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龍宮城がミラノに...






内陸のミラノに水族館があるなどとは想像もしなかった。

いや、あれは春の午後、木漏れ日の中に一瞬だけ現れた別世界のサムネイル、アール・ヌーヴォーの形をした幻だったのかもしれない。
(いや、実在します。Acquario civico di Milano 、スフォルツア城の先のサンピオーネ公園内にある)


その日もとても天気が良かったので、マロニエの綿毛が雪のように舞う中、スフォルツア城の絵画館を見てから(もちろん今夢中のクリヴェッリを見に行ったのです)ナポレオンの建てた凱旋門の方へぶらぶら歩いて行った。

凱旋門自体にはさほど感銘を受けず、ドゥオモ広場へ戻るのに、公園を出てブレラの方へ迂回したら、目に麗しいファサードが横腹を見せてきた。
クリーム色の壁にミントグリーンの植物文様...最近作られたハリボテでなければ明らかなアール・ヌーヴォー様式だ。
なにやら「エイ」だの「ロブスター」だの海洋生物の紋章様のレリーフが飾られている。彼らはコミカルでかつ気取っていて、とても愛らしく、強く惹きつけられた。


正面まで来ると、正真正銘のアール・ヌーヴォースタイルの美しい建物だった。
真ん中にはネプチューンがトライデントを手に立ち、カバ(の噴水)が口から水を垂れ流し、水草が生え、鉢の中を金魚が泳ぎ、すべての上に木漏れ日がキラキラと瞬いている。
ミントグリーンの飾りに金色の縁取り、花や植物の曲線デザイン、窓ガラスには周囲の緑が反射して溶け込み、同化し、まるで龍宮城のよう。

立て札を検分したらば1906年のミラノ万博の際に建設された水族館だった。
自称、世界で3つ目に古いものだそうだ。


展示物よりも、とにかく建物自体が水面で輝く魚の鱗のように美しく、異界をこの世に現す水族館かくあれかし、という雰囲気がむんむんとしている。

ここなら、泡のように儚く美しい人魚姫が女主人でも誰も驚かないだろう。


こちらはわたしのミラノの一番の気に入りとなった。

観光名所よりも変なものが好きな方にはおすすめです。

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ミラノの夢遊の人々






イタリア・ロンバルディア行きはコモ湖がメインだったが、中継地としてミラノにも2夜滞在した。

今回はドゥオモ広場にあるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッラリアに隣接しているパーク・ハイアットに宿泊したので、夜中の一人歩きもこのように(それでも気をつけてね!)。

夜中の都会を夢遊病者のようにさまようのが大好きなのだ。


こちらのホテルはなんといってもロケーションが最高に便利だった。
夜中にひとりぶらぶら出歩いて別の世界に足を踏み入れた気分を味わえるだけでなく...

十字型のガッラリアの反対側にある百貨店リナシェンテの食品売り場(7階)はとても充実していて、持ち帰るパスタやオリーブオイルなどの食品はここで全部揃えた(イータリーもおもしろいが中心をドゥオモと考えるとちと遠い)。
また、簡単な食事もできるカウンター席やレストランが数個入っており、深夜12時まで営業(ラストオーダーは23時ごろか)、ドゥオモを目の高さで真隣で見られるテラス席もある。
これぞインスタグラマーかというド派手ポーズを取る方々も見られる。

どうせ観光客であふれているモンテナポレオーネ通りまで行かずとも、こちらでほとんどなんでも揃うし、店員さんもとても親切。viva百貨店!

近くの別の広場にあるマックストアは店の作り必見。

滞在中何度も行くトラサルディ・カフェと、その2階の大っ好きなレストランもすぐそこ。

ホテルのバアでは新鮮なロッシーニが最高に美味だった...(え、もえさん、禁酒中じゃないの? というツッコミが聞こえます)。しかもバアにフエギアの美しい店(香水店)がつながっていて、気分が上がる。テラス席もある。

この辺は繁華街で人通りも多いので、黒塗りのメルセデスの送迎車を呼んだりすると、セレブかと人が集まって来ます(笑)。サングラス必須(笑)。すごい体験ができます(笑)。


ついでの話、前回3月下旬はブレラ地区にあるブルガリ・ホテルだった。
こちらはドゥオモから徒歩10分ほどのゲートで区別された地域にあり、人目をはばかることのできるホテル。リゾートに来ているようでもある。
そして歩いて外出する雰囲気ではない。もちろん位置的には徒歩数分でブレラ絵画館やブレラ植物園、スカラ座もポルディ・ベッツオーリ美術館にも行ける便利さなのだが、ゲートの奥にあるので...
そして関係者以外の姿はない。どんな車を呼ぼうが人は集まって来ません。
運転手付きの車を店の前で待たせて買い物、そしてまた次のスポットへ...という方向きのホテルなのだ。


