F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

ウロウロヨロヨロ旅-九州編第20日-1 三角西港

2015年11月08日 20時38分27秒 | 旅行記
道の駅「不知火」で起床。三角西港に向かいました。

「三角西港は、明治20年に明治政府の国内統一殖産振興の政策に基づいて、オランダ人水理工師の設計で建設されました。当時の最新の技術が盛り込まれ、近代国家の威信を懸けた明治三大築港の一つです。良港を持たない熊本県にとって築港は県民の悲願というべきもので、三角港にかけた期待と完成の喜びは数々の逸話として伝えられています。

 756メートルにもおよぶ石積みの埠頭や水路、建造物などは築港後1世紀の歴史を持ちながら今なお厳然としてたたずまいを見せています。このように当時の都市計画がほとんど無傷のままで残っているのは全国的にも珍しく、文化財的にも国際的にも価値ある生きた港として、平成14年12月、国重要文化財に指定され、港町三角のシンボルとなっています。

 平成27年(2015)には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・鉄鋼、造船、石炭産業」の一つとして、世界文化遺産に登録されました。」(引用)

明治20年といえば1887年、およそ130年前作られたものが風光明媚な地に残されていたんですねえ。湾口が素敵です。







レトロ感いっぱいの建物がまとまってあります。







この岸壁。丸みがあっていいですねえ。



延々と続いています。



レストランになっている元倉庫も裏は岸壁。





石造りの水路も味があります。





アコウ。





実は昨日まで知りませんでした。天草に渡ろうと来て道の駅で知りました。








ウロウロヨロヨロ旅-九州編第19日-2 熊本城

2015年11月08日 09時55分02秒 | 旅行記
大きな、広い城でした。

登城。





石垣がすごい。曲線が美しい。



膨らんでいるところもありました。



地下道。このときは上が本丸御殿だとは気づきませんでした。



ドーンという感じでした。西南戦争のとき燃えてしまいました。



天守閣から阿蘇山方向。



本丸御殿へ。釘隠し。



台所。



転がっていたら捨てそう。





家康の書状。



座敷。



その奥に、秀頼を迎えた時の居所として作ったそうです。







天井。



西南戦争で天守閣や本丸御殿が燃えた時、風上にあったため残った宇土櫓。





急な階段。



宇土櫓から大小天守閣。



数寄屋丸という建物。



反対側は、



広い広いお城です。



二の丸から見ると



角度を変えると



旧細川刑部邸。







お風呂。



秋です。



昼食も取らず、5時間もウロウロしました。

温泉と名前にひかれて道の駅「不知火」で停泊。

本日の走行距離 65km

この旅の累積走行距離 2,035km








ウロウロヨロヨロ旅-九州編第19日-1 田原坂

2015年11月08日 09時43分14秒 | 旅行記
道の駅「きくすい」で起床。ここは古墳公園の一部でした。近くに見学できるものはありません。





熊本市に向かい、まず、田原坂へ。



明治10年の西南戦争での戦死者は13,000人以上ですが、最も激しい戦いが行われた場所です。

慰霊碑。



戦死者名簿。





大楠と美少年の像。





当時の写真。



現在の坂。



弾痕の家。





資料館はリニューアル中でした。間もなく開館。



誰もいなかったのでなんとなく厳かな空気のように感じました。


ウロウロヨロヨロ旅-九州編第18日-3 日田

2015年11月08日 09時12分50秒 | 旅行記
またまた、大分県に入り、日田に来ました。無料の市営駐車場に入れて、よくテレビで見る町並みに出ると、驚いたことにそこは生活道路で狭い道を車が行きかい、結構危ないのですが当たり前のようです。





天領日田資料館でお勉強。撮影禁止。





街並み。







久しぶりに酒蔵を見学。







大きな羽釜。現役のようです。



感じの良い店。うなぎ用?





いいところでしたが、車をコントロールしないと発展はしないのではと思いました。大きなお世話ですが。

この後、中津江、上津江を越えて熊本県の道の駅「きくすい」まで移動。300円のお風呂に入ってゆっくりしました。







本日の走行距離 180km

この旅の累積走行距離 1,970km