道の駅「みずなし本陣ふかえ」で起床。
1991年から1995年にかけて噴火した雲仙岳。火砕流で43名の方が亡くなられたのは驚きました。火砕流で積もった土石が雨が降ったことにより土石流になり、多くの家屋が埋まりました。道の駅にそれらの家屋が保存されています。
まだ開いてなかったのでガラス越しに。
道の駅を離れ、近くにある「がまだすドーム」へ。まず、隣の大きな体育館にあるサムライブルーの竜馬像。もともと国立競技場にあったそうです。
雲仙岳災害記念館-がまだすドーム。がまだす=がんばろう。
入場料1,000円。F老人は800円。でも、少し高いのではと思いましたが内容から見れば安いぐらいです。
特に映像がすごかった。実写とCGを組み合わせ、なおかつ、ディズニーのように振動や温風。もう20数年前のことになってしまいましたが、再び鮮やかに刷り込まれました。
火砕流で多くの人たちが犠牲になった場所の復元。
陸上自衛隊の偵察の様子が運転席で映像で見ることができます。
ガードレール。
島原半島と災害区域の概念がよく分かりました。
そして、島原市は眉山という山によって守られました。
多くの展示物で火山のことがよく学べます。かって、チャーターしたプロペラ機でキラウェア火山の火口の上を低空で飛んだことがありましたが、柔らかくて海に流れ出す溶岩と固くて崩落して火砕流を起こす溶岩があること、よく分かりました。
外に出ると目立たないところに、V-107バートルと装甲車。日航機墜落事故でも活躍しました。もう、陸自も空自もすべて退役。
海側に消防職員の慰霊碑。消防団員12名が殉職しました。島原城に殉職した消防団員の娘さんの手記がありました。読んでしばらく動けませんでした。
島原城。駐車してから20mほどで天守閣。驚きました。
明治維新により、廃城。昭和39年に復元されました。石垣の美しい城です。もうすぐ陸上自衛隊の人たちがきれいにしてくれるのでしょう。
天守閣内では「キリシタン鍔」。初めて見ましたが、発想としては当然でしょう。
高浜虚子。「やまさけてくだけ飛び散る島若葉」。島原大変の時にできた島々と訪れた若葉の季節を詠ったもののようです。
天守閣から眉山。
城内の櫓の一つは当地出身で長崎の平和祈念塔の作者である西村西望氏の記念館。
車を置いてそのまま武家屋敷へ。徒歩、10分ぐらい。当時下級武士の屋敷があった通りと3軒の屋敷が残されています。
角館や杵築のような上級者の家ではないので大変面白く、当時の中間管理職とまでいかないような人たちの生活がかんじられました。藤沢周平の世界のようでした。
塀の厚さ。
8石取りの家。
門構えが許された家。それでも17石二人扶持です。
お昼時になったので他のところも歩いて行ってみることに。最近、一日10000歩は毎日越しているので。
アーケード。
しばらく行くと「なごみ茶ろん」という高齢者などの立ち寄り憩いの場所でお茶をいただくことになりました。
お茶をいただき、しばし歓談。楽しいひと時を過ごしました。島原の街を歩いているとセカセカしない、落ち着いた雰囲気で、商店街を歩いていてもせせらぎの音が聞こえてきます。いいところです。
島原美人。ありがとうございました。
そして、街中の水路を泳ぐ、鯉を見て。こんなに湧き水の水路があるのなら津和野のようにもっと広い範囲で鯉を泳がせればと思いました。
趣のある家。島原はどこも無料なのがいいですね。
縁側の下まで水があり、鯉が泳いでいます。
江東寺。ねはん像で有名です。
墓地の奥にねはん像が。
隣には藩主のお墓も。
御朱印をいただき、昼食。
煮魚定食は、地物の鯛でした。チャンポン→コンビニ弁当でしたので久しぶりにまともな食事をしました。美味でした。
生活用のサブバッテリーを充電するため、走らなければなりません。思い切って、雲仙温泉まで来ました。
途中の旧大野木小学校校舎を見学。火砕流で焼けました。
普賢岳を見ると
近くに砂防ダムがありました。
雲仙温泉着。環境省の駐車場に入れると、チケットは北海道の登別温泉と同じ、聞いてみると車中泊OK。これで決まり、今夜は雲仙温泉で停泊。
雨が降っているので傘をさして雲仙地獄見学。登別や別府のようなダイナミックさはありませんが硫黄の匂いと湯煙はいいですねえ。
ビジターセンターへ。
いいバードカービングの作品がありました。こんなの作れるようになりたい。
途中で見つけた素晴らしい温泉。
無料と200円の温泉はありましたが、100円は初めて。いいお湯でした。癒されました。
本日の走行距離 111km
