現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

津村記久子「地獄」浮遊霊ブラジル所収

2017-01-26 18:29:49 | 参考文献
 幼馴染の二人の女性が、バス事故で死んでから行った地獄の話です。
 「物語消費しすぎ地獄」と「おしゃべり下衆野郎(もちろん、おしゃべりクソ野郎のパロディです)」といったユニークな地獄を思いついただけで勝負しているような作品ですが、出てくるエピソードや担当の鬼(一人に一人匹ずつ担当の鬼がいる設定です)や作家の生みの苦しみのような話がそれなりに面白いので読まされます。
 ただし、スポーツネタはマニアックすぎて、スカパー(特にJ SPORTS)やWOWOWのヘビーユーザー(おそらく作者自身もそうなのでしょう)でないとわからないような話なので、特に女性読者には理解不能かもしれません。

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津村記久子「アイトール・ベラスコの新しい妻」浮遊霊ブラジル所収

2017-01-26 17:31:34 | 参考文献
 小学校の女子のクラスにおけるカースト制度で、最上位の女の子と最下層の女の子が、二十年以上後に立場が逆転する話です。
 こうしたクラスにおけるカースト制度を書いた作品としては、朝井リョウの「桐島、部活やめるってよ」(その記事を参照してください)が有名ですが、児童文学でもそれを題材にした作品はたくさんあります。
 この作品では、最下層だった女の子が、「外国に行ってお金持ちと結婚してお姫様みたいな生活をしたい」という夢を実現する方は、作者らしいエキセントリックな話でした。
 ウルグアイ人のサッカー選手(アイトール・ベラスコという架空の選手で、移籍市場で三番目の高額でりーガ・エスパニョーラの有力クラブ(バルセロナか?レアル・マドリードか?)へ移籍する設定です。このあたりをそれらしく見せるのは作者の得意分野です)の再婚相手になるのですが、女の子が彼と知り合ったいきさつや 彼の離婚理由(妻のネグレクト)などが、かつての彼女の立場とうまくリンクしています。
 しかし、一方の最上位の女の子が転落していく様子(子どもへのネグレクトがエリート・サラリーマンの夫にばれて、離婚を要求されている)は型通りで平凡でした。
 また、物語の最後に、かつて最下層の女の子が最上位の女の子を見返してやりたいと言っていたと書いたのでは、あまりに因果応報的でひねりがなさすぎます。

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津村記久子「うどん屋のジェンダー、またはコルネさん」浮遊霊ブラジル所収

2017-01-26 15:42:38 | 参考文献
 非常においしくて有名だが、若い女性客だけに不必要なまでにうどんの食べ方を講釈するうざいおやじのいるうどん屋を、会社帰りの男性客の視線で描いています。
 仕事に疲れているのに毎回静かに食べさせててくれないので、女性客のコルネさん(髪型がパンのコルネに似ているので主人公が勝手に心の中でそう呼んでいる)が、とうとう切れて小気味いい啖呵を切ってうどんを食べずつり銭も受け取らずに店を出ます。
 こういう店ってあるよなあと読者の共感を呼ぶようなうまい場面の切り取り方なのですが、主人公の男性が女性から見て理想化されすぎているのが気になりました。
 児童文学の世界でも、女性作家の書く男の子たちは理想化されている場合が多くて(逆に、男性作家(現在はほとんど死に絶えましたが)が書く女の子たちも理想化されがちです)、読んでいて面映ゆいです。
 また、この作品が雑誌に発表されたのは、四年以上も前なのですが、なぜここに入れたのか、短編集の作り方に疑問を感じました。
 
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津村記久子「給水塔と亀」浮遊霊ブラジル所収

2017-01-26 15:01:21 | 参考文献
 文学界2012年3月号に掲載されて、2013年の川端康成賞を受賞した短編です。
 ノーベル文学賞受賞者の名前を冠したこの賞は、優れた短編におくられるのだそうで、この作品もわずか18ページの短いものです。
 定年後の独身の男性が、すっかり変わってしまった故郷に戻って一人暮らしを始める姿を淡々と描いた作品です。
 雑誌で読んだ時は、あまりにオーソドックスな自然主義的描写に徹した作品で、川端康成賞にはふさわしいかもしれないが、作者らしいエキセントリックなところが少しもなく、まだ若いのにこんな枯れた小説は書いてほしくないなあというのが正直な感想でした。
 定年後もこつこつと働いていくだろう六十代の独身男性、「ファスト風土」と揶揄されるような無個性な地方都市、通販で買ったクロスバイク(マウンテンバイクやロードバイクじゃない所がリアリティがあるのでしょう)やプレミアムビール(質素な生活者のプチ贅沢を象徴しているのでしょう)など、今日的な事物はちりばめられているのですが、その書き方があまりに旧来の自然主義的リアリズムに沿った形なので、対象を淡くしかとらえられていません。
 時代から取り残されている文芸誌や賞にはこういった作品が適しているのかもしれませんが、作者も会社を辞めて作家専業になって、注文に応じて書き分ける職業作家になってしまったかと思うとさびしい気がしました。
 こういった時代錯誤な書き方の短編は、児童文学でも幼年物を中心に今でも書かれていますが、本を選ぶ媒介者(親や教師など)には受け入れられても、実際の現代を生きる子どもたちにはそぐわないことが多いです。
 しかし、雑誌で読んだ時の危惧は杞憂に終わり、その後も作者は、彼女らしいエキセントリックな作品を書き続けています。
 そのためか、この作品は他の作品と毛色が違っているようで、単行本に収めるまでに四年もかかり、一応巻頭作ですが賞を取っているにもかかわらず表題作にしなかったのでしょう。


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文学界 2012年 03月号 [雑誌]
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児童文学における描写と物語性

2017-01-26 09:03:55 | 考察
 日本の児童文学の歴史は、描写と物語性のバランスの変遷とも言えます。
 もともとは大人が子どもに物語るところから出発した児童文学は、自然主義文学の影響を受けて作品の中に情景描写や心理描写が取り入れられるようになります。
 その後、小川未明たちの近代童話では、物語性よりも詩的な描写が優先されるようになります。
 1950年代にスタートした現代児童文学においては、近代童話などが批判されて、散文性の獲得や面白さの追求のために、今度は物語性が前面に現れてきます。
 その場合には、アクション(主人公の行動)とダイアローグ(会話)で物語が進められて、情景描写や心理描写は最小限にとどめた作品が主流になってきます。
 しかし、1980年代ごろから児童文学の多様化が進み、一般文学のような描写を主体とした小説的な作品が登場します。
 現在の児童文学の世界では面白さの追求に偏ったエンターテインメントが主流になっていますが、一方で多様化がますます進み描写だけで勝負する幻想的で雰囲気のある作品(未明たちの近代童話へ先祖返りしているともいえます)も出現するようになりました。

絵本の力学
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玉川大学出版部
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