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青き権現




近鉄観光特急、青の交響曲(シンフォニー)に乗って。




吉野、金峯山寺(きんぷせんじ)の特別ご開帳、ラピスラズリ・ブルーの青い権現を参拝に。


もちろん撮影禁止のため、写真はHPから拝借しました。
7メートル、日本最大の秘仏。色はほんとうに鮮やかなラピスラズリ・ブルー。
この世に扉を開けた別世界のようだった。



4月に吉野へ行くことに決めたのは、当然「もしかしたら桜が残っているかも、夫が見たら驚くかも」という淡い期待があったからだった。

しかし、おそらく奥千本でも無理...と分かったとき、友達が、「権現さんの特別ご開帳をしている時期だから参拝するといいよ」と教えてくれたのだ。

吉野駅前から古びたロープウエイに乗り、降り場からはぶらぶら歩いて柿の葉鮨や葛のお店にひきつけられつつ、ちょうど正午の声明が始まる時間に金峯寺に到着した。


戦争やコロナ禍など争いの多い世の中、つとに「宗派を超えて世界平和、他人のために祈る」旨、なさっているそう。ありがたき幸せ。


桜が満開の時期、ここからの眺めはこの世とは思えぬピンク色に染まるのだろう...





ご住職は「桜の時期の吉野はほんとうにきれいです。しかし人が多すぎて吉野の山に人間の欲が渦巻いているようなのがいけない。桜が終わった今の新緑の時期は、山が洗われたようで、私が個人的には一番きれいだと思う」と。

もしかしたら、桜を逃した人々に対するご親切だったのかもしれないが、なるほどそうだなあと感じるほど山中も境内も静かで清らかだった。

吉野葛とお薄をいただいたお茶屋さんも「今からゴールディンウィークまではヒマですー」とおっしゃっていた。


日陰にわずかに...いじらし。



普段は一般人は入れない蔵王堂の内陣(1メートルの距離で)で青い権現さまにお祈りするよう、2回も促していただいた。時間制限もなし。
内陣では「懺悔」をするので、罪深き人だとご同情いただいたからなのかも(笑)。


ご本尊は蔵王堂(東大寺に次ぐ木造古建築 16世紀)に安置される、7世紀の蔵王権現立像3躯。見た通り、ラピスラズリで彩られている。
巨像として著名で、中尊が本地・釈迦如来7メートル以上、向かって右の像が本地・千手観音6メートル以上、左の像は本地・弥勒菩薩ほとんど6メートルである「本地」は本来の姿である仏、「権現」は仏が姿を変えて現れたものの意。
それぞれ過去・現世・来世を象徴する。
通常は秘仏で、インドや中国起源ではない日本独自の尊像、「日本最大の秘仏」と称される。


HPには、「金剛蔵王大権現は、役行者の祈りに応えて最初に現れられた釈迦・観音・弥勒の三仏が、柔和なお姿を捨てて、忿怒の形相荒々しいお姿となってお出ましに成られたものです。大変恐ろしいお姿ですが、慈悲と寛容に満ちあふれたお姿と言われます。全身の青黒い色が、その慈悲と寛容を表しています。まさに怒りの中にも全てを許す「恕(じょ)」のお姿なのです。慈愛に満ちた父母の怒りに似たお姿」とある。


ベルギー人の夫はこのために事前に勉強していた。「仏像の見方」と「神道のカミ」の本で、あまりにおもしろく、飛行機の中で一気に完読したそうだ。わたしより詳しくなったかも...

聖職者の方たちと親しくお話しさせていただき、護摩のお焚き上げも拝見できた。

次回は修験道体験もしたみたい!


吉水神社の書院からの借景。目に染みる。


後醍醐天皇の潜伏先、吉水神社。夫には「天皇に対する「アヴィニョン捕囚」みたいな事件があったんですよ」と簡単に説明(笑)。




源頼朝に追われた義経と静御前、弁慶はここに5日間ほど隠れたそう。先日訪れた岩手県の平泉で自刃している。とにかく逃げて回っていたのね...風光明媚なところばかりだけど!


吉野神宮。ひとけがないせいで忘れ去られたかのような。


吉野神宮にはわたしたちだけ、風が常に心地よく通り抜け、全く現実感のない、夢の中に出てきて消えてしまったかのような神宮だった。

山を駅までたらたら歩いて下りているのもわたしたちだけ...

帰りは吉野神宮から再び非常に快適な青の交響曲(シンフォニー)(一番上の写真)に乗った。
近鉄の特別列車、すごいなあ! 青の交響曲おすすめです。今度は「あおによし」に乗ってみたいなあ。
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瀬戸はひぐれて




瀬戸は日暮れて...


