goo

beyond caravaggio




ナショナル・ギャラリーで開催中のBeyond Caravaggio展へ。

カラヴァッジョと、その後継者カラヴァジェスキ(「カラヴァッジョの絵画を研究し、その作風を真似た追随者はカラヴァジェスティ (Caravaggisti) と呼ばれることがある(カラヴァッジョ派、カラヴァジェスキとも)」(ウィキペディアより)の作品を並列し、比較する展覧会。


ナショナル・ギャラリー所蔵の数点も優れたコレクションだが、アイルランド国立美術館蔵の「キリストの捕囚」や、カンザスシティのネルソン・アトキンズ美術館「洗礼者ヨハネ」も来ている! でも、でも、もっと世界中からもっと集めて欲しかった!

同じように、もっとカラヴァッジョ作品を見たいと思った夫は、「カラヴァッジオ作品をたどる旅」を計画したいと言っている。
80年代のはじめ、アメリカでカラヴァッジョ展を見たわたしも同じことを思った。あれから30年か...

来年の夏、ほんとうに行けたらいいなあ。ローマからナポリ、そしてマルタとシチリア...(写真はそんな彼が早速ミュージアム・ショップで購入した画集)


閑話休題。

"beyond"は、カラヴァッジョ「以降」にすぎず、カラヴァッジョを「超えた」芸術家は結局ひとりもいなかったのか、という印象だけが強く残った。ルネサンスの影響から初めて逃れ、

「フェルメールも、レンブラントもベラスケスもルーベンスもラ・トゥールも、カラヴァッジョがいなければ登場しなかったといわれている」(宮下規久朗著「カラヴァッジョへの旅 天才画家の光と闇」15ページ)ほどのイノベーター。


「キリスト教史上もっとも重要なパウロの回心の奇蹟は、超自然的な光や神の顕現によったのではなく、すべて余人のうかがい知ることのかなわぬパウロの脳内で起こったという近代的な解釈が提示されたのである」(204ページ)と賞賛されるモダンさ。

展覧会のパンフレットやオーディオ・ガイドには、「彼の絵画を理解するには特別な知識が必要ない。その主題の分かりやすさ、モデルのリアルさ」が彼のモダンさの理由であると強調されていたが、

「奇蹟というものはすべて内面的な現象であり、神も信仰もつまるところ個人的な内面や心理の問題に帰着する。とはいえ、神や奇蹟を否定することはできず、たしかにそれは存在する。こうした考えは、カラヴァッジョ固有のものというより、フィリッポ・ネリ、イグナティウス・ロヨラ、カルロ・ボロメオ、アビラの聖テレサといったカトリック改革期の宗教家たちによって形成された、個人と神との対峙を重視する宗教思想を反映したものであろう。しかしそれを説得力のある様式ではじめて視覚的・触知的に知事し得たのがカラヴァッジョだったのである」(208ページ)、繰り返しになるが、これこそが彼のモダンさを理解するキーワードでしょう。


宮下先生の「カラヴァッジョへの旅 天才画家の光と闇」、この展覧会を機会に読み返した。
おもしろくて読みやすく、おすすめです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )