お正月にNHKBSで再放送された「山本五十六の真実」を見て山本が遺書とも言える「述志」を託した海軍兵学校同期の堀悌吉のことを知りたいと思い、本を探しました。幸い、ネットで見つけることができ、古書屋さんから送ってもらいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/a5/6df324f712ceb5d6a455cd4f8f663153.jpg)
海軍兵学校を首席で卒業し、山本五十六と「心友」となり、同期から「神様の傑作のひとつ堀の頭脳」と言われるほど怜悧でなおかつ人情家でもあったそうです。ワシントン条約全権随行員として条約をまとめ、軍務局長となり、「海軍の良識」として軍縮を進めようとしますが、上海事変、満州国、ワシントン条約破棄と戦争拡大へと進む流れに抗しえず、昭和9年、中将で退役させられます。その後、日本飛行機社長、浦賀船渠の社長を務め、終戦に至ります。
特に印象に残ったのは、ワシントン会議前後の世界における日本の立ち位置が全く変わったこと(戦艦の比率を日英の6割としたことで日本が信頼され、地位が向上したこと)、後に全く逆の評価となったワシントン条約破棄後の日本の孤立でした。現在の日本の防衛政策を選択するうえで大きな教訓となるのではないでしょうか。
さらに、山本五十六をはじめ、同期の男同士でよく旅行に行っていたこと。現在ではゴルフでしょうか。
昭和17年に夫人、終戦後すぐの10月長男を結核で亡くされます。経営者から退いたのち、昭和32年に映画「明治天皇と日露大戦争」の監修を務めたりし、昭和34年胃がんで亡くなられます。
述志は堀悌吉が山本五十六から託され、戦後発表しますがその原本は所在が分からなくなっていましたが平成20年発見されました。その記事です。
本書はF老人の知りたい部分が少し欠けていましたがそれは自分で見つければいいことでしょう。またまた、素晴らしい先人について学ぶことができました。中将は同僚であったK合君と同じ、大分県杵築市の出身で、世田谷の豪徳寺のほか杵築市にもお墓があります。杵築の街を訪れたらぜひお参りしようと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/51/a5/6df324f712ceb5d6a455cd4f8f663153.jpg)
海軍兵学校を首席で卒業し、山本五十六と「心友」となり、同期から「神様の傑作のひとつ堀の頭脳」と言われるほど怜悧でなおかつ人情家でもあったそうです。ワシントン条約全権随行員として条約をまとめ、軍務局長となり、「海軍の良識」として軍縮を進めようとしますが、上海事変、満州国、ワシントン条約破棄と戦争拡大へと進む流れに抗しえず、昭和9年、中将で退役させられます。その後、日本飛行機社長、浦賀船渠の社長を務め、終戦に至ります。
特に印象に残ったのは、ワシントン会議前後の世界における日本の立ち位置が全く変わったこと(戦艦の比率を日英の6割としたことで日本が信頼され、地位が向上したこと)、後に全く逆の評価となったワシントン条約破棄後の日本の孤立でした。現在の日本の防衛政策を選択するうえで大きな教訓となるのではないでしょうか。
さらに、山本五十六をはじめ、同期の男同士でよく旅行に行っていたこと。現在ではゴルフでしょうか。
昭和17年に夫人、終戦後すぐの10月長男を結核で亡くされます。経営者から退いたのち、昭和32年に映画「明治天皇と日露大戦争」の監修を務めたりし、昭和34年胃がんで亡くなられます。
述志は堀悌吉が山本五十六から託され、戦後発表しますがその原本は所在が分からなくなっていましたが平成20年発見されました。その記事です。
本書はF老人の知りたい部分が少し欠けていましたがそれは自分で見つければいいことでしょう。またまた、素晴らしい先人について学ぶことができました。中将は同僚であったK合君と同じ、大分県杵築市の出身で、世田谷の豪徳寺のほか杵築市にもお墓があります。杵築の街を訪れたらぜひお参りしようと思います。