雨男が山の神様と、二人で出掛けた先は知多半島の最先端、師崎(もろざき)というところでした。
家を出る時から雨模様で、傘を持って出かけましたが、目的地に着いたら普通の雨降りになっていました。
知多半島の先端は師崎という地名ですが、そこの最南端は羽豆岬で、そこが岩山になっていて、山上には羽豆神社(はずじんじゃ)が鎮座しております。今回は神社にお参りをすることにしています。
神社参詣道入口 ↓
右手は海になっています。
神社の社叢について ↓
ここの社叢は国指定の天然記念物になっています。
傘を差してこれを読んでいきます。
岩の層 ↓
いきなり階段が出てきて、右手は層をなす岩盤の道です。
尾根道 ↓
この岩山は北西から南東に細長い形状で、しばらく歩いて稜線に着くと、神社まではほぼ平らな道が200mあまり続きます。
ウバメガシの並木 ↓
ここでは大木化したウバメガシの木が道の両脇に並んでいます。ウバメガシは良質の備長炭の取れる木でしたね。
展望台 ↓
神社に着く手前に木製の立派な展望台がありますので、これに登ってみます。
展望台の横に休憩舎があり、その屋根にペンキで書かれているものです。
それにはこう書かれていました。
「皆さんの立っている展望台は海抜45米です。想ひ出の記念として戦艦大和の司令官になって、
(いそ?)の香りを充分味つて下さい。」」
ここの高さが戦艦大和のブリッジと同じ高さなのでしょうか。 46年前にここに来た時に見たペンキ書きも、年月の経過とともに字が薄れてしまいました。
師崎の港 ↓
こちらは観光船などが出入りする港です。
漁港 ↓
こちらは漁港ですね。
日間賀島 ↓
雨に煙っていますが、日間賀島が見えます。
篠島 ↓
こちらは愛知県では最大の篠島になります。観光旅館もあります。
神島 ↓
やや遠くになりますが神島が薄く見えいます。三島由紀夫があの島に逗留して、小説(物語)を書き、島を出る時にこの小説(物語)は世に出て、沢山の人に読まれることになるだろうという趣旨のことを言ったそうです。
小説名は「潮騒」で、神島はその物語の中では”歌島”という名前になっています。
どうせなら本名のままで出してほしかったですね。
羽豆神社 ↓
ここにお参りします。
矢穴石 ↓
右側の石は、加藤清正が名古屋城の石垣造営の時に使った石の残がいのようです。
「矢穴」とは大きな石を伐り出すときに石を割り出す方法のようで、直線上に石に穴を穿ち、それに鉄製の鑿(のみ)を打ち込んで岩を割って行ったようです。
家を出る時から雨模様で、傘を持って出かけましたが、目的地に着いたら普通の雨降りになっていました。
知多半島の先端は師崎という地名ですが、そこの最南端は羽豆岬で、そこが岩山になっていて、山上には羽豆神社(はずじんじゃ)が鎮座しております。今回は神社にお参りをすることにしています。
神社参詣道入口 ↓
右手は海になっています。
神社の社叢について ↓
ここの社叢は国指定の天然記念物になっています。
傘を差してこれを読んでいきます。
岩の層 ↓
いきなり階段が出てきて、右手は層をなす岩盤の道です。
尾根道 ↓
この岩山は北西から南東に細長い形状で、しばらく歩いて稜線に着くと、神社まではほぼ平らな道が200mあまり続きます。
ウバメガシの並木 ↓
ここでは大木化したウバメガシの木が道の両脇に並んでいます。ウバメガシは良質の備長炭の取れる木でしたね。
展望台 ↓
神社に着く手前に木製の立派な展望台がありますので、これに登ってみます。
展望台の横に休憩舎があり、その屋根にペンキで書かれているものです。
それにはこう書かれていました。
「皆さんの立っている展望台は海抜45米です。想ひ出の記念として戦艦大和の司令官になって、
(いそ?)の香りを充分味つて下さい。」」
ここの高さが戦艦大和のブリッジと同じ高さなのでしょうか。 46年前にここに来た時に見たペンキ書きも、年月の経過とともに字が薄れてしまいました。
師崎の港 ↓
こちらは観光船などが出入りする港です。
漁港 ↓
こちらは漁港ですね。
日間賀島 ↓
雨に煙っていますが、日間賀島が見えます。
篠島 ↓
こちらは愛知県では最大の篠島になります。観光旅館もあります。
神島 ↓
やや遠くになりますが神島が薄く見えいます。三島由紀夫があの島に逗留して、小説(物語)を書き、島を出る時にこの小説(物語)は世に出て、沢山の人に読まれることになるだろうという趣旨のことを言ったそうです。
小説名は「潮騒」で、神島はその物語の中では”歌島”という名前になっています。
どうせなら本名のままで出してほしかったですね。
羽豆神社 ↓
ここにお参りします。
矢穴石 ↓
右側の石は、加藤清正が名古屋城の石垣造営の時に使った石の残がいのようです。
「矢穴」とは大きな石を伐り出すときに石を割り出す方法のようで、直線上に石に穴を穿ち、それに鉄製の鑿(のみ)を打ち込んで岩を割って行ったようです。