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ケンブリッジで「知られない神に」会う








引越し前に書いてそのまま放置していた記事を。

いつもの長文です。


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2月の学校のハーフターム(学期半ばの一週間のお休み)で、ベルギーに帰省する予定だった。
が、わたしの英国ビザ申請中につきパスポートが手元になく(この先6ヶ月も!)、代わりに近場へ。

車で2時間ほどかけて北上しケンブリッジに行った。
ちょうど1年ぶりだ。とても暖かい2日間で、ホテルの屋外テラス席でお茶を飲んだほど。


ケンブリッジ大に31だかあるカレッジの華麗なるチャペルなどを見学しながら周遊していると、西洋の発達はキリスト教と切り離して考えることはできず、聖書の使徒行伝に出てくるパウロの言動を思い出した。


手元にある日本聖書協会の聖書を紐解いてみよう。

使徒行伝17章16節あたりから、「」内は引用。


キリストの死後、弟子のパウロはアテネで他の使徒と待ち合わせ中だ。

彼は、「市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じ」ている。
それは、われわれこそが真実(の神)を知っている! 彼らは無知だ! という類の怒りだ。

そこで彼は、ユダヤ人や、ギリシャ人の哲学者たちを相手に、イエスとその復活を説くのだが、なかなか伝わらない。


一方のアテネのギリシャ人たちは限りなく礼儀正しく、公平だ。

「君の語っている新しい教えがどんなものか、知らせてもらえまいか、君がなんだか珍しいことをわれわれに聞かせているので、それがなんの事なのか知りたいと思うのだ」と言い、パウロをアレオパゴスの評議会に招く。


パウロはそこでこのように述べる。長いが引用。太字まで飛ばして下さっても。

「アテネの人たちよ、あなたがたは、あらゆる点において、すこぶる宗教心に富んでおられると、わたしは見ている。実は、わたしが道を通りながら、あなたがたの拝むいろいろなものを、よく見ているうちに、『知られない神に』と刻まれた祭壇もあるのに気がついた。そこであなたがただ知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう。この世界と、その中にある万物とを造った神は、天地の主であるのだから、手で作った宮などにはお住みにならない。また、何か不足でもしておるかのように、人の手によって支えられる必要もない。神はすべての人々に命と息と万物とを与え、また、ひとりの人からあらゆる民族を造り出して、地の前面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めて下さったのである。こうして、人々が熱心に追い求めて探しさえすれば神を見出せるようにして下さった」

人々が熱心に追い求めて探しさえすれば神を見出せるようにして下さった

これこそが、西洋の知の発達の原動力、ケンブリッジなどの大学の「基礎」だ。
西洋では人々が熱心に神の摂理と意図を追い求めることによって、学術が爆発的に発達したのだった。

われわれの神は絶対に正しい。世界はその前提で成り立っている。科学の証明を始め、森羅万象のつじつまが合わないように見えるのは、人間がまだ神の意図を理解しないからである。神は絶対に間違えない。われわれは知力を磨いてそれを見出すのだ...凄まじい原動力になるみたいですね。


ただ、わたしはギリシャ人のセリフ、「君がなんだか珍しいことをわれわれに聞かせているので、それがなんの事なのか知りたいと思うのだ」というのが、さらに高度に知的だと思う。
言語も習慣もわれわれの理解を超えてる、彼ら「隣人」(この隣人には神も含まれる)と、分かり合えずとも、知り得ずとも、なおコミュニケーションしようとする態度だ。

寛容さが失われつつある今の世界においても、とても有用な「知」だと思うのだがどうだろう。
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