以前はフォーシーズンズに宿泊したことがあり、こちらは客層がブルガリやパークハイアットよりも上品でとにかく気持ちがいい。


いいホテルがたくさんある街っていいなあ(住んでみたいなあ!<でた!)。
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『メドゥーサ』



 

(ルーベンス『メドゥーサ』ウィーンの美術史美術館で撮影)



連夜モエはロイヤル・オペラ・ハウスへ。

いっそのこと怪人となってオペラ座に住んだ方がいいかもしれない。

今日書きたいのは3本立て

Within the Golden Hour by Christopher Wheeldon
Medusa by Sidi Larbi Cherkaoui
Flight Pattern by Crystal Pite

うちのひとつ『メドゥーサ』についてだ。

昨今、最も注目されている振付家の一人、ベルギー人のSidi Larbi Cherkaoui(こちらが詳しいhttps://ja.wikipedia.org/wiki/シディ・ラルビ・シェルカウイ)が、プリンシパル・ダンサーNatalia Osipovaのために制作した。
ギリシャ神話の怪物女メドゥーサを題材にした作品だ。

わたしはたぶん彼の作品を見るのは初めてだが、幅広く華やかな活躍と大成功を収めておられることは承知していた。

メドゥーサ役のナタリアは超一流ダンサーとしての全てを備えている。しかも常に全力ですべてを出し切るタイプのアーティストだ。
40分ほどの『メドゥーサ』においても、女神アテナの神殿に使える清らかな巫女としても、怪物に姿を変えられた後でも、ものすごい気を吐いていて、その迫力にまるで燃えているかのようだった。

しかし、ストーリー展開と振り付けは...正直、物足りなかった。


題材自体はとてもおもしろいと思う。

メドゥーサは女神アテナの神殿に使える巫女で、その美貌はギリシャ世界に知れ渡っている。
これに目をつけた海神ポセイドンがアテナの神殿内で彼女を陵辱する。
神殿を汚されて怒った処女神アテナは、海神を罰するわけにいかないため、メドゥーサを蛇の頭髪を持つ醜い怪物に変えてしまう。
また、メドゥーサには見るもの全てを石に変える力を持つようになる。

ここから実際のギリシャ神話では、ペルセウスがアテナから借りた盾を手にメドゥーサを退治をすることになるのだが(そしてついでにメドゥーサの生首を使ってアンドロメダを救出したりする)、舞台上ではどうもメドゥーサとペルセウスはもともと恋愛的関係にあることになっており、哀れに思ったペルセウスが彼女の首を取って始末するのである。

最後は美しい巫女の姿に戻ったメドゥーサが悲しみの舞を踊る。

ううむ。 単なるロマンティックな話に落とし込んでしまったのはなぜなのだろう。

舞台上での演出にしろ、わたしは女性が舞台上で凌辱されるようなシーンは楽しめないし、それが不可欠だとも思えない(ちなみにポセイドン役は平野亮一さん。先日も書いたが、彼は舞台の上で悪い役をやるとものすごく映える)。
さらにアテナによってメドゥーサが懲らしめられる際に、薄衣のスカーフで執拗に首や顔を締め付けられたりし、見ていられなかった。

たしかにギリシャの神々は意味や原因や理由もなくわれわれ人間の上に降ってわく災難を象徴してはいる。それでも、なぜ、2019年に制作された新しい作品なのにもかかわらず、生々しくさえ感じられる暴力の再現が必要なのだろうか。 まさかレイプやセクハラを告発しようとしているのか?(そうとはとても思えない) もっとうまいやり方があると思う。


メドゥーサはもともとギリシャの先住民族であるペラスゴイ人の地母神として崇拝されており、後から来た征服民族(ギリシャ人)がメドゥーサの地位をおとしめるためにこれを邪神に仕立てた。 異教の神が追い立てられ、邪神におとしめられた痕跡は世界中の多くの文化に残っている。

