F老人の気ままな島暮らし日記

尾道市生口島で気ままな島暮らしの日々。

059 北海道から本州へ

2015年07月31日 19時52分40秒 | 旅行記
道の駅「なとわ えさん」で起床。ドドーンという波の音がずーっと聞こえていましたがそれほど気にはなりませんでした。

恵山は霧の中です。



函館まで行き、フェリーの予約をしてから用事と最後の観光をと思ってフェリーターミナルへ。



予約が終わり出かけようとすると大粒の雨が。ターミナルの中の食堂で北海道最後の食事。



郵便局とガスステーションに行って雨と霧で何も見えないのでターミナルで休憩。

早めに列に並んで



大函丸が到着。









新幹線と同じで最初に掃除係の人が乗り込み、50分後の出港に備えます。

そして乗り込み



後甲板から。甲板作業は丁寧で迅速でした。





函館山は最後まで霧の中。

掃海母艦らしい艦影が。



7月1日に北海道入りしてからまるまる1か月。天候に恵まれないところはありましたが、海岸線を走っても、内陸に入っても緑の中を走ることができました。片側1車線の道が多く、路面の傷みなど北海道ならではの道路事情は理解できますが、もう少し、ゆっくり走ってはいかがでしょうか。

と思っている間に下船の時間に



大間崎のテントサイトに帰ってきました。



1軒だけ食堂が開いていました。行きにもよったところです。



本日最後の三色丼、すぐに暖簾が下ろされました。思い出に残るマグロの量でした。



大間温泉でさっぱりして明日からの計画を考えます。



本日のルート。



本日の走行距離。

57km

北海道の航跡。



本日までの航跡。



本日までの走行距離。

7,252km


058-4 恵山岬

2015年07月30日 19時59分59秒 | 旅行記
なんでこんなに端っこにこだわるのか分かりません。でも行ってみました。「恵山岬」。





道は行き止まり。



こんな露天風呂があるそうです。干潮の時しか現れません。



後ろにはすぐ活火山。



近くの瀟洒なホテル。



灯台のところから見ると



この後,道の駅「なとわ えさん」に移動。停泊。北海道最後の夜になりそう。

本日のルート。



本日の走行距離。

125km

北海道の航跡。



本日までの航跡。



本日までの走行距離。

7,195km


058-3 北海道国宝第1号の土偶

2015年07月30日 19時26分25秒 | 旅行記
道の駅「縄文ロマン南茅部」で食事をと思っていくとお弁当しかなく、それも売り切れ。お姉さんに「食事もしたいし、お風呂にも入りたいし」というと紹介してくれました。

ホテル函館ひろめ荘(函館市南かやべ保養センター)の食事、お風呂セット。約5分ぐらいで到着。

入浴料400円+天丼800円を1000円で。このお風呂が素晴らしい。源泉かけ流し,重曹泉と硫黄泉。すごく得した気分になりました。







道の駅は函館市縄文文化交流センターと一体化しており、近辺の著保内野遺跡から出土し、北海道で初めて国宝に指定された土偶が展示されています。



函館には遺跡がいっぱいあります。



国宝の土偶はジャガイモ掘りをしていた主婦が偶然発見しました。



緻密で素朴で純粋な祈り





頭に穴が



解説





北海道で本当にいろいろなものを見ることができました。




058-2 大沼公園

2015年07月30日 19時11分28秒 | 旅行記
森町から大鳥圭介のように、大沼公園へ。





中央の島が密になっているところが観光の拠点のようで自然にそこの有料駐車場へ。

橋で連接された島を散策。















近くにある日暮山展望台へ。ダートの道を約2km、誰もいません。



歩いて展望の良い所に行くと





全貌がよくわかりました。

よく停泊場所として紹介されている東大沼キャンプ場へ。無料でいいところです。










058-1 榎本武揚・土方歳三上陸の地

2015年07月30日 18時44分14秒 | 旅行記
昨日は期待していた車中泊スポットが使えないことが分かり、森町まで来ました。道の駅が2つありましたがどちらもあまりいいところではありませんでした。結局道の駅「つどーる・プラザさわら」というところで停泊。

朝、カラスの鳴き声で4時半ごろ起こされ、後は車の音で熟睡できず。

少し引き返して、榎本武揚、土方歳三北海道上陸の地を見に行きました。上陸地が森町であることは知っていました。案内に従って止まると小さな神社の鳥居。それをくぐって



車を止めると



案内板の通りに行くと







ありました。





函館に直接上陸できず、断崖絶壁を避け、砂浜を探すとここになったようです。明治元年10月20日、暴風雨で積雪30㎝。



10月22日、土方歳三隊はここから海岸沿いに南下し、川汲村から函館に、大鳥圭介隊は森町鷲ノ木から大沼経由で函館に進出。10月26日五稜郭に入城。亡くなるのはそれから7か月後のことです。

近くには鷲ノ木で戦死した人たちの慰霊碑がありました。合掌。