4月から5月にかけての今年の一時帰国中、夫は途中から10日間のみ合流した。

その間に関西から一泊程度で行けるところを探していたら、すてきなホテルがあるから行ってみては、と教えてもらった。




瀬戸内海の生口島。
しまなみ海道(広島県尾道市と愛媛県今治市を結ぶ全長約60kmの道路)が通る島だ。
しまなみ海道は自転車で走れると聞いて、ずっと行ってみたいなと思っていた。


以下は別の友達が、次の旅行で行ってみたいからどんなルートを使ったか教えてと...それで教えて差し上げた内容。

新幹線で福山、乗り換えて尾道まで。
まずは尾道観光へ。




ロープウェイ乗り場まで線路沿いを歩き、千光寺へ。
帰りは坂道をたらたらと降って歩いた。

あちこちで販売されている柑橘のジュースが絶句するようなおいしさ。柑橘類好きにはたまらない。




瀬戸内海の尾道水道、向島等が一望できる、このユニークで複雑で美しい地形、さまざまな文学作品に登場してきただけある。
「尾道水道」という名前からして非常に魅力的、空間や時間の広がりを感じる。気候は素晴らしいし、なんといいところなんだろう!




フェリーで生口島の瀬戸田(フェリーの本数が非常に少ないので注意。三原からの方が頻繁にある)へ。
40分ほどだった。
すでに自転車を持ち込む乗客も多い。




大好物の柑橘類と、もうすぐシーズンが終わるという牡蠣、すぐそこで獲れたというタコなどを堪能し、夜は早い島の夕暮れ...
瀬戸田は、昔ながらの雰囲気や建物と、シックでかわいいカフェやホテルが共存していて、とてもよい雰囲気だ。「しおまち」商店街、かわいらしい。「潮を待つ」、なんてすてき。

ホテルには温泉もあったものの、部屋が十分で...
この温泉は宿泊客でなくとも利用できるので、サイクリング疲れを癒すのにいいのではないか。




翌朝、瀬戸田で自転車を借りて出発。

わたしはどうも自分の体力を過信している。自転車で平らな道を30キロくらい、余裕だと思っていた...
サイクリングも水泳も、自分が10代の頃できていた距離や体力を、脳が記録しており、上書きされていない。

エーゲ海で50メートルが泳げず、泳ぎながら驚いたこともある。はい、船から浮き輪を投げてもらった...サイレーンに溺れさせられてエーゲ海の藻屑になるところだった。

橋の手前がつらかった。橋の手前は上り坂! もともと神戸の山手育ちで自転車に乗り慣れているわけではない(笑)。
そういや、尾道の坂は神戸の阪急の北側の坂に似ている...




生口島を一周してから
多々羅大橋を渡り(この橋の中程で広島県尾道市から愛媛県今治市に)




大三島
大三島橋を渡り




伯方島

ここまでまっすぐ走って約30キロほどだろうか。

伯方島で生口島へ引き返した。今治まであと28キロくらいだったと思う。
根性と時間が許せば、次に位置する大島を渡りきったらもう四国の本土の今治...

次回は見栄を張らず、体力を過信せず、電動アシスト付き自転車を借りて、今治まで走ってタオルを買うのだ(笑)!! 




よかったのは大三島の村上水軍の基地(甘崎城)を眺められたこと。渡ってみたいなあ。

先日、尾張氏のテリトリーであった熱田神社を訪れ、尾張氏は海人族であるかもしれないという説をなるほどなあと思ったのだが、ここはまさに海人の国!




この大林太良先生の本、読みたい。次に海の民の土地にお邪魔するまでには。


・・・・・・

広島県尾道市の記事を書いたので。
広島市で行われているG7に注目しています。
日本のメディアの多くが核兵器禁止条約に触れず、核抑止力論を押し出した「広島ビジョン」を褒めあげている状況、ほんとうに理解できていないのか、理解した上で忖度しているのか、わたしには分からない。
被爆者や平岡元広島市長は「ヒロシマの思いを踏みにじった」と。
G7の持っている核はきれいな核、中国やロシアの核は汚い核、とはいったいどういうことか。
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the shape of a city




東京はたまに行くだけで、右も左もわからないが、少なくとも遊びが目的の訪問客にとっては非常に楽しい街だ!