この旅の累積走行距離 1,590km
1991年から1995年にかけて噴火した雲仙岳。火砕流で43名の方が亡くなられたのは驚きました。火砕流で積もった土石が雨が降ったことにより土石流になり、多くの家屋が埋まりました。道の駅にそれらの家屋が保存されています。
まだ開いてなかったのでガラス越しに。
道の駅を離れ、近くにある「がまだすドーム」へ。まず、隣の大きな体育館にあるサムライブルーの竜馬像。もともと国立競技場にあったそうです。
雲仙岳災害記念館-がまだすドーム。がまだす=がんばろう。
入場料1,000円。F老人は800円。でも、少し高いのではと思いましたが内容から見れば安いぐらいです。
特に映像がすごかった。実写とCGを組み合わせ、なおかつ、ディズニーのように振動や温風。もう20数年前のことになってしまいましたが、再び鮮やかに刷り込まれました。
火砕流で多くの人たちが犠牲になった場所の復元。
陸上自衛隊の偵察の様子が運転席で映像で見ることができます。
ガードレール。
島原半島と災害区域の概念がよく分かりました。
そして、島原市は眉山という山によって守られました。
多くの展示物で火山のことがよく学べます。かって、チャーターしたプロペラ機でキラウェア火山の火口の上を低空で飛んだことがありましたが、柔らかくて海に流れ出す溶岩と固くて崩落して火砕流を起こす溶岩があること、よく分かりました。
外に出ると目立たないところに、V-107バートルと装甲車。日航機墜落事故でも活躍しました。もう、陸自も空自もすべて退役。
海側に消防職員の慰霊碑。消防団員12名が殉職しました。島原城に殉職した消防団員の娘さんの手記がありました。読んでしばらく動けませんでした。
島原城。駐車してから20mほどで天守閣。驚きました。
明治維新により、廃城。昭和39年に復元されました。石垣の美しい城です。もうすぐ陸上自衛隊の人たちがきれいにしてくれるのでしょう。
天守閣内では「キリシタン鍔」。初めて見ましたが、発想としては当然でしょう。
高浜虚子。「やまさけてくだけ飛び散る島若葉」。島原大変の時にできた島々と訪れた若葉の季節を詠ったもののようです。
天守閣から眉山。
城内の櫓の一つは当地出身で長崎の平和祈念塔の作者である西村西望氏の記念館。
車を置いてそのまま武家屋敷へ。徒歩、10分ぐらい。当時下級武士の屋敷があった通りと3軒の屋敷が残されています。
角館や杵築のような上級者の家ではないので大変面白く、当時の中間管理職とまでいかないような人たちの生活がかんじられました。藤沢周平の世界のようでした。
塀の厚さ。
8石取りの家。
門構えが許された家。それでも17石二人扶持です。
お昼時になったので他のところも歩いて行ってみることに。最近、一日10000歩は毎日越しているので。
アーケード。
しばらく行くと「なごみ茶ろん」という高齢者などの立ち寄り憩いの場所でお茶をいただくことになりました。
お茶をいただき、しばし歓談。楽しいひと時を過ごしました。島原の街を歩いているとセカセカしない、落ち着いた雰囲気で、商店街を歩いていてもせせらぎの音が聞こえてきます。いいところです。
島原美人。ありがとうございました。
そして、街中の水路を泳ぐ、鯉を見て。こんなに湧き水の水路があるのなら津和野のようにもっと広い範囲で鯉を泳がせればと思いました。
趣のある家。島原はどこも無料なのがいいですね。
縁側の下まで水があり、鯉が泳いでいます。
江東寺。ねはん像で有名です。
墓地の奥にねはん像が。
隣には藩主のお墓も。
御朱印をいただき、昼食。
煮魚定食は、地物の鯛でした。チャンポン→コンビニ弁当でしたので久しぶりにまともな食事をしました。美味でした。
生活用のサブバッテリーを充電するため、走らなければなりません。思い切って、雲仙温泉まで来ました。
途中の旧大野木小学校校舎を見学。火砕流で焼けました。
普賢岳を見ると
近くに砂防ダムがありました。
雲仙温泉着。環境省の駐車場に入れると、チケットは北海道の登別温泉と同じ、聞いてみると車中泊OK。これで決まり、今夜は雲仙温泉で停泊。
雨が降っているので傘をさして雲仙地獄見学。登別や別府のようなダイナミックさはありませんが硫黄の匂いと湯煙はいいですねえ。
ビジターセンターへ。
いいバードカービングの作品がありました。こんなの作れるようになりたい。
途中で見つけた素晴らしい温泉。
無料と200円の温泉はありましたが、100円は初めて。いいお湯でした。癒されました。
本日の走行距離 111km
この旅の累積走行距離 1,590km