今年のコウノトリの自然繁殖は、5月始めに巣の中にいる雛が12羽で卵の状態が7個ということです。毎年、繁殖状況は気になっていました。ということで、現地に進出。朝1番に、豊岡市のコウノトリの郷公園へ向かいました。
左側の建物中に資料が展示されており、セットされた単眼鏡から野外の巣塔にいる雛の姿を観察することができました。
野外に設置されている巣塔の頂上部分の実物大模型がありました。卵を食べてしまいそうなh原君ですが、生卵アレルギーで食べることはできません。
西公園という地区でえさを食べるコウノトリを間近で見ることができました。かってに野外にいるコウノトリがえさを食べに来ていると思っていましたが、後で確認すると羽の一部を切断して飛べなくしている一団でした。
現在野外にいる71羽のうちの数羽が近くの田んぼにいて飛んでいるのが見えましたが写真に撮ることができませんでした。野鳥写真家のアマアツさんであればバッチリだったと思いますが。
昼食は出石の皿そばということで出石に。西の丸駐車場というキャンカー向きの駐車場があったので停めて自転車で散策。最初に出石城へ。
関が原の後、小出氏の居城で、その後、松平氏を経て1703年から仙石氏の藩庁となりました。1820年代から30年代にかけて起こった「仙石騒動(藩の経営方針と藩主の継嗣をめぐる権力争い)」の舞台でもありました。この騒動を裁断したのが川路聖謨(かわじとしあきら)で吉村昭氏の「落日の宴-勘定奉行川路聖謨」と佐藤雅美氏の「官僚川路聖謨の生涯」を読んでいたので思い出し、感慨を新たにしながらお城を見物しました。
現在は一番上にある稲荷神社の境内にもなっています。以前来た時にもなぜ鳥居なのだと思いましたが同じことを繰り返しました。
石垣の上は、稲荷神社でした。
城跡から見た出石の町。高い建物はなく、いい雰囲気です。
下に降りて街を散策。桂小五郎が禁門の変の後潜伏していた町家。
表通りの観光客が殺到する蕎麦屋に行きたくなかったので、途中、地元の方にいいお店を聞いてそこに行きました。
「古都」というお蕎麦屋さんです。
気持ちのいい座敷でした。
皿そばとそばがきをいただきました。香りを楽しむにはそばがきです。またもあせって写真を忘れました。食べ終わった状態です。
皿そばはこんな感じでした。
s根君の希望で舞鶴の引揚記念館へ。約2年半、冬を3回すごした舞鶴でしたがほぼ素通りしました。
引揚記念館は引揚桟橋のあった湾を見下ろす高台の山に囲まれたところにあります。
中にはシベリアに抑留された方の悲惨な生活を伝える展示物などがあります。有名な引揚船の「興安丸」はその後、三原市で解体されました。三原港の近くに記念の錨が設置されています。
演歌好きのs根、h原君は桟橋を見下ろす高台に。
復元された引揚桟橋です。
そして旧友の待つ「道の駅・シーサイド高浜」へ。温泉、湯っぷると併設です。
海辺のレストランで魚のフライとビールで乾杯。
久しぶりに再会した友人と。うまく隠れました。
今回の旅は飲兵衛はF老人だけですので酒盛りはさらっとしたものですが、F老人はしつこく準備していました。