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Brugge Style
あれは娘が幼かったころの秋の入り口
ブルージュをひとりで散歩途中、ブルージュを囲む緑の道(昔は街を囲んでいた市壁の跡。今は緑のベルト状の公園になっていて散歩にぴったり)を歩いて、いわゆる「愛の湖」の方へ足が向いた。
すきとおる初秋の光も手伝ってか、ふいに記憶が23年も前に飛んだ。
比喩ではなく(いや、比喩か)こういう記憶は身体の記憶なのだろう。
身体は時間を認識しないのかな? と思う。
娘が幼かった頃、彼女を乳母車に乗せ、無聊のままに毎日毎時間、ブルージュを文字通り「さまよった」のだった。
幼い子と一緒なので、それなりにやることは多く、これからどうなるのかというような不安はなかったものの。
夫はアメリカ出張中心で留守がち、ネットで読めるものなどもまだまだ少なく、メールアドレスを持っている友人もほとんどなく、日本の家族からも友達からも切り離されていた。
当時はPCを持っている人さえ少数派だった。
98年にWindows98が発売され、ネット普及率は13.4パーセントだった。
わたしはアップル社の初代のラップトップを持っていたが、ほとんど無用の長物だった(<今、すごいお値段で売れるみたいだ・笑)。
それ以前から海外在住経験もあったし、親切な人たちに囲まれていたとはいえ、今振り返って自分自身を眺めてみると、どうやってサバイバルしたのか?! と思う。
ただ、街が限りなく美しかったのが救いだった。
そんな娘も23歳になり、来年の今頃は日本でいう研修医としてすでに働き始めている(予定!)。
彼女はブルージュで育った11年間は、望みうる最高の子供時代だった、と言う。
秋になるとこうやって時を振り返ってしまう、まるでブルージュの運河を行く観光船を後ろから見おくるように。
ブルージュ、コロナ禍で観光客数が当然落ち込んでいたそうだが、今はもう中心部は激混み、レストランの定休日が多い日曜や水曜は、観光客向けのお店はともかく、地元民が好むお店はなかなか予約ができなかったりもする。
ホテルも目ぼしいところは取りにくいことも。
かつては質がよかったものの、改装が喫緊なのではというところも多い...
商店街は一方で歯が抜け落ちたように空き店舗が目立ち、売り場を拡大したのはザラだけ、という...
これから観光に行かれる方は、人混みを避けたい向きには、わたしは個人的には以下をお薦めする。
1:一番上の写真のグリーンベルト(ブルージュ旧市街を取り囲む緑の散歩道、公園)をぐるっと散策
2:人気のある美しい写真スポットを眺めるにはライトアップが消える前の夜中(ブルージュの中心街は安全、わたしがひとりで歩くことも)
3:独特の建築を楽しむためには、ヤン・ヴァンアイク広場Jan van EyckpleinからスピーガルレイSpiegelreiをセント・アナレイSint-Annareiとランガ・レイLangereiの交差するほうへ、そしてGouden-Handreiを曲がる...というコースを
4:ブルージュの旧市街のすぐ外から出ているボートに乗って隣村Dammeへ。自転車でも行けるし、自転車もボートに乗せられるよ!
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