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都市の形態について考えてみた




先日バースを訪れて感じた大陸と英国の街のつくりの違いにとても興味を持ったのでもう少し考えてみた。


ヨーロッパ各都市の「広場」は、ギリシャ時代のアゴラを祖先にしている。

初期設定として、街の中心に公的な社会活動を担う広場を置き、その周囲何キロかを壁で囲み、その壁の中に都市機能と住居エリアを入れられるだけ入れて(「都市」)、壁の外には緑地と耕作地と別荘などを置く(これが「都市」に対する「田舎」)のだ。

以下便宜上、アルファベット(例:A)を「都市」、アルファベット”(例:A”)を「田舎」として考える。


まず、大陸的な街としてベルギーを念頭に置いて述べる。

広場を中心に都市Aが形成され街壁を備えた後、Aの外部である田舎A"に元々居住していた人たち、あるいは都市部AからA”へ押し出された人たちは、A"の地で新しい広場を中心に持つ「都市」機能Bを作り上げた。
だからごく小さな村で、機能に省略があるとしても、「都市」を模するようにデザインされている。

これを略図にすると、ベルギーという国の中に街壁で囲まれた共同体が培養コロニー式にB、C、D、E...いくつもある感じ。
これが「城郭都市型」の街づくりだ(たぶん)。

言語も宗教も身体的特徴も異なる多くの民族がひしめきあい、脅し脅されるなかで街が形成されたので、街が城郭型になるのは必須だったのかもしれない。
ベルギーでは街ごとに異なる多くの方言が残っているという事実もヒントになるだろう。昔は街の外は跳梁跋扈する辺境であり、人々は用事がなければ街壁を出たり入ったりしなかった、のは言語がガラパゴス化していることの説明になる。



次に英国。

ロンドンなどの大都市Aの外部である「田舎」A”は、都市の模倣をして形成せず、田舎部A”としてそのまま残っている。

都市Aは上記の街壁型の街と同じように広場を中心に形成され、街壁に囲まれて存在する。人口が増えるに従い居住地が壁の外A"に押出され、A”の元々の居住者と合わせて人口が増えてくる。だが押し出された部分A"は新しい広場を中心とした「街」Bを形成せず、単に都市から押し出された部分A"(「田舎」)として発達した、と。

だから略図上では、英国には、A-広大なA" 、B-広大なB"、C-広大なC"...とこういう感じ。
こちらが「城下町型」の町づくり。たぶん。



以上、街の作りをめちゃくちゃ単純模型化して述べたシロウトのやっつけテキトーな思いつきである。当たらざるとも遠からず...うぬぼれがすぎるだろうか。都市形成の本を読んでからちゃんとしたことを書いた方がいいと思うが、偉い人がすでに書いていることをそのままコピーするばかりもつまらないので、わたしの意見を述べてみた。

これから先行研究をあたって検討して、それに批判を加えて、結論を出す...
こういう手段を常に踏んでいたら、今頃わたしはとても賢い人になれていただろうに、と思う(笑)。
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