食ばかりだと食べ過ぎ。



夜は雰囲気よく。



本日のルート。



本日の走行距離。

142km

本日までの航跡。



本日までの走行距離。

464km