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たいせつだと思うことなど




先日、「犬の散歩のために5時起き」という記事を書いら、意外なほどに反応を頂戴した。





ブルージュの青い朝




わたしが毎朝、2時間ほどの散歩時間を取れるのは、犬と一緒だと意外なほど歩ける、四季の発見が楽しい、身も心も目覚めて、やる気とエネルギーが湧いて来る、といった面があるからだ。
でも、寒くなるとベッドから出たくないし、雨でもぱらついていれば、当然「ああ...」と暗い気持になったりする。

それでもがんばって出かけられる一番の理由は、彼女が死んだ時に後悔したくないからだ。


わたしは今まで猫、犬、うさぎ、鳥、などと生活してきた。

彼らの寿命からして、人間はほとんどの場合彼らの死を看取ることになる。その時に「ああ、もっと一緒に遊んでやれば良かった」「もっと散歩に連れていってやればよかった」「健康管理をしてやれば良かった」などと悔いたくないのだ。
飼われている側は人間に生活をコントロールされているわけで、人間は自分の都合を押し付けている分、最低限の義務は果たしたい...

その点、ブルージュではすぐそこに公園があり、森があり、散歩道があり、動物を飼う環境としてはかなり恵まれている。しかし、わたしは別に森がなくても、住宅街や、開店前の繁華街の中を散歩するのも充分楽しいと感じる。
「お散歩は森の近くに住んでから行こう」ではなくて、今、できることをするのが幸せを感じるヒケツなのである。

自分や他人を喜ばすのは意外と簡単で、本当に気持の持ちようひとつである。



わたしたちは毎日、しなければならないこと、した方がいいけれど後回しにしてしまうこと、すすんでやりたいこと、やりたくないことなどに追われて生活している。
以前はわたしもいろいろな野望(?)を持っていて、これから先のために今を生きているような感じだったが、近頃では名声を得ることや自己実現などよりも、犬の散歩を適当にやりすごさない、などという普通~のことの方が大切に思えるようになった。

そんなわたしに友人は「それが悟るということよ」と言うが...せっかくですからごく一部悟った、ということにしておこうか(笑)。煩悩はまだまだたっぷりあるし、別に逃れたいとも望んでもいないから。



今朝は勢いついた犬が、50センチほどの高さの石の欄干を馬のように優雅に飛び越え、しかし2メートル下の芝生に落下...彼女、欄干をただの「しきり」(花壇の周りなどにある組み石)だと勘違いしたようだ。下が運河じゃなくてよかった。
でも彼女が水にハマるのは時間の問題に違いない(笑)。


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