前回訪れたのは、海外からの入国者には10日間の隔離が課せられていた2021年だ(去年の帰国の折には行かなかったのね...)
まあ、あの時はホテルに缶詰で、ホテルの壁以外には何も見ていない。

親戚友人はホテルに小包を送ってくれたり、差し入れに来てくれたり、ありがたかった。
隔離期間が明けて自由の身になって、すぐに東京と横浜の友達がご飯に連れ出してくれたのには気持ちが晴れた。




今回はまずは国立西洋美術館、翌日は国立新美術館(上の写真2枚と下の写真)、その次はサントリー美術館、最後は根津美術館へ。


この中では初めて訪れた国立新美術館! ずっと見たかった建築...
ポール・ボキューズの食事は、日本で食べるものとしてはまあまあな方だったものの、席のお隣が偶然にもベルギーの西フランダース出身のお2人で愉快だった(夫も同じく)。


サントリー美術館のガラス展『展吹きガラス 妙なるかたち、技の妙』、すばらしかった。
日本の美術館は写真撮影禁止がデフォルトなので、この辺り、全く写真がないのだ...

また、サントリー美術館が入っている東京ミッドタウンが、建築も内容もわたしは一番好みで、毎日タクシーに乗ってとりあえず出かけた先。混雑していないし、わたしが見たいものや利用したいものが多く入っていて。
Time&Styleでは個展を行なっていて、虎の子を散財してしまった。




東京では金継ぎ教室にも行った。
配送された時にはすでに箱の中で破損していたロイヤル・コペンハーゲンのプリンセス、はるばる持って行ったのだ。

これが予想以上に先生の金継ぎ魂に火をつけてしまい、99・9パーセントを作業してくれて、無事、見事に完成。英国に大切に持ち帰った。




確実により美しくなったロイヤル・コペンハーゲン、白と、青と、黄金色のチャーム。魅力的だ。
ロイヤル・コペンハーゲンには皿の写真と、金継ぎ文化の付け焼き刃的ウンチクを送ろうと思っている。

これはしまわず、花を飾ったりして飾っておこう。


金継ぎといえば、友達が連れて行ってくれた銀座の料亭でも、金で継いだ高価そうな器が出てきた。
お店の方が自分達で修理なさっているそうで、すばらしいなと思った。

京都のお教室の講師の方は「京都には金継ぎ屋さんがあるので」とおっしゃっていたのを思い出す。

こういうところは本当に、心から、日本すごい!!と思う。




友達と銀座で待ち合わせ。裏通りの地下にあるシックな割烹へ連れて行ってくれた...写真が一枚もないのはなぜ。ご趣味も優雅でめちゃくちゃおもしろい彼女としゃべるのに夢中で。
(最初の夜に連れて行ってもらったお鮨屋さんの写真も一枚もない...白海老、旬の走りも走り、フライング! だったのに。ほたるイカ、由良ウニ、桜海老、カツオ、鯛、山菜、菜の花、メバル、サワラ...春は美味しいものがいっぱいだ!)

この夜は食後は強風の中を有楽町のバカラ・バーまで歩いて行き、バーテンダーの方たちも一緒にワイワイ話したのが最っ高に楽しかった! 
都会の真夜中ってなぜあんなに楽しいの...

そういえば上記の金継ぎの先生は、オールド・バカラの金継ぎをバカラから依頼されたことがあるそう。ガラスも金継ぎできるのね!




写真がある食事はこちらのみ、西麻布の肉割烹のお店。
肉好きの夫が感動のあまり東京に来ていた英国人クライアントに写メを送ったら、その方「絶対に行きたい! 明日、空席があるか」と。
どこからか糸を引いてもダメだった模様...




虎ノ門周辺、2020年に来た時、再開発が激烈に進行中であまりいいとは思わなかったのだが、今回は! 
もともと摩天楼は大好物なので...
特に宿泊したオークラ東京(改装後、とてもよくなったと色々な方面からおすすめされて! その通りだった)も、とても「気」の通りのいいホテルだと思った。


これほどの人口密度、世界的な大都会、東京の清潔さには目を見張る。

これがどこかのどなたかの犠牲の上に成り立っていないか、しばし考えてしまったけど。


話がとっ散らかっていて、しかも長々と、失礼。東京はこれだけで何日分もの記事になりそうなのにひとつにまとめてしまった。
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五月雨の降り残してや光堂




関西からは遠い遠い奥の細道だが、東京からは違う。

北陸新幹線で、東京駅から岩手県の一ノ関まで2時間。ハヤブサ号に乗って! 
電車の旅が大好き。


一ノ関到着後、JRで2駅先の平泉駅まで行こうとしたものの、次の電車が45分後?! 
タクシーで行った。東京のタクシーはあんなにお安いのに、岩手のタクシーは...


透明な青い空、爽やかな空気。念願の中尊寺へ来たのだ。

八重桜が少し残っていた。猫が桜の枝で飛び跳ねて遊んでいる(階段の右手に写っている)のを笑顔で延々と見てしまう。お寺を見にきたんだけど...

