哀しみを乗り越えて、今この時だからこそ、アルジェリアが美しいことをお伝えしたい。
地中海に望む首都アルジェから、一路南へ二千キロメートル約2時間半のフライトで「ジャネット」というアルジェリア最南端の町の一つがある。
直線80キロ(遊牧民で直線を歩いて一中夜、四駆だと走れる所230キロで丸二日間)でリビア再南西端の国境に至り、南下すると270キロでニジェールに至る。
世界遺産『タッシリ・ナジェール』の基点の町である。
普通夕刻にアルジェを出るので、現地着は深夜に近い時刻となる。
明るいうちのフライトが運良く有れば、窓から延々と砂漠のうねりを見ながら飛び続け、かなり現地に近づくと、砂漠と黒い塊とが交互に入り交じる不思議な光景になる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/c8/07ccb76ef0cdc42aebc1c0f95f8f6b5b.jpg)
飛行機が高度を下げ始めると、それは岩山である事が分って来る。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/4c/30f865fb666239008c11a0da9ee06d43.jpg)
かつては海底であった土地が隆起して岩盤となり、そこから数億年間の時の流れで、岩盤の脆い部分から崩れ、くだけ、朽ちて砂粒となって行った過程が、実物大で理解出来る。
空港は砂漠のまっただ中。
形ばかりの空港ビルの建物を出ると、夜半の人気の無い駐車場から、熱い大気の中に満月が浮かんでいた。
そちらが北東ででもあるのか、メッカの方向に向かってこの日五回目の祈りを捧げる人が居た。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/39/b1fe2b4fdaffd2cdaf102d59644340ed.jpg)
空港の建物の直ぐ外で夜中の礼拝する人
この町は、15年程前迄は二千人程の、定着した遊牧民トウアレグ族が住んでいた。
標高二千メートルのタッシリ高原地帯の麓にへばりついた、この小さな遊牧民の町は、鎖国状態が解かれたいま、タッシリ・ナジェールの観光の基地として、人口は4倍程に膨れ上がろうとしている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/98/63b8b7a2b097a04d6ec9f14e9138d273.jpg)
町の俯瞰
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/93/a820e8a74ad8fdea8b40e8f7be95f27d.jpg)
町を行くトウアレグ人のご夫人
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/bc/c9f463c458f43f51ec8b0ba4a96e80e2.jpg)
町の市場の一隅
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/10/c7fdbea7cf5996354a9568917bf90275.jpg)
市場の中の肉屋の看板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/49/f2/3f09e0c5ffbb86e7d15887a7a391bda1.jpg)
市場の菓子屋
町の背後に垂直に切り立つ大岸壁の上部には、まるで月世界の様な荒涼たる不思議な光景が果てしなく広がって居り、そこに紀元前8千年から、1万年間程の長い間に先住民族達の手で描き続けられた、「岩絵」が無数に残されている。
円頭族(ネグロイド)から長頭族(フルベ族=トウアレグ人の先祖)の間の「牛の時代」と呼ばれる時代、アレクサンダー大王の時代からの「馬の時代」、紀元前後からのアラブ人の先祖の「ラクダの時代」。
民族の攻防と、人が頼った家畜の違いに寄る文明の変遷、その間の時代に添っての美術的劣化、が見事に残されている。
世界遺産に登録されている『タッシリ・ナジェール』の岩絵群である。
何の保護の仕掛けもなく、大気と太陽と夜の冷気とに晒されたまま今日迄伝わって居り、やがて消え失せてしまう可能性の高い、人類史上貴重な文化財である。
その「タッシリ高原大地」に登る前に、ジャネットの町の周辺を取り敢えずご紹介しよう。
なんと言っても、その唯一にして最大の魅力は砂漠である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/2c/c518f72c1029d0b61bf29dad8aa1e46f.jpg)
砂漠の夜明け
非常にきめ細かな美しい三色の砂が、真っ平らに、或は雄大なうねりで、ジャネットの周囲を取り囲む。
白い砂漠。
黄金色の砂漠。
赤い砂漠。
三色の色の砂漠が連なっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/63/1e5cb0d37c08ffd8ef1a8b5fc2ee1fee.jpg)
そんな砂漠の中を、舗装道路が延々と続いている。
車で走ること2時間で礫漠戸砂漠の混じる辺りに、水場が有る
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/72/ff5d485e67998229f8904d2ef07b32e5.jpg)
砂漠の水場「オアシス」
その近くに、高さ2メートル、幅10メートル、長さ25メートル程の黒い一枚岩がある。
ディーデルと呼び習わされている場所の古代岩絵サイトである。
その表面に5~6千年前の岩絵が無数に刻まれている。
タッシリ高地の上の様に「彩色画」ではなく「線刻画」である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/76/1ceb02b52537dfbecff2b55eb5086435.jpg)
