F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

028-2 大間

2015年06月30日 17時39分46秒 | 旅行記
むつ市から約40km、大間に到着。函館行きのフェリーはこの季節、1日2便。午前7時発と14時発。13時過ぎにフェリーターミナルに到着。



そのまま乗れたのですが大間で一晩過ごしたかったので明朝7時の便を予約。

本日の14時発に乗る人たち。



フェリーは大函丸。どこかで見たと思って調べたら昨年、内海造船瀬戸田工場で建造された船でした。瀬戸田で艤装中何度も見ています。観光案内所のお姉さんにあの船を作った島から来ましたというと大変驚いていました。

瀬戸田にいた時よりも大きく立派に見えました。



そして、本州最北端大間崎に移動。ここは車中泊、野宿人の聖地大間崎テントサイトです.周りはマグロをはじめとする海産物のお店がいっぱい。



空腹に耐えきれず、そのうちの一軒に突入。





ウニマグロ丼2500円。



凍らせず、水揚げから2日間寝かしたマグロ。とろけるようでしっかりしたウニ。美味でした。

本州最北端。





啄木の歌碑。東海の・・・・は大間を訪れた時の印象で作られたそうです。



そして「特務艦豊国丸」の慰霊碑。このすぐ近くの海底に沈んでいます。







車で5分のところにある大間温泉。





大きな浴槽の広い洗い場に数人の老人が洗面器を枕にして横たわっていました。思わずマグロのセリを連想し、生きが悪いと笑いました。

テントサイトに帰ってきて車中泊。テレビのアンテナが海を向いています。みなさん、函館の放送を見るそうです。天気予報もその方が参考になるそうです。

本日のルート。



本日の走行距離。

190km

本日までの航跡。



本日までの走行距離。

2,940km


028-1 道の駅伝いに北上

2015年06月30日 17時14分31秒 | 旅行記
道の駅「さんのへ」で早めに起床。遅くまで携帯で話していた自転車で日本一周中の若者が便所の床にシュラフだけで横たわっており、近くには酒を飲んだ跡が片付けられずに・・・・到底、日本一周が成功するとは思えません。

と憤慨しつつ、出発。写真撮影を忘れました。

まず、道の駅「とわだ」に寄ってみました。きれいな建物と環境です。隣は場外馬券売り場です。





続いて、道の駅「しちのへ」。生垣はリンゴの木。実がなっていました。





素朴ないいところです。





田舎と思っていたらすぐ近くに東北新幹線の駅がありました。

さらに北上。野辺地を過ぎ、道の駅「よこはま」。







少し北上して写真の撮れる場所があったので休憩。もう、むつ市に入りました。広島ナンバーの軽キャンパーが。広島市のご夫婦でしばらく軽キャンパー談義。奇遇でした。F老人は28日目ですが高速道路を通って3日間で来たそうです。









027-2 盛岡城

2015年06月29日 20時14分59秒 | 旅行記
花巻から岩手県の県庁所在地盛岡へ。F老人の数少ない行ったことのない県庁所在地でした。
ガイドブックにあった「盛岡冷麺」の店は駐車場のすぐそばにあり、入っていくと「平壌冷麺」と書いていました。一瞬迷いましたが食ったからといってテポドンのネジが一つ増えるということもなさそうだったので普通の辛さを注文。900円。



麺はシコシコすぎるぐらいで美味しかったのは味のついた肉でした。

歩いて5分のとことにある「もりおか歴史文化館」へ。

ちゃくちゃぐ馬っこや山車を見て南部藩のお勉強。下北半島まですべて南部藩だったとは。





展示されているものは素晴らしく戊辰戦争における秋田戦争についてもよくわかりました。

そして登城。



大規模なお城で天守閣はもともとありませんでしたが立派な石垣が残されています。







石川啄木は近くで学生時代を送りました。





赤い橋を渡って最上部に行くと本丸跡でした。





日露戦争で戦死した南部藩第15代藩主の嫡男南部利祥中尉の銅像の台座。





銅像は昭和19年金属供出のため撤去されました。このようでした。



ようやく岩手山が姿を現しました。今日は快晴です。



予定より少し遅れているので北上を開始。

石川啄木記念館は休館日でした。







代用教員をしていた学校。古いです。





生徒と啄木。



寄宿していた家。



途中、道の駅「石神の丘」で休憩。旅好きのご夫妻としばし歓談。ネット環境がないので北上を継続。道の駅「さんのへ」まで。

ついに青森県に入りました。

本日のルート。



本日の走行距離。

140km

本日までの航跡。



本日までの走行距離。

2750km


027-1 宮沢賢治記念館

2015年06月29日 19時50分29秒 | 旅行記
道の駅「とうわ」は雰囲気もよく、隣は温泉で、wifiが使えることになっていますが使えなかったこと以外はいいところでした。





約10分のところ、急で曲がりくねった坂道を登っていくとありました。「宮沢賢治記念館」。4月にリニューアルオープンしたそうできれいで内容も充実していました。







内容はとても難しく後から来た観光バスのおばあさんたちは理解できたのでしょうか。法華経に傾倒する宗教。科学好き。藤沢周平の海坂藩のように自分が作り上げた国のようなイーハトーブ。人のために生きたい-人を支配することに罪悪感を感じるような生き方などなど凡人は天才の世界に驚嘆するばかりです。

長生きしたらどうなっていたのでしょう。他にも関連する施設の見学などもできたのですが満腹感で花巻を後にしました。 

館内から見る花巻の景色は美しく、いいところでした。








026-2 中尊寺・毛越寺

2015年06月28日 21時13分49秒 | 旅行記
どこかシアトル近郊をドライブしているようなゆったりとして緑にあふれている・・・岩手に入ってまず感じたことです。あまり混んでいない駐車場に入れて杉木立の坂道・参道を歩いていくと、両側にいろいろなお堂があります。



弁慶堂。



弁慶堂御朱印。







そして開けたところから見ると東北本線の2両編成の電車と北上川。美しいところです。



そして中尊寺に着きました。





中尊寺 御朱印。。



金色堂へ。





いわゆる藤原4代のミイラの学術調査がされたのは1950年でいろいろなことが分かったでしょうが、今やるとさらにいろいろな謎がとけたことと思います。宝物殿には墓室から出てきた太刀と一緒に枕や衣服が展示されていました。

金色堂 御朱印。



「五月雨の降り残して光堂」松尾芭蕉は奥の細道の旅に出たのが46歳のとき。少し,年寄すぎませんか銅像は。



能面師のM先生に見せてあげたい藁ぶきの能舞台。





池に映る竹林。



車で5分。世界遺産になった時に仏の世界を表すと聞いた毛越寺の庭。









「夏草や兵どもが夢の跡」昔、俳句の好きなアメリカのご婦人の英語のわびさびがよくわからず困ったことがありました。





菖蒲園。



長年の疑問が解けました。



毛越寺 御朱印。



この後、花巻市の道の駅「とうわ」に移動。温泉付きです。550円。今日も熟睡できそうです。

本日のルート。



本日の走行距離。

160km

本日までの航跡。



本日までの走行距離。

2610km