児童文学における事実とフィクション(虚構、あるいは作者の創作部分)のバランスについて考えてみたいと思います。
ある作品で、小学校五年生から中学三年生まで、週五回の練習をするバスケットボールのクラブチームという状況設定がされていました。
これは、小学生や中学生のスポーツに少しでも携わった経験のある人ならば、明らかな虚構だとわかります。
日本のバスケットボールの場合、小学生(つまり12歳以下。国際的には11歳以下)はミニバスケットボール(略称はミニバス)という用具もルールも少し異なるゲームを行っています。
中学生になると通常のバスケットボールになり、中学校の部活として行われます。
ですから、野球のリトルリーグやボーイズリーグのような、小学校から中学校にかけて連続するようなクラブチームや全国組織は存在しません。
また、バスケットボールの場合、地域のクラブチームはありますが、中学生だけのチームはほとんどありません。
例外的にある中学生のためのクラブチームは、あくまでも部活の補完(少子化で単独の中学でバスケットボール部が作れないなどの場合)という位置づけです。
もちろんその場合は、学業や中学校での部活を優先するのが大前提で、週五回も練習することなどあり得ないのです。
この作品の場合、主人公を小学校六年生にしてミニバスのチームの話にすれば事実になります。
ただ、それでは、その作品で書きたかった少女像には幼すぎるので、作者は主人公を中学三年生にしたかったのでしょう。
虚構を書いてはいけないと言うつもりはありません。
ノンフィクションではないのですから、どんな作品でもフィクション(虚構)の部分はあります。
ただ、事実とフィクションのバランスは、作者が意識してコントロールすべきだろうと思います。
もともとエンターテインメントの世界では、なんでもありだと思っています。
いやむしろ虚構の部分がデフォルメされている方が面白いのです。
古い例ばかりで恐縮ですが、「巨人の星」の大リーグボール養成ギブスも、「あしたのジョー」のトリプルクロスカウンターも、虚構だということは読者も百も承知で楽しんでいるのです。
どうも最近は事実とフィクションの境目があいまいになっているようですが、児童文学作品でも、あさのあつこの「バッテリー」の中学野球や森絵都の「ダイブ!」の飛び込みなどは、本当にその競技をやっている人たちから見れば虚構そのものです。
でも、それらの作品をエンターテインメントだと割り切れば十分に楽しめますし、そのためにはもっと虚構の部分を強調してもよかったかもしれません。
ようはリアリズムの作品では、作者は虚構の部分をもっと自分で意識して有効に使うべきだと考えています。
ある作品で、小学校五年生から中学三年生まで、週五回の練習をするバスケットボールのクラブチームという状況設定がされていました。
これは、小学生や中学生のスポーツに少しでも携わった経験のある人ならば、明らかな虚構だとわかります。
日本のバスケットボールの場合、小学生(つまり12歳以下。国際的には11歳以下)はミニバスケットボール(略称はミニバス)という用具もルールも少し異なるゲームを行っています。
中学生になると通常のバスケットボールになり、中学校の部活として行われます。
ですから、野球のリトルリーグやボーイズリーグのような、小学校から中学校にかけて連続するようなクラブチームや全国組織は存在しません。
また、バスケットボールの場合、地域のクラブチームはありますが、中学生だけのチームはほとんどありません。
例外的にある中学生のためのクラブチームは、あくまでも部活の補完(少子化で単独の中学でバスケットボール部が作れないなどの場合)という位置づけです。
もちろんその場合は、学業や中学校での部活を優先するのが大前提で、週五回も練習することなどあり得ないのです。
この作品の場合、主人公を小学校六年生にしてミニバスのチームの話にすれば事実になります。
ただ、それでは、その作品で書きたかった少女像には幼すぎるので、作者は主人公を中学三年生にしたかったのでしょう。
虚構を書いてはいけないと言うつもりはありません。
ノンフィクションではないのですから、どんな作品でもフィクション(虚構)の部分はあります。
ただ、事実とフィクションのバランスは、作者が意識してコントロールすべきだろうと思います。
もともとエンターテインメントの世界では、なんでもありだと思っています。
いやむしろ虚構の部分がデフォルメされている方が面白いのです。
古い例ばかりで恐縮ですが、「巨人の星」の大リーグボール養成ギブスも、「あしたのジョー」のトリプルクロスカウンターも、虚構だということは読者も百も承知で楽しんでいるのです。
どうも最近は事実とフィクションの境目があいまいになっているようですが、児童文学作品でも、あさのあつこの「バッテリー」の中学野球や森絵都の「ダイブ!」の飛び込みなどは、本当にその競技をやっている人たちから見れば虚構そのものです。
でも、それらの作品をエンターテインメントだと割り切れば十分に楽しめますし、そのためにはもっと虚構の部分を強調してもよかったかもしれません。
ようはリアリズムの作品では、作者は虚構の部分をもっと自分で意識して有効に使うべきだと考えています。
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