F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

読書記録2015-002「不遇の提督 ―堀悌吉」

2015年01月30日 14時50分02秒 | 読書記録
お正月にNHKBSで再放送された「山本五十六の真実」を見て山本が遺書とも言える「述志」を託した海軍兵学校同期の堀悌吉のことを知りたいと思い、本を探しました。幸い、ネットで見つけることができ、古書屋さんから送ってもらいました。



海軍兵学校を首席で卒業し、山本五十六と「心友」となり、同期から「神様の傑作のひとつ堀の頭脳」と言われるほど怜悧でなおかつ人情家でもあったそうです。ワシントン条約全権随行員として条約をまとめ、軍務局長となり、「海軍の良識」として軍縮を進めようとしますが、上海事変、満州国、ワシントン条約破棄と戦争拡大へと進む流れに抗しえず、昭和9年、中将で退役させられます。その後、日本飛行機社長、浦賀船渠の社長を務め、終戦に至ります。

特に印象に残ったのは、ワシントン会議前後の世界における日本の立ち位置が全く変わったこと(戦艦の比率を日英の6割としたことで日本が信頼され、地位が向上したこと)、後に全く逆の評価となったワシントン条約破棄後の日本の孤立でした。現在の日本の防衛政策を選択するうえで大きな教訓となるのではないでしょうか。

さらに、山本五十六をはじめ、同期の男同士でよく旅行に行っていたこと。現在ではゴルフでしょうか。

昭和17年に夫人、終戦後すぐの10月長男を結核で亡くされます。経営者から退いたのち、昭和32年に映画「明治天皇と日露大戦争」の監修を務めたりし、昭和34年胃がんで亡くなられます。

述志は堀悌吉が山本五十六から託され、戦後発表しますがその原本は所在が分からなくなっていましたが平成20年発見されました。その記事です。

本書はF老人の知りたい部分が少し欠けていましたがそれは自分で見つければいいことでしょう。またまた、素晴らしい先人について学ぶことができました。中将は同僚であったK合君と同じ、大分県杵築市の出身で、世田谷の豪徳寺のほか杵築市にもお墓があります。杵築の街を訪れたらぜひお参りしようと思います。

尾道工芸展

2015年01月29日 17時23分40秒 | イベント
お世話になっている皮細工作家さんのご紹介で3月28日から4月19日まで千光寺公園のかおり館で開催される第25回尾道工芸展に参加できることになりました。ポスターの案が配られました。修正が加えられ、新しく参加することになった作家名が載るそうです。



尾道観光協会、尾道市立美術館の主催で、お花見の名所で3週間行われるイベントです。今日は打ち合わせ会議が行われました。陶芸家の方が一番多く、能面作家、神楽面作家など女性がほとんどの「手づくり市」とは異なり、男性が主流です。会場は花見会場から少し離れています。集客策が例年の課題のようです。

定番の作品のほか、「尾道」、「花見」をテーマにしたものを追加して準備します。

渡辺貞夫さん、いい生き方しているなあ

2015年01月26日 13時18分07秒 | 日記・エッセイ・コラム
畑に行こうとしたら小雨がポツポツしてきたのでやめて、昨日、録画しておいた「渡辺貞夫スーパービッグバンド~81歳 音楽と走り続ける~」(BSプレミアム)を見ました。渡辺貞夫さんは単身赴任中のドライブでよく聞いていました。
4,5人のセッションではなく、サックス6本、トロンボーン4本、トランペット4本、ピアノ、ベース、ドラムスという編成で全国を回ったあと、昨年12月14日渋谷のbunkamuraオーチャードホールで行われたツアー最終日のステージを撮影したものでした。ビッグバンドもいいですねえ。
81歳になられたそうですが「老成」という感じはまったくなく、みずみずしい演奏で、途中に挿入されたインタビューで「年はとったがパワーでは負けたくない、年をとればとるほど厳しい条件を課す、クリエイティブでいたい」と肩に力を入れず、いつもニコニコしながらおっしゃっていました。年をとったことに逃げると楽ですが、全然そんなところはありません。
見習いましょう、といってもF老人にできることはいいガラス彫刻作品を作ることと好奇心を満たすように旅に出ることぐらいです。

ジャパンFMネットワークの「渡辺貞夫 Nightly yours」という番組のFM OSAKAで1月5日に放送された録音がyoutubeにありました。


原町散策2015.01.24

2015年01月24日 20時16分19秒 | 日記・エッセイ・コラム
依頼されていた柑橘の発送を終え、散歩に出掛けました。
解体中の旧東生口小学校は屋根のスレートを外していました。簡単な鉄骨とスレートだけの屋根だったのですね。







一段低いところにある元小学校のプールも解体しているようです。



散歩していた時刻の温度は10.4℃で、すでに水仙が咲いていました。



黄色い花は「イヌカキネガラシ(犬垣根芥子)」で、昭和初期に日本に入ってきた帰化植物ということです。下のほうの葉は幅が数cmで開いていますが上のほうの葉は棒のようでこれが特徴です。





振り向けば岩城島の造船所と因島の山が見えます。一つの島のように見えますが、3つか4つの島が重なっています。






はっさく収穫中

2015年01月21日 21時03分59秒 | 農園作業
餌場にはヒヨドリしか来ません。ジョウビタキ、メジロも見るのですが餌場には来ません。



農作業は長時間しませんので少しづつしか進みません。これから収穫するところ。



安政柑もよく生りました。



レモンは収穫が終わりました。



明日は弱い雨の後、曇りのようです。ガラス瓶に穴を開けてランプを作る予定です。