ゴールデンウィーク前、桜の後で人がとても少なく、静かにお参りできた。




陸羽街道 から月見坂(参道)を登る。

丘陵の腹のあちこちににお堂があり、山内には中尊寺本坊のほか、17の子院がある。

時間が経つのを忘れる、というのはこのような日のことだ。




五月雨の降り残してや光堂」(芭蕉)
年月は、金色堂には干渉しなかったのでは? それほど色褪せず、このお堂は美しい、と。
お堂もこの山内で時間が経つのを忘れてしまったのかも...

人間は儚く消えて行くが、自然はそれには関係なく営みを続けるという意の「夏草や兵どもが夢のあと」とは対照的。


金色堂には覆堂がかかり(上写真)、内部は撮影禁止のため、この写真では何が? という感じだが、内部の眩さといったら...宝石箱に入った宝石。
そりゃ金色堂を目にした人の話が、日本は「黄金の島、ジパング」だと西欧にまで伝わった、というのはなるほどなあと思った。


藤原三代のおかげで、今も当時の価値観が...と思うものの、これだけの贅沢、相当過酷な領主だったのでは? 違う? 




こちらは室町時代中期建立の中尊寺金色堂旧覆堂。

もとは単なる「覆い」として造られながら、年月を経て、それ自体に文化財的価値が生まれた例である、と。

すでに室町時代からカバーがかけられていたのね...すごいなあ。




白山神社の能舞台。中尊寺薪能、観賞してみたい。

雪のころも美しいだろう...




お天気が良かったので、JR平泉の駅までぶらぶら歩いて戻り、駅前で「わんこそば」を堪能した。

「JR一ノ関まで行く電車の時間まで20分しかないんですけど、間に合うでしょうか? 無理ならなめこそばをいただきます...」と残念そうに言ったら「大丈夫ですよ!」と。ああ、ラッキー。

生まれて初めて食べました、わんこそば! 24皿。時間があればもっといけました。


次回は「今年行くべき世界の都市」の2位に選ばれた盛岡にも行きたい。
もちろんわんこそばを食べる。花より団子。




蔵王が車窓から見えた。美しや、北陸。


・・・・・・

非常にうれしかったのは、東京でこの前夜お世話になった友達に、「明日平泉に行くの。新幹線で2時間だよ!」と話したら、その翌週だかに「ひとり旅、はまりそう!」というメッセージをくれたこと。そうです、早速あちら方面の用事のついでに中尊寺まで行ったそう...

フットワークの軽い人、大好き。
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英国南部は青紫の花の季節




英国の5月、6月は、わたしが最も美しいと思う季節だ。

1枚目の写真は、数年前に庭に植え、今年初めて花を咲かせたまだ若い藤。





5月上旬から中旬にかけては青紫の花が咲く。
藤、ブルーベル、ライラック...

ライラックは花がもりもりとつくので、頭が重く、嵐が来たらすぐに折れてしまう。




首から折れてしまったライラック、どうやって飾るのがいいの??




青い雲のような野生のブルーベルの群生を眺めながら散歩するのは楽しい。


子供のころ、チョコレートのおまけの「花の妖精シリーズのカード」を集めていた。

一番の気に入りは「柳の精」だったなあ。

あんなに熱心に、あれが出るか、これが出るかと集めていたシシリー・メアリー・バーカー (Cicely Mary Barker。20世紀初頭の英国サリー州出身の挿絵画家・児童文学者) のカード、今では全セットを通販で買えたりする。
買おうかなあ、それとも遠い昔に見ていた夢、失った子供時代、としてそのままにしておくかな。

6月はいよいよ、わたしの大好きな芍薬と薔薇だ。


......


今朝は4時起きでベルギーはブルージュの聖血祭へ...

なんとなんと、ユーロトンネルの30分ほど手前、助手席で爆睡から目覚め、「わたし、パスポート忘れた!」と。
夫は「まあこういうことってあるからね」「行かない方が良かった、と後で思うのかもね」と。
パスポートなんかの忘れ物をするのは初めてだ...

どうにもこうにもできなため、Uターンして家に帰ってきました!
わたしたちが帰省するのを楽しみにしていた義実家には申し訳ないし、今日は晴天の予報だったのに...来週リベンジで。
久しぶりに聖血祭は見たかったなあ!

『聖血祭』
13世紀ごろには原型が完成していたカトリックの行列を伴うお祭り。3年ごとにアセンションの日(昇天木曜日)に開催される。
前回2020年は新型コロナ禍でキャンセルされたため、6年ぶり。
フランスの専制政治から街を救った国民的英雄を記念し、また聖書のドラマ化とともに、イエスの聖遺物(血)がブルージュにもたらされた由来を再現する。
今でこそ地味なベルギーだが、13世紀といえば、ブルージュが世界で最も繁栄していると謳われた時代なのだ。
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