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Brugge Style
"the white queen" @ brugge
7月、8月は、ブルージュには1度だけ1泊で帰省したきりになってしまった。
ブルージュ時代は毎日バアに通うご近所付き合いだったケンピンスキ・ホテルが別の経営に渡り、また10年ぶりで内部を見たロマンティック・パンド・ホテルの内装劣化ぶりに驚き、諸行無常は世間の常なれど、自分がいない間に(わたしなんかいてもいなくても一緒なのだが)いろいろなことが起きては流れ起きては流れして行くのだな、と実感した。
今月と来月は必ず帰りたい。9月のベルギーは天候に恵まれることが多いのだ。
話は変わって、BBC TVシリーズ "The White Queen" 。
「白の女王」とは、15世紀英国薔薇戦争の時代にエドワード4世妃となったエリザベス・ウッドヴィルを指す。
原作者の英国人女性作家フィリッパ・グレゴリーは、中世英国に生きた女性を中心にした歴史フィクションを多数発表していて(映画「ブーリン家の姉妹」の原作者でもある)、目下売れっ子のようだ。
わたしは彼女の原作で映像化されたストーリーは、どれも妙に現代人に理解しやすく(<いい意味ではない)、あまりにも綺麗で、あまりにも話を単純化しすぎという印象を持っている。
500年前の話なので、価値や習慣がにわかには信じられないとか、生死や時間の感覚が違うという驚きとか、そういうショックや消化しきれないものがもっとあってもいいと思うのだ。
しかしどの映像もドレスや装置が過去のものなだけで、どの人物も、たとえどんなに古くさい倫理観を述べたとしても、なぜかとても「現代的」だ。夫がファンなので大きな声では言わないが、「ゲーム・オブ・スローンズ」の方がまだましなんじゃない?! というくらい。
モチーフとしても、美しい女、ロマンス、王に取り入る諸侯、暗殺、外国との駆け引き、生き残りをかけた戦い。以上。ありがち。
つまり、ありがちなモチーフを「意思を持った女の視点」という今までとは違う視点で語らせたら、その視点は単に現代の視線になってしまいました...そんな感じがする。うむ、フェミニストが言うように、われわれ女性は本当に抑圧されていて、自分自身を語る言葉を持っていないのかもしれない(笑)。
まあ、物語のモチーフは限られているとか、人間の欲望というのは元々単純なものだとか、そう考えることもできる。あるいはそういう話でないと売れないとか、ドラマとして面白味を出すためにはなどという諸事情もあるのだろう。
でもわたしは "The White Queen" は最後まで見た(同工異曲の「テューダー」は途中で飽きた)。
なぜなら、英国史に何人も何人も「何人おるねん!」という調子で次々登場するエドワードやヘンリーやリチャードやエリザベスやキャサリンを頭の中で綺麗に整理できる「あさきゆめみし効果」(<あの漫画のおかげで古文で「源氏物語」をやっている時は常に成績が良かった)があったからだ。
今までは...告白すると、白黒のローレンス・オリビエとイアン・マッケランの「リチャード3世」を軸にあの当時の英国史登場人物を整理していた。が、最近徐々に記憶も薄れ始め、その矢先、クリアでクリーンなヘンリー6世、エドワード4世、リチャード3世、ヘンリー7世、おまけにエドワード5世を上書きして保存することができたのだ。
たぶん知識量としては受験生当時と同程度かそれ以上になったと思う。浅ーくて、レベルひくーいけど、6世か7世か即答できるようになってうれしい。霧が晴れたようだ。
...わたしが結構真剣に見てしまった理由は他にもある。
このドラマ、ベルギー、しかもブルージュで多くが撮影されたのだ(他にゲント等)。
ブルージュ市庁舎のゴシック・ホール - ウェストミンスターの広間
聖母教会 - 旧ウェストミンスター宮殿の聖スティーブン礼拝堂
ヘイリグ・ヒースト通り - 中世ロンドンのとある通り
聖血礼拝堂 - ロンドン塔 (以上ウィキペディアから)
他にわたしが気づいたのは、
鐘楼中庭 - ウェストミンスター宮殿中庭
他にもグルトゥス博物館の門、中庭、内部も使われていた。
ウッドヴィル家のファサードが、典型的なフランダース・スタイル(あれはブルージュの隣町ダムだろうか)なのはあれでいいのだろうか...
それでブルージュの義両親に撮影当時はさぞ不自由だったのでは? と聞いてみたら、地元の人は普段そんな観光スポット内部に行ったりしないこともあり、全く気づかなかった、と。友人家族は「”撮影中”の張り紙がしてあるのには気がついたー」程度だった。映画 "In Brugge" の撮影のときのように、レイフ・ファインズが運河ボートに乗ってた、とかいう目撃談が欲しかったぞ。
そんなわけで最後までじっくり見た。
すべてのことは起り流れて行く。
この後、テューダー朝をエリザベスの娘のエリザベス中心にドラマ化する予定が消えたというのは残念。
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リヤドという美
わたしは独立円柱(コラム)のある回廊、それにぐるりと取り囲まれた吹き抜け中庭、この2つで構成された建物が大大大好きだ。
回廊と中庭があるだけでなく、外部とは壁で隔絶され、上空から見下ろして建物が”口”の形(線の部分が建物ね)をしていたら最高!
