F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

ウロウロヨロヨロ旅-九州編第12日 島原半島ー1

2015年10月31日 18時39分07秒 | 旅行記
道の駅「夕陽の丘そとめ」で起床。昨日、ドライブしながら変わった島だなあと思っていたら、かの有名な「池島」でした。こういうところにあったんだ。九州最後の炭鉱です。

道の駅から見ると



googleでは



午前中は洗濯をするため諫早市に行きました。ネットで見つけたお店に。



なかなか乾燥できず結局乾燥機を50分使いました。でも、洗濯ものが無くなりすっきりしました。

端島上陸クルーズは予約が大変厳しく11月3日の午後の便になりました。その前に、島原半島を攻略。諫早市から小浜温泉へ。

まず名物のちゃんぽん。有名店の「海花亭」へ。



想像の二回りほど大きなどんぶりでした。



これはイケマス。週一で食べたいぐらい、ストレート麺、濃厚なスープと野菜、殻付きエビ。大満足。

日本一長い足湯。フットホット105、長さは105mです。





ここへ行こうとしましたが



行ってみると防波堤の下にテトラポットの間に小さな浴槽があるようでした。今日は、野趣な温泉というより入浴洗身という気分だったのでパス。



峠道を走って半島の反対側へ。島原の乱の舞台、原城址へ。苛烈な搾取をしなくてもいい方法を見つけられなかった領主の責任は重い。





天草四郎時貞の墓碑。民家の石垣の中から見つかったと。







対岸は天草上島か



本丸跡は広い草地で縁の部分に碑や墓石などがあります。











ソテツの雄花か?いくつもありました。





広い城だったようですが本丸以外は畑、草地、林になっています。廃城後は島原城の建材ととしても用いられたようです。

本丸跡から見た石垣など。







多くの人たちが苦しみながら見た石垣か。





感傷的になる城址でした。



すぐ下,2分のところに原城温泉があります。





入浴料500円。黒いお湯で広々としており、海に面した広い浴槽は全面ガラス、こんな景色を見ながら入浴。極楽極楽。



雲仙普賢岳のふもとにある道の駅「みずなし本陣ふかえ」で停泊。焼酎が無くなったので飲まずに就寝と思ったとたん、隣に大きなお酒屋さんを発見。早速、見たことがなかったものを購入。今宵も爆睡の予感。

本日の走行距離 129km

この旅の累積走行距離 1,479km











ウロウロヨロヨロ旅-九州編第11日 佐世保

2015年10月30日 19時20分25秒 | 旅行記
道の駅「さいかい」で起床。何回も来ている佐世保でしたが、もう一度、回ってみようと引き返し、まず、九十九島へ。

懐かしの針尾無線塔を西海公園の近くから。高さは137m。



内側にらせん状の階段があります。ん、なんで知ってんの?

佐世保市内を走っていると西部方面隊普通科連隊の車両の後ろに、間もなく水陸機動団になりますねえ。



まず、船越展望台。天気が悪い。





伊能忠敬は一つ一つの島を測ったんですね。島と島の間の距離と方位は船で測ったそうです。



数キロ先にある展海峰へ。







美しき天然の作者。田中穂積の像。



いわれは



大好きなギタリスト村治佳織さんが展海峰で弾いた「美しき天然。」




インディ君喘ぎながら標高364mの弓張岳へ。眼下に佐世保市内が見えます。昔、夜景を見に行きました。





米海軍と海上自衛隊の艦船。



今一番見てみたいドック型強襲揚陸艦LPD-20 USS Green Bayは甲板上にテントが張ってあり、整備中のようです。こんな艦。マストの中を見てみたい。



九十九島方面。昔、佐世保の方からお土産をいただくと9/10の確率で九十九島せんべい、1/10は福砂屋のカステラでした。



相浦駐屯地。水陸機動団の本拠地となることでしょう。



端正な姿の愛宕山。



急坂を下りて、「セイルタワー」海上自衛隊史料館へ。旧海軍の水交社の建物を生かして作りました。









中は撮影禁止です。ここだけ。



約2時間。堪能しました。最上階から歴史の流れに沿って下りてきます。太平洋戦争でがっくり来て、下2階の海上自衛隊のところで元気復活。

高速道路の下の観光駐車場に車を移動して



昔から看板は知っていましたが佐世保バーガーという言葉もあまり聞かなかったし・・・・・

左側の店、「ヒカリ」で新メニュー、ジャンボDXバーガーとコーラを注文。840円。川崎ラゾーナで食べるとバーガーだけで1000円超していたのでは?本場は安くておいしい。



来ました。



満足。観光駐車場駐車料金100円払っても得した気分。

昨日連絡した友人から海軍墓地近くにコインランドリーと聞き、洗濯の間に海軍墓地を訪れようと行ってみましたが、コインランドリーの駐車場は天井が低く車が入らないので海軍墓地に。





個人のお墓も多くあります。



あまり興味本位に写真を撮ってはいけないのでしょうが、このように慰霊碑が多くあります。

空母「飛龍」



戦艦「金剛」



など。

最後に海軍、海上自衛隊すべての戦没者、殉職者を慰霊する「海の防人の碑」に参拝して墓地を後にしました。



海上自衛隊草創期にに制定された儀礼曲「海のさきもり」をご存知でしょうか?




