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熱田に剣はあるのか





初めて参拝した熱田神宮には、清らかな夕暮れが訪れていた。


「半日だけ時間があるから、新大阪から新幹線に乗る。ひつまぶしと、山ちゃんと、熱田神宮には絶対お参りしたい!」というわたしの当てずっぽうな希望を、在名古屋の友人が快諾してくれ、午後の数時間にスマートにまとめてくれた。
仕事中のお姿は見たことがないが、きっと仕事ができる人なのだ。

しかも、不老園という老舗の和菓子屋さんでお薄をいただくというイベントも追加してくれた。
ひつまぶしのおいしいお店は、地元の魚屋さんの大将のおすすめを聞いて予約してくれたし、新幹線に乗る前には山ちゃんの手羽先を「ホテルで食べてね」と持たせてくれたし!
持つべきは有能な友である。

『東京物語』の原節子のように品のある彼女の前に、わたしは疾風のように現れ、疾風のようにしゃべりまくり、疾風のように去っていった...




熱田神宮には正宮のほか、別宮・摂社・末社・所管社を含めた45社の社があるという(伊勢神宮は125社。熱田は伊勢に次ぐ大社)。

この社の多さは、お参り前に由来を調べて感じた「熱田神宮って謎が多くない?」という?を確信に変えた。熱田神宮のHPを読んでいるだけで、何か隠したいことがあるのでは?と感じる。

由緒は由緒、伝説は伝説、なのであれこれ言うつもりはないが、説明がギクシャクしている上に取り繕いが多く、辻褄が合わない。
日本武尊の活躍と死が描かれている段を読んでいると、これを書いた人はほんとうに苦労したのだろうなあと思う。ここがおもしろい。


日本の宗教を理解するためには、「習合」(宗教的シンクレティズム)というキーワードが重要だ。
日本では、例えば新しく土地に入ってきた氏族は、その土地土着の宗教を殱滅したりはせず、我の祠と彼の祠を隣同士に祀るなど、「習合」させてきたのである。「和」を持って尊し、とはこれなのかも...

周知のように熱田神宮の主祭神は、三種の神器のひとつ、草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)つまり剣と、草薙神剣の「正体」「御霊代」(みたましろ。神や霊魂の代わりとして祭るもの)としての天照大神をいい、言いかえれば、草薙神剣そのものが天照大神である。

しかしもともと神剣は日本武尊の御霊代であったという。

社殿にも「もともと」がある。

熱田のあるエリアは古代の有力氏族・尾張氏の拠点であった。
熱田神宮の社殿はもともとは「尾張造」であり、今のような、天照大神を祀る伊勢神宮と同じ「神明造」に建て替えられたのはなんと近代、明治26年になってからのことだそうだ。ちなみに尾張氏には、天孫系ではなく、東南アジア系の海人系ではないか、という考察もある。もちろん文化も違う。

なるほど、この社は、明治元年に政府が決めた「王政復古」「祭政一致」の方針実現のため、神道国教化を採用、強化した結果なのだろう。

(その伝いえば、わたしは神社も寺院も拝観するのは大好きだが、明治維新後に「発明された」儒教的な発想には賛同できない。それは神権的国体論であり、天皇崇敬を基盤とし、家父長的で、教育勅語と直結した国家神道だ。
明治維新後の国家神道は時代限定的なものであり、日本の精神文化の流れのなかでは非常に特殊である。)


わたしの推理では、天孫系ではなかった尾張氏所有の剣であったものを、皇統の正当性の証・レガリアとして神器の格に利用するために、古くは素戔嗚尊(スサノオノミコト)の草薙神剣の伝説からこじつけた一連のストーリー...
その完結編が、明治の「神仏習合」である。

つまり、簡単に言うと、剣は尾張氏から奪ったわけです。奪って国をまとめ上げ、先祖や伝説も奪ったのが今の天皇家の先祖、ということになる。


現在、八咫鏡は伊勢神宮に、八尺瓊勾玉は皇居の御所に安置されている(ことになっている)が、皇統の正統性を担保する草薙神剣が熱田神宮にほんとうにあるのかな...

あるのか、ないのか、ないのか、あるのか...

ない、というわけにはいかない。レガリアだから。
しかし、「ある」というわけにはいかない。「ある」と明言した時点で、人間の側に世界を一望俯瞰する万能感を与えてしまう(偶像崇拝が一神教で禁じられているのはこの理由)からである。

ここに宗教の起源を見るような気がする。


楊貴妃の泉で顔を洗うのを忘れたし、熱田神宮、また参拝したいな!


なにはともあれ、最高の鰻だった。
かりっと香ばしく、ふかふか...けちけちせず、大盛りなところもすばらしい。これで梅クラス!
わたしはとにかく「出汁で茶漬け」が好きなのだろう。長崎でも牛肉の出汁茶漬けを食べ、これが忘れられない...
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