例えば母の実家は、独立柱、縁側と渡り廊下(<回廊に似ている)があり、壷庭を備えた古い家だが、凸型の底1本を欠いた形をしていることと外庭に向かって窓や扉がたくさん開いていることで隔絶感が全くない。四方八方から風が抜けるこういう形は温暖湿潤な日本型の気候に合っていたのだろうし、腹の底から湧き出るような愛着は感じて余りがあるが。
”口”型建物は乾燥し暑く雨の少ない地域に適している。
エジプトやギリシャ/ローマ等の古代建築は別にしても、現代のファミリー・ハウスとしてイスラエルやメキシコでもよく見かけた。
この夏スペイン南部、フランス南部、モロッコ中南部と旅して、「リヤド」を含む多くの”口”型建物と遭遇、また特に意図なくスペイン南部とモロッコの両国を続けて訪れたことで、ムーア様式の広がりとつながりを実感できたのは、旅の大きな収穫となった。
あの辺りの歴史は、受験生時代に魅せられつつも語呂合わせで年代を覚えまくるといった上辺だけの知識しか得ていなかったので、これからイブン・ハルドゥーンの「歴史序説」でも読もうと思っている。秋の夜長にもってこいの長編。
前置きはこのくらいにして...
本題の「リヤド」について。
「リヤド(riad)」はアラビア語で「庭」という意味だそうで、広義においては吹き抜けの中庭のある伝統的なモロッコの"口”型の建築(8、9世紀にかけて栄えたイドリース朝時代にはすでにこの様式が見られ、ムラービト朝時代にはスペイン南部のアンダルシア地方にも広がった)を指す。わたしの好きな形そのものだ。ちなみにスペイン・アンダルシアで宿泊したパラドールもこの様式だった。
近年、リヤドはモロッコ人の生活スタイルの変化や建物の老朽化によって見捨てられる傾向にあり、しかし一方で西洋人がその美に目を付け、規模によって4室から20室ほどのブティック・ホテルに改装されていることも多い(今調べたら、2010年頃リアリティ・ショウで取り上げられたらしい)。
そういうリヤドにどうしても泊まってみたかったので、マラケシュではヒッチコックの「知りすぎていた男」のロケ地になったホテル(<わたしが世界最高だと思うホテルのひとつ。リヤドではない)と、知り合いの超リッチなフランス人が所有するおしゃれなリヤドにも投宿した。ここは全6室で、しかも客はわたしたちだけだった。
ホテルになったリヤド、当たり外れがあるのかもしれないが、ほんとうーに素晴らしい!
静まりかえった回廊を支える数学的に美しいコラム(<世界中のコラムをコレクションしたいほど大大大好き。マラケシュの古道具屋でらくだの骨を象眼した円柱に惚れ、値段を聞いたら!)。エンタブラチュアのレリーフ、からからに渇いた木製の手すり。つやつやの漆喰の壁、中庭のプールに沈む微妙なトーンのモザイク。上空から流れ込む涼しい風。吹き抜けから眺める額縁に入ったかのような青空、夜は緞帳のように降りてくる宇宙。たゆたう水の、音、音...
小さすぎず、大きすぎない建物の規模が、”口”型の魅力を最大限に活かせていたと思う。規模は大切だ。
ここが自分の家だったらと何度夢想したことか。わたしもいつか超リッチになって、リヤドを一つ改装したい...と吹き抜けから見える夜空の星に何度も何度も願った。
実現したら千夜一夜物語ですよ。
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sam tho duong と初秋の展覧会
Sam Tho Duong は最近知った中で、最も衝撃的かつ最も好みのジュエリー・デザイナーだ。
左のブローチ、何がモチーフだと思われますか?
...
生姜!土しょうが!ジンジャー!
"Ginger" コレクションのひとつ。
生姜モチーフというのが発熱しそうなくらい素敵。そう言えば蓴菜(じゅんさい)モチーフのブローチを持っていて、それもとても気に入っている。植物の造形が好きなのだ。竹とか、ハエトリグサとかね...
わたしにはトライポフォビア(集合体恐怖)の気味があるのだが、同時にそれに強烈に惹かれる部分もあり(恐怖とはそういうものだ)、中身のつぶつぶにも異常に魅入られてしまった。
このブローチが欲しくて欲しくて、「今年の誕生日プレゼントはぜひこれにしてくれたまえ」と夫に見せた矢先、ミュージアム・ピースであるということをV&A(ヴィクトリア&アルバート博物館)の展覧会の告知で知る。
ああ、つまりわたしには手の届かないお値段がついているということだろうか...
しかしながらロンドンで Sam Tho Duong のコレクションの一部(”Frozen"等)が見られるのは、夏を惜しみ沈みがちのわたしの気持ちを引き上げた。もちろんこのブローチを肩に胸に、ウエストに飾れるならば次の夏まで浮かれ続けることもできようが。
この展覧会は初秋の一番最初の楽しみ。
劇場シーズンも始まりますしね!
右のネックレスも素敵過ぎて瞬きするのを忘れてしまう...
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mr. summer time
Mr. summer time
あれは遠い夏の日の幻...
夜半過ぎに今夏最後の旅先から英国へ戻って来た。
英国も今年は久しぶりに本物の夏が来ていたようで、ロンドン南部のガトウィック空港で飛行機のタラップを降りた時も夏の夜風が吹いていた。
今日も最高気温27度の予報が出ている。
夏の終わりを延期できるのは大歓迎だが、明日から娘の学校が始まるので、とりあえず「夏」は終わり...
(反抗期真っ盛りの娘の態度が気に食わないと髪を逆立てて怒る日が始まるのか。ブルーだ)
夏の終わりが切ないのか、旅の終わりが切ないのか。
夏が終わるのはどうしようもないとしても、旅の終わりの切なさは緩和できるだろうと、「年末年始の仮予約をしておいて」と言い残したモロッコのホテル(あまりに素晴らしかった)に確約のメールをしてささやかな抵抗とした。
一生旅だけして暮らしたいものだ。
王妃エリザベトのように。
(サーカスのMr.サマータイム、子供の頃意味も分からず口ずさんでいたが、裏切りの曲だったんですな...)
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