F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

備中松山城

2016年09月25日 19時28分40秒 | 旅行記
道の駅かようで起床。テレビは映らなかったのですが、free wifiが使えたので退屈することはありませんでした。

向かったのは備中松山城。途中、コンビニで朝食にしようと思いながら・・・ありませんでした。3度目だったのですが、様変わりしていました。
写真は忘れたのですが、途中からシャトルバスで。



シャトルバスの終点から約700mの山道を登ります。





やっと見えてきました。この段々になった石垣。



さらに階段を登って行くと



ついに天守閣のある頂部に。



派手な唐破風のあるこじんまりした天守閣。



内部は、2層しかないのですが、1層目には囲炉裏が



2層目には



外には、二重櫓。



遠くには高梁の町並みが



100名城スタンプをゲット。



シャトルバスで帰ってくると、真田丸のタイトルバックに備中松山城が使われている。



観光駐車場(有料)に車を停めて、街を散策。とりあえず、道が狭い。無料駐車場があるのは分かっていましたが、途中すれ違えない道ばかりなので。





山田方谷が教鞭をとっていた藩校跡。



面白いと思ったのは、川の上にある七福神。人が渡れない橋の上にあります。





あす、野暮用があるので帰らなければなりません。雨もポツポツ、温泉に入ってからかえりますか。











吉備路4/4(備中国分寺・こうもり塚古墳)

2016年09月25日 18時32分00秒 | 旅行記
続きです。

足守の観光駐車場から約15分、備中国分寺にやってきました。



五重塔。



古いものなのかといえば、そうではなく、江戸時代後期1844年に完成したものだそうです。しかし、備中の丘によく似あっています。



境内はいい雰囲気です。





御朱印。観光案内所で聞くと目立たない建物に入っていくとそこで書いてくれました。



外の目立たないところに「若鷲鎮魂之碑」がありました。備中地域の10代で散華した飛行機乗りの碑です。



約300m離れたところにある「こうもり塚古墳」。







石室が完全に残っています。









副葬品も多く見つかっており、6世紀に作られたものだそうです。




吉備路3/4(足守侍屋敷・近水園・木下利玄生家)

2016年09月25日 07時30分08秒 | 旅行記
続きです。

空腹に耐えかねて、入りました。



うどんはしこしこすぎる感じでしたが、小ぶりながらアジフライ、コロッケが外はパリパリ、中はしっとりで絶品でした。



備前には岡山藩だけと思っていましたが、「足守藩」2万5千石があったのでねえ。北の政所の兄、木下家定が立藩、徳川の時代に豊臣の遺臣が連綿と生きながらえてきたのでした。木下という姓が岡山には多いと思っていましたが、ヤクザもサーカスも。

緒方洪庵もこの地で生まれました。



武家屋敷が、一軒残っていました。立派な素朴な感じで、藁葺きです。









近水園(おみずえん)という藩主の庭が残っていました。訪れる人も少ないのか、誰もいませんでした。









木下利玄という大正期に活躍した白樺派の歌人が、生まれた家です。5歳で旧藩主の養子となって、東京帝国大学に学びます。その後、家人として活躍。







足守という初めての土地を散策し、小さいながらも城も持たず、生き延びてきた小藩のあったことに感激しました。

吉備路2/4(高松城址・最上稲荷)

2016年09月25日 07時00分46秒 | 旅行記
高松城址にやってきました。水攻めの中に主君である織田信長が明智光秀に討たれる本能寺の変が起きました。その報を聞いた秀吉はただちに毛利方と和睦を結んで、城主清水宗治の切腹を見届けた後、明智光秀を討つために軍を姫路へ引き返しました。いわゆる、中国大返しです。







清水宗治の首塚。



辞世の句。浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して。



水攻めの様子がよく分かります。



小さいながらも「資料館」。



意外と楽しめました。



ついでに「最上稲荷」に。神社とお寺がごちゃまぜになっていました。財政的には潤沢なようで、いろんな施設がきんぴかでした。







どうもF老人の好みには合わないようです。

吉備路1/4(吉備津彦神社・吉備津神社)

2016年09月24日 19時26分04秒 | 旅行記
三原市の自宅から、岡山県が気になって、再びの吉備路です。

最初に訪れたのは「吉備津彦神社」。備前国一の宮。知りませんでした。備中との境目のあたりなんですが。

重壮な社殿。



整備が終わったばかりの社殿。



大灯籠。対になってあります。





拝殿。結婚式、七五三。



もともとは、巨石信仰か。



御朱印。



次に向かったのは「吉備津神社」。以前来た時は初詣のとき。雰囲気は全然違います。





本殿と拝殿は国宝で、比翼入母屋造りという独特の作りになっています。





回廊。独特の雰囲気を醸し出しています。当日は、弓道の試合があったようです。





鳴釜神事。ここで行われます。





どこまでも特徴のある本殿が目につきます。



5.15事件で落命した犬養毅は、犬養家遠祖は犬養健命が大吉備津彦命の随神であるとして吉備津神社を崇敬したという。駐車場に犬養毅の銅像。



御朱印。達筆です。