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アール・ヌーヴォーの華 オルタ美術館





ブリュッセル、アメリカ通り25番地。

ベルギー・ゲント出身の建築家ヴィクトール・オルタが1898年に自邸として建設したアール・ヌーヴォーの建物である。

ちなみに彼が1893年にこれまたブリュッセルに建設したタッセル邸が、アール・ヌーヴォー様式の最初の建築物であるとみなされている。
「建築家ヴィクトール・オルタの主な都市邸宅群」は世界遺産にも登録されてい、アール・ヌーヴォーと建築を融合させた功績は大きいそうだ。


19世紀終盤から20世紀にかけてヨーロッパで胎動したアール・ヌーヴォーについては、ガレやラリックなどのガラス製品の花や植物、昆虫などのモチーフを多用した装飾、あるいはミュシャの曲線を多用した美人画を、誰もが「ああ、アール・ヌーヴォーね」とすぐに頭に浮かべるかと思う。


こちらは前回2019年のプラハ、ミュシャ美術館前で。



こういった装飾性の高い有機的な意匠と、近代の新しい材料である鉄やガラスなどの組み合わせは、アール・ヌーヴォー建築の特徴である。


なんと夫がオルタ邸の美しき内部を見学したことがないというので、行ってみた。

「用の美」。

事情が許すならば、人間はこういった建物に住まうべきなのだっ! と思う。
(残念ながらオルタ邸内部は撮影禁止のため写真がないのです)


19世紀から20世紀にかけて、西欧の一部の芸術家は日本の美に突破口を見出したが、わたしたち日本人にとっては西欧化される前の日本の「用の美」というのは心の故郷かと思う。


アール・ヌーヴォーの母体としては、アート・アンド・クラフツ運動があるという。
英国ヴィクトリア朝、産業革命の結果として大量生産による安価で粗悪な商品が市場に流通することになった。
モリスやラスキンらは創造性が枯渇していく状況を懸念し、中世の手仕事の精神を取り戻し、生活と芸術を統一することを主張。この運動の効果による社会の再生までを射程に入れた。

社会は変化と反動が常にセットなのだな...

こうして始まったアール・ヌーヴォーだったが、第一次世界大戦を機にして再び反動が起こる。
アール・ヌーヴォーは次第に様式化されてしまい、何よりも生産にコストのかかりすぎた。そこでデザインは幾何学的でよりシンプル、工業化でより安価に製造できるモダニズム的アール・デコへと、主に20世紀初めにアメリカを中心に発展。


西欧でも日本でも、大量生産の画一的な安価な品は、社会に一定の役割を果たした(果たしている)ものの、可能ならば、機能的で美しく、共に生活して楽しく、使い捨てにせず、修理して使い続けられる生命の長いものに囲まれて生活したい。
わたしのある友達なら「魂のこもったもの」と言うだろう。


うちに来た人が「プラスティックがどこにもない!」と驚いたことがあったが、わたしが家でできることといえばそれが限界かな...美術運動には程遠い、遠すぎる(笑)。
ないわけではなく、牛乳やマヨネーズやタッパー類はガラスを買っているが、洗剤やシャンプーなどはやはりプラスティック容器で、隠れてもらっているのである。
あと、断捨離はしません(笑)。
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