ギリシャではゼウスを頂点とする父権的宗教(その他一神教はすべて父権的である)が成立し、その過程で母権的宗教である地母神崇拝は抑圧された。
父権宗教は人に試練と禁欲を課し、要求し、社会化する。母子の一体化を断念させ、人に自主性を回復させ、自立を強いる。
ペルセウスが断ち切るメドゥーサの首というのは、母との一体化した関係そのもの、地母神崇拝との決別なのである。
「怪物」メドゥーサが、蛇の頭髪を持つのは伊達ではない。蛇は地母神の象徴・使いである。さらに説明するならば、見るものを石に変えてしまう能力というのも母神的な性格で、つまり母神はその視線で子を絡みとり、一体化してしまうのである。


神殿の美しい巫女としてのメドゥーサは、ペルセウスが誕生した時の若く美しい理想化された母親の像である(彼の実際の母親はダナエだが)。
母の胎内に戻りたいという人間の欲望というのはものすごく強いようで、そこには世俗的な心配事など何もない。人はそこで永遠の至福の中にまどろむこともできるのだ。 しかしペルセウスはまさにゼウスの息子でもあるから、父の名の下に母を切る。子を母から切り離し、自立させるのは父の役割なのである。

そう考えるとフロイトがメドゥーサの容姿を「母親の女性器」だと言っているのにも納得が...

エディプス・コンプレックスというのは西洋社会では根が深いようである。

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イタリア・ルネサンスの古都とバレエ「ロメオとジュリエット」




夫はこの週末までコモ湖に滞在したかったのだが、わたしはロイヤル・バレエの「ロメオとジュリエット」(Romeo and Juliet)、ジュリエット役Marianela Nunezの回を見るために飛んで帰ってきた。

先週末は現在ダンサーとしての一つのピークを迎えているであろうVadim Muntagirovがロメオ役の回を断腸の思いであきらめた。イタリアに残るか英国に帰ってバレエを見るか...結局はいい席を取ってあったにもかかわらずイタリアに残ることにしてあきらめた。
彼のロメオ、叙情的だろうなあ...Sarah Lambのジュリエットも見たかったなあ... と翌日までくよくよと引きずったのには我ながら驚いたほど。
イタリアの古都を、ロメオの面影を求めて彷徨いましたよ! (それは言い過ぎ)


さて、昨夜は当初のロメオ役だったReece Clarkeが負傷し、代役が...

Jacobo Tissi。

ボリショイのイタリア人ファースト・ソリストで、また美形を引っ張ってきたなあ! と感嘆した。

まだ23歳かそこらで、とても美しい姿形をしている。絵に描いたようなイタリア・ルネサンスの貴公子。
踊っていない時の動作が多少バタバタしていて、また剣舞の剣の使い方が「これじゃ一発で倒されるだろう」というくらい弱々しかったのが残念な印象はあったが、グラン・ジュテの美しさには驚愕した。

彼はミラノ・スカラ座でトレーニングを受けた後ボリショイに入団しており、わたしが先週イタリアの古都で追いかけたロメオの面影は彼だったのか! と(笑)。


それはそうと、Marianela Nunezのジュリエット、ほんとうにすばらしかった。
あの嫌味にならない愛らしいあどけなさ、照れてもじもじ、ヘラヘラする少女の仕草。なぜ愚かにも仮死状態を招く薬を飲んでしまったのかという説得力。完璧な技術。
マリアネラ、内面から光り輝き、周囲のものをも照らす、バレエの女王なのである。

ロメオのモンタギュー家と対立するキャピュレット家の甥、ティボルト役の平野亮一さんがすばらしかった!
平野さん、実際の人柄がとても良さそうなのだが、舞台の上では悪そうな役をやるとものすごく映える。 あのプロコフィエフの有名な「騎士の踊り」の時の凛々しさといったら! 美しい男性が立ち並ぶ中でも最も際立って美しかった。

おそらく、ロメオの親友マキューシオ役のMarcelino Sambéが英国のクリティックの絶賛をさらっていくだろうと思う。わたしももちろん賛成!


(写真は本文とはほとんど関係ないが、数日前に訪れたルネサンスの香り残るイタリア北部のベルガモ。旧市街が丘の上にあり、過去に思いを馳せるのにぴったりの場所。街の中心広場にある傭兵隊長コッレオーニに捧げられたロンバルディア・ルネサンスの薔薇色の礼拝堂も、内部のティエポロのフレスコもこの上なく美しかった)

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lake como, italy





世界を裏で牛耳る大悪党・大富豪の別宅 そこに忍び込む敏腕スパイ

という単純な構図が頭から離れなくなるような美しい邸宅があちこちに


Tremezzoなどもいいが、LennnoやTorno のひなびた感じもいい

もちろん一番いいのは公共ボートの停泊しない各個人宅の船着場があるだけの集落

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