本日の停泊場所、道の駅「夕陽の丘そとめ」に到着。そとめ=外海。





道を挟んで一段低いところに「遠藤周作文学館」。文化勲章をもらった遠藤周作は東京の人ですが、芥川賞をとった作品「沈黙」がこの地方の隠れキリシタンを題材にしたものだったのでここにあるようです。





撮影はできません。戦国時代から江戸時代初めごろを題材にしたキリシタン関連の小説が多くあり、そのうちの何冊か持っているのですが、重たくて読んでいません。帰ったら読もうと思います。

本日の走行距離 123km

この旅の累積走行距離 1,350km


























ウロウロヨロヨロ旅-九州編第10日-2 生月島

2015年10月30日 07時18分59秒 | 旅行記
草原がきれいな川内峠に来ました。







平戸方向。赤い橋は遠くからでも目立ちます。



生月島方向。



平戸のスーパーで買った海鮮丼。ベンチに座っていただきました。醤油がついていなかったので醤油パックを使用。買っててよかった。





生月大橋を渡って道の駅「生月大橋」に到着。





ごみを捨てさせていただき、生月島の北端に向けて出発。

3分後、異様な仏像を視認。近寄ってみると





内部はこんな感じ。建立の趣旨は戦没者や海難で亡くなった方の慰霊とか、納得してお参りしました。



柱状節理の断崖。



小さな売店の方が五島列島が見えていると教えてくれました。かすんでいます。



走りやすい道の端まで行くと駐車場があり、歩いて数分





珍しい展望台のついた灯台。登って近くの断崖を。





傍らには初めて見ました。上部にラッパ状のアンテナがあるので反射波で波の高さが分かるのでしょうか。





沖合の度島や的山大島。





かすかに対馬が見えていますが写真では・・・



引き返して案内のあった山田教会へ。







最後は島の館。







沿海捕鯨が盛んだったところでした。



文政年間,1830年ごろ生月島で誕生した生月鯨太左衛門。身長2m27cm、体重 168kg、手のひら32cmという巨体で、江戸時代末期に相撲界のスターでしたが24歳で亡くなりました。



生月島は隠れキリシタンの島。神社や仏教に巧みに隠して約400年信仰は維持されたそうです。





生月大橋を渡って平戸へ。レセス構造の橋はきれいです。



田平天主堂。平戸湾に面した高台にありました。





ステンドグラスを一枚だけ撮らせていただきました。



外から見ると



道の駅「さいかい」まで南下。停泊。

本日の走行距離 149km

この旅の累積走行距離 1,227km











ウロウロヨロヨロ旅-九州編第10日-1 平戸オランダ商館・松浦資料博物館・平戸ザビエル記念教会

2015年10月29日 19時44分35秒 | 旅行記
道の駅「昆虫の里たびら」で起床。ゆっくり準備して平戸湾の海のすぐそばにある市営駐車場に駐車して散策に出発。

反対側には平戸城。



海の上に作られた遊歩道を歩いていくと





オランダ井戸。



オランダ商館。実際はオランダ商館の石積みの倉庫を復元したもの。使われた石の数などが記録として残っているそうです。屋根は日本瓦。



建てられた年号とオランダ東インド会社の紋章。



中はすっきりした展示で1609年から1641年に長崎の出島に移転するまでのわずか32年間しか存在しませんでしたが、大きな足跡を残したことがよく分かりました。









本当の商館の跡と残っている塀。





歩いて5分ぐらいで







江戸時代初期から松浦家の館がここにあったそうです。現在の建物は明治26年に建てられた邸宅。平戸城には鎌倉時代から明治維新まで一つの家がお殿様であった稀有な例というようなことが書かれていましたが、おそらく膨大な資料があり、中には国宝もあるようです。

乗り物。



調度品。



甲冑。



有名な松浦静山の「甲子夜話」(かっしやわ)の原本。



鼠小僧の話。



NHKでやっていた「妻はくノ一」にも静山が出てきました。

伊能図。九州。緯度が書かれているのに感激。緯度一分の長さを正確に知りたいというのが伊能忠敬が地図を作り始めたきっかけです。



平戸近辺。



種子島にも屋久島にも行きました。



このほかにも興味深いものが多く展示されていました。

散策を続けます。大ソテツ。



坂を登って行くとルルドの泉。



上を見ると



平戸ザビエル記念教会。ステンドグラスでけ撮らせていただきました。



後ろから見た全景。



お寺と教会。



幸橋。オランダ商館建築に携わった石工の技術を継承して作られました。そのため、オランダ橋と呼ばれています。







門をくぐると



市役所でした。
















ウロウロヨロヨロ旅-九州編第9日-2 平戸城

2015年10月28日 20時16分39秒 | 旅行記
焼き物を堪能した後、平戸に向かいました。長崎県にある100名城は平戸城と島原城。

平戸大橋を渡って平戸城に着きました。ナビ君は裏口を案内してくれたので一番近い神社の駐車場まで行けました。



登城







天守閣。廃藩置県後の廃城令で破棄、昭和37年に復元されました。



明治天皇の生母中山慶子(よしこ)は権大納言・中山忠能の次女で、母は平戸藩主・松浦清(靜山)の十一女・愛子。

wikiによれば、「孝明天皇の意を得て懐妊し、嘉永5年9月22日(1852年11月3日)、実家中山邸において皇子・祐宮(さちのみや、のちの明治天皇)を産む。家禄わずか二百石の中山家では産屋建築の費用を賄えず、その大半を借金したという。

祐宮はそのまま中山邸で育てられ、5歳の時に宮中に帰還し慶子の局に住んだ。その後、孝明天皇にほかの男子が生まれなかったため、万延元年7月10日(1860年8月26日)、勅令により祐宮は准后女御・九条夙子の「実子」とされ、同年9月28日、親王宣下を受け名を「睦仁」と付けられた。」

愛子は明治天皇を5歳まで厳しく育てたそうです。



最上階からの眺め。







明日も平戸に来るので一番近い道の駅「昆虫の里たびら」で停泊。

本日の走行距離 142km

この旅の累積走行距離 1,078km