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お弁当の時間




娘の通う小学校のお昼は3種類から選べる。
家で食べる(昼休みは1時間45分)
カフェテリアで食べる
お弁当を食べる(スープと飲み物が出る)

娘は幼稚園の子どもたちの昼食世話係をしていて、園児達と一緒にお弁当を食べる。

普段、彼女のお弁当はサンドウィッチにフルーツとクラッカーやミニワッフルなどのベルギー式である。学校でスープが出るので、登校途中に焼きたてのパンを買って済ませることもあり、主婦としてはかなり楽だ。


一方、遠足や校外学習時などは特別で、必ず日本のお弁当を持って行きたがる。
おむすびに卵焼き、海老フライやミートボールや...典型的なメニュー。おいしいよね!日本のお弁当!



そしてベルギー人の子どもの間で、彼女が日本のお弁当を開くと起こる確執。

「げー!」
「何?その黒いの、そんなの食べるの?」
「おいしくなさそう!」

こういう発言をしなくてはすまさない子がいるようだ。
彼女ももっと小さい頃は悲しくなったりしたそうだが、今は全然気にしない、と言っている。その証拠に「(遠足時など)特別の日は絶対に日本のお弁当!!」と言う。


先日、遠足先での昼食時にