F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

尼寺てづくり市第2日

2013年06月29日 22時18分12秒 | イベント

本日判明したこと-てづくり市の開かれている場所の地名が尼寺でした。国分寺の隣に国分尼寺があり、その跡地で地名が尼寺ということでした。

天候に恵まれ、また、お客様にも恵まれ、まあまあの成績でした。

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会場となった家もそうなのですが、賀茂台地と呼ばれる当地方は「居蔵造り民家」という瓦が赤茶色の家が多くあります。ひろしま文化大百科というサイトの記事を引用させていただきます。

賀茂台地の居蔵造り民家(かもだいちのいぐらづくりみんか)

 こげ茶の瓦を葺いた白壁の農家の美しいたたずまいが、西条盆地を中心にした、この地方の美しい特徴であるが、これは古くより生活の確立した要衝の場所柄のせいもあろう。しかし、芸藩通志にもこの地方に多く油瓦を製するなりと出ていて、この地の粘土による釉土瓦は丈夫なので、幕末より大正期にかけて、一気に茅葺きが瓦屋に改良される気運を作った。そうして、居蔵造りと称して、上8畳に下6畳、裏側も2間付き、それに土間の付く母屋にはつし2階が広く建て上げられて、母屋が出来、それに椽(たるき)側の廂(ひさし)が付くこととなる。後には上8、下6に更に6畳が付いて、三間流れとなり、土間付き重層入母屋の大屋根の立派な造りとなる。そうして、農家としての納屋、倉、門なども全て油瓦葺きに整えられて、時には作業納屋には2階部屋が設けられたり、裏2階座敷が整えられたりする。それらの農家構えは、油瓦の色彩と白壁と黒い柱などの木部とともに4周の丘陵地や田畑の緑とよく調和して、この地方独特の民家景観を作っている。しかもこの油瓦農家は明治中期より大正初期にかけて一挙に普及の度を進めたものであって、地域環境の美しくなるのも悪化するのも、実は30年内外、1世代で、いずれにでも転化してしまうことのよき例でもある。

2号線を西進していると三原市の本郷町あたりから、山陽本線では河内駅を過ぎたあたりから多くなり、赤茶色の釉薬のかかった瓦と鯱鉾などの飾りのある屋根が特徴です。

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お隣の家です。

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屋根と間取のほか、細部の作りが寺社建築のようです。

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肥沃な土地、気候に恵まれ、酒の産地としても有名なところです。

安芸国分寺の跡地の一部は、真言宗御室派、安芸国分寺となっています。境内を見学しました。

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こじんまりとしていますが趣のあるお寺でした。

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旧国分寺の金堂の基壇の上に現在のお寺の本堂が建っています。

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お寺に一角に鮮やかな青色のアジサイが咲いていました。ここは酸性土壌でしょう。

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いつもとは違う空気と場所で過ごした2日間でした。


尼寺てしごと市 第1日

2013年06月28日 20時27分34秒 | インポート

東広島市西条町の民家(古民家レストラン鳳仙花)での「尼寺てしごと市」に参加しました。道に迷いながらようやく到着、大きな家と1車線の狭い道、よく見かける光景です。

会場のお家とその裏にあるレストラン兼ギャラリーです。

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バナーがひるがえっていました。道案内がなければ到底行きつけなかったでしょう。

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周りの田んぼでは鷺がえさをついばんでいました。

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割り当てられたお座敷のスペースで準備。

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アパレル、鉄細工、陶芸、ビーズアクセサリーの方とご一緒しました。

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曇りで涼しい一日でした。お客は少なく、和気あいあいと時間が過ぎて行きました。いすを置いたすぐ脇のアジサイにカタツムリと小さなカエルがいました。

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手の上を這わせると爪と同じぐらいの大きさでした。

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葉っぱに返してやるとすぐに寝てしまいました。すぐ近くに「安芸国分寺歴史公園」がありました。

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広々とした公園です。興味を引いたのはここです。

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明朝も三原から約50分、2号線を走ってきます。


東広島市西条町でのイベントに参加します

2013年06月26日 20時24分01秒 | イベント

6月28日(金)・29日(土)と、東広島市西条町の古民家レストランで開かれる「尼寺手づくり市」に参加します。14の作家・作家グループが出展されるようです。

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近くに安芸国分寺(国分尼寺)の跡があるようです。プロの作家の方々もおられるようですのでいろいろ情報も得られそうです。

