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滅びの美学があるならば





11月のヴェネツィアを訪れたのは、25日までのヴェネツィア・ビエンナーレに初出展している、ヴァティカン市国「ヴァティカン・チャペルズ」がどうしても見たかったから。

泊まりたいホテルがこれ以降は冬季休暇に入るのと、誕生日を晩鐘の似合うようなしみじみとしたところで過ごしたかったのも理由だ。


冬のヴェネツィアは、「ベニスに死す」の最後の方のように、人々が逃げ出し、あと数日で誰もいなくなるというような、うち捨てられた街の雰囲気なのでは...

とイメージして行ったのだが、なんの、あの都は雨が降ろうが槍が降ろうが、水没寸前だろうが、堤防プロジェクトの20億円予算が消えようが、キリギリスの音楽を奏でて集客するつもりでいるらしい。


ヴェネツィアは何度も訪れているが、冬の訪問は初めてだ。そしてこの時期の観光がわたしには向いているということがわかった。

ずいぶんよい天気で日中は暖かく、ダブルフェイスのコート一枚でいっときは暑すぎるほど十分だったし、革のブーツではなくエーグルのゴム長靴を持参したのは、人々が避ける浸水したサン・マルコ広場の一角や、夜半過ぎの運河際もかまわず歩けて正解だった。





年中激混みのヴェネツィアも、この時期はそれほどでもない。ドゥカーレ宮殿もこれほど人がまばらなのは初めてだった(サン・マルコ広場とその周辺はそれでも人が多かったけど)。

サン・ジョルジョ・マッジョーレ島も、その森の中に設けられたヴァティカン・チャペルズも、開催期間が終わりで閑散としていた。
テーマにふさわしい静寂の中、落ち葉を踏みしめる音を聞き、小さな島を洗う潮の流れを背景に眺めながらゆっくり見学することができた。

ビエンナーレのメイン会場の方も拍子抜けするほどすいていた。


夏場は日差しが強く、水に反射して写真に影が多く写り、わたしの腕ではいい写真が撮れないのが常だが、この時期は光がとてもマイルドで写真が撮りやすかった。

ぎりぎりでは予約の取りにくいレストランも簡単に席を確保できた。

路地裏歩きの観光をしている人もごくごく少なかった。
ヴェネツィア派の絵画マップを製作して行ったものの、あてもなく歩き回る方が優先になり、呼ばれるような気がして入った名も知らぬ教会内に下調べをしておいたティッツイアーノの一枚があって驚いたり、聖具室にルーベンスを発見したりするのには、霊的なものを感じずにはいられなかった。





夜半から早朝にかけて満潮で水が上がって来(アックア・アルタ)、潮が大理石をなめる街はクノップフの夢のように美しかった。

水が陸へ上がってくるのを、まるで魔物に魅入られたかのように見入った。
生と死は隣り合っているのだ。

このままでは街全体が海に沈んでしまう、という警告さえも美しさと思わせてしまうのがヴェネツィアなのだ。

ヴェネツィアを水没から守ろうとする堤防プロジェクト「プロジェクト・モーゼ」には説得力があるが、ここではまるで、音楽のうまいキリギリスを延命して後世までその演奏を聴けるようにしてやろうなどとは誰も考えず、いずれその音が完全に止まってしまうとしても、今この瞬間の美しいうちに十分聴いて、後はどうなろうが知ったこっちゃないとでも思っているようだった。

美には終わりがあるのだから、と。
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