全体に見た岩
靴を脱いで登る決りになっている。
そうすると、足元に無数に彫り込まれた線刻画がいきなり現れる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/75/2adbee241a942afc614e57b640ba707e.jpg)
牛
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/65/296151d639a9cbf81793be8682b35e65.jpg)
駝鳥
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/86/09c924628d6e54e0805bbc885eb3c8a3.jpg)
子ガゼル
この「子ガゼル」は、アルジェリアの1000ディナール(100円)紙幣に描かれている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/74/23f53091d5a5e400e412bdbe3208d9aa.jpg)
線刻画のガゼルと紙幣
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/56/afad8c87c485095341e2fa921414bf5f.jpg)
人間
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/20/2c/d28c3441e4f93d2c134a6ad205e62ae4.jpg)
足跡の線刻画まであった
更には、東へリビアの方向へ四駆で一時間の行程に古代の墳墓もある。
この古代墳墓は、いつ頃の誰を葬ったものか、発掘調査をされていないので全く分っていないが、この辺りの先住民族が大掛かりな墳墓を残さない習慣だった事から、特殊な人物のものであろうと思われている。
アルジェリアの中央部の同種の墳墓からは8千年前の女性権力者の遺物が見つかっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/4b/7bb5a4ca6fac7ef302685f05846d1c35.jpg)
近くの岩山の上からの俯瞰
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/68/4c/24c385be51470b9de06346cd58acd7e1.jpg)
実際の地上の墳墓の様子
更に、ジャネットの引き返すと、町の直ぐ近く「エルグ・アドメール」砂丘地帯の入り口辺りに、ポツンと単独の大岩が突っ立っている。
高さ15メートルも有ろうか。
周囲も10メートル程。
その一面に、人の背丈の高さよりやや高い位置に、見事な線刻画が有る。
俗に「泣く牛」と呼ばれて来た。
数頭の牛の頭だけが、かなり深く太い線で、くっきりと彫り込まれた線刻画である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/c1/a8a375867dcee36222a968f42b184dc4.jpg)
その内の一頭が、眼に涙を浮かべているのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/b3/4f2f74f484234b7639b795a96f360fc9.jpg)
涙を流す牛
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/74/2b33ef75855c047348448262da3f7c2c.jpg)
溜め息が出る程の表現力。
数千年の時を一気に飛び越えて、現代でも傑作と呼ぶに値する美術作品である。
豊富な水に恵まれ、多くの牛を放牧していたタッシリの高地で徐々に気候が変化して水を失って行った。
高地に居たフルベ族(今のトウアレグ人などの先祖)は、やむを得ず高地を下りて、水のある場所を求めて西へと移動して行った。
結局彼等は、大河ニジェール河流域と、巨大湖であったチャド湖沿岸迄たどり着いた。
だから、現在のトウアレグ人達は「遊牧民族」となり、リビア南部から、アルジェリア南部、ニジェールを経てマリやブルキナ・ファソ、ベナン北部、カメルーン北部にまで分布しているのである。
この「泣く牛」は、環境が変わり水が無くなった為に住めなくなって、住み慣れた土地を離れる哀しみを表していると、今日迄信じ続けられて来た。
現代のトウアレグ人達は、過酷な環境で山羊とラクダを飼って移動している人達も居れば、ジャネットと、500キロ西の都会タマンラセットに定着して、商業活動で生計を立てている定着民とに別れている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/81/c1d1827c80fa485edcbffc84fbf38ffb.jpg)
砂漠の中で、日々の礼拝をするトウアレグ人の男性
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/15/54d1489ff59248c5ed91828c962b9d31.jpg)
お祈りする別のトウアレグ人
次回は、標高差800メートル以上を登って、タッシリ高地へと「古代岩絵」をご覧に入れる事にしよう。
朝まだ涼しいうちに半日掛けての岩場の登山になる。
今夜はせめて、トウアレグ人の音楽家の砂漠の音楽で、心を落ち着かせよう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a4/647f91405350b10a1c44aaab6a2fed35.jpg)
トウアレグ族の天幕「ゼリバ」の中でのトアレグ・ミュージシャン