「あじさい」をいろいろなグラスに彫ってみました。

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雨が止んで庭に出て写真を撮っていると、道沿いの「ノウゼンカズラ」が咲き始めているのに気がつきました。

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つぼみがいっぱい付いているので当分楽しめそうです。

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高根島 内ノ浦トンネル

2013年06月24日 21時29分00秒 | まち歩き

瀬戸田に行きました。30分ほど時間がありましたので、以前から気になっていた高根島の内ノ浦トンネルを見に行きました。

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高根大橋を渡ります。

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橋を渡って左折、島を一周する県道370号線で海岸沿いから山に向かっていきますと小さなトンネルの入り口が見えてきました。

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昭和27年に完成した素掘りのトンネルで、長さは約120m、両端の20~30mはセメントで補強されていますが、中央部の数十mは彫り跡が生々しく残っています。幅は2.5m、高さ制限は2.2mです。

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素掘りの跡が残っています。

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不思議なのは内部からの補強がまったくないことです。おそらく、花崗岩の中をつっきったように掘られているのでしょう。軽トラ君でゆっくり走ると壁が波打つようにわずかですが広くなったり、狭くなったりしています。

トンネルを抜けると数軒の集落がありました。

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この先は道が一段と狭くなり、反対側の海岸線に出るまでほとんど1車線です。トンネルを通れない緊急自動車は反対側を大廻りしてこの道を通って先ほどの集落に行くことになります。

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5月30日の中国新聞の記事によれば、広島県は2014年度内の完成を目指して、トンネルと周辺の道路を幅5mに拡幅し、緊急車両、大型車が通れるようにするそうです。

反対側の海岸線に出ました。高根島北端に三原方向に光を放つ高根島灯台があります。明治27年に作られ、日本の灯台50選の一つです。いくのが大変なようです。

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海岸沿いの道、正面が多々羅大橋なのですが・・・

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ぐるっと回ってきました。高根島から見た瀬戸田桟橋です。国宝向上寺三重塔もいい位置に見えます。水道の狭さがよく分かります。

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わずか30分のドライブでしたが、来年度中には拡幅されるトンネルをみることができ、有意義でした。


辛坊治郎さんたちの救出

2013年06月22日 21時15分42秒 | 日記・エッセイ・コラム

辛坊治郎さんたちが乗っていたヨット「エオラス号」は浸水し、転覆したようです。海上自衛隊の救難飛行艇US-2で救助されたことが話題になり、家人から質問がありました。

「なぜ、ヘリコプターでつりさげて助けないの?」

遭難したのは宮城県沖約1,200kmです。塩釜にいるヘリコプター搭載巡視船「ざおう」(搭載機はベル212型)が派出されたとします。ベル212の航続距離は440kmですので現場での作業時間を考えると行きに200km、帰りに200km飛ぶのが最大でしょう。すると「ざおう」は1,000km進出する必要があります。ざおうの最大速力は23ノットですが連続すると20ノット程度で走ると思われます。20ノットを時速に直しますと約37km/hになります。1,000/37≒27、すなわち、27時間進出後でなければヘリコプターを飛ばせないことになります。もっと、長く飛べるヘリコプターもありますがいずれにせよ、巡視船が十数時間進出しないと救助のヘリコプターを派出できません。このほか、巡視船には荒天時の発着艦(船)用の設備がありません。

防衛省の正式発表「宮城県金華山(きんかさん)南東方沖における人命救助に係る災害派遣について(最終報)」によりますと、救助したUS-2が厚木を離陸したのは15:08、約3時間後に現場着、救出しています。救出した時の体温がすでに35℃に低下していたとの報道もあり、巡視船+ヘリコプターの場合、人命を救うことができたかどうか・・・と昼食のソーメンを食べながら説明しました。

海上自衛隊のHPのギャラリーから。

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実際に見ると大きさに圧倒されます。その感じが分かるサイトがありました。

素晴らしい航空機でインドへの輸出が検討されているようですが、問題は値段です。平成25年度防衛予算の概要によれば、1機の取得費が123億円です。生産機数が多くなれば多少安価にはなると思いますが、大変高価です。