現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

神沢利子「はらぺこたまごがさらわれた」

2017-01-18 15:44:35 | 作品論
 1974年に出版された幼年向きの物語絵本です。
 公園の温室の中に広がる不思議な世界に迷い込んだ主人公たち(主人公の女の子と、男の子の友だち)が、クラランポー(黒いオウム?)にさらわれた女王(カンムリバト)のたまごを取り返すお話です。
 二羽以外にも、ハミガキドリ、トンボトリ、バナナトリ、シリトリ、カクレンボドリといった不思議な鳥たちが登場しますし、言葉遊びや遊び歌などがふんだんにちりばめられています。
 現在の同じグレードの物語絵本と比較すると、物語や言葉遣い(漢字はかなにひらいてありますし、カタカナにはひらがなのルビもついています)が難しく、今だったら中学年ぐらいのグレードの本として出版されるかもしれません。
 1983年に、安藤美紀夫が「日本語と「幼年童話」」という論文(その記事を参照してください)で、当時の安直な幼年童話(今はもっとひどいですが)を嘆いた中で、「少なくとも二十場面前後の<絵になる場面>が必要なことはいうまでもない。そして、<絵になる場面>を二十近く、あるいはそれ以上用意できる物語といえば、いきおい、起承転結のはっきりした、ある種の山場を伴う物語にならざるを得ない。」といった条件を楽々クリアする、長新太によるそれだけでも魅了されるような挿絵(けっこう具象的な絵もあります)が二十八枚(そのうちカラーの大きな絵が十五枚)もついていて、非常に贅沢な作りになっています。

はらぺこたまごがさらわれた (学年別小学生文庫2年)
クリエーター情報なし
学研プラス
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大人にとって都合のいい子ども像

2017-01-18 08:54:34 | 考察
 児童文学のパターンのひとつに、大人(特に老人)が何かの名人で、それを見て育った子どもがその後を継ごうとするものがあります。
 例えば、釣りの名人である老人とその孫という設定を考えてみましょう。
 老人と子どもと海と漁というと、有名なヘミングウエイの「老人と海」を思い出させます。
 しかし、「老人と海」では、老人の老いることへの悲しみや少年の将来の夢などがしっかりと描かれていました。
 ヘミングウエイは、その両者を強引に結びつけようとはしません。
 例えば、ラストで少年が老人のようなカジキマグロ釣りの漁師になろうという決意するようにはっきりと描けば、唐突すぎて説得力欠けます。
 こういった少年は、たんなる大人(作者も含めて)にとって都合のいい子ども像にすぎません。
 仮にその作品がファンタジーやユートピア小説だったとしても、現実を無視してはただの夢想にすぎなくなります。
 現実を正しく把握して、その上で児童文学ならではの理想主義を展開してほしいものです。

子ども像の探究―子どもと大人の境界 (Social Compass Series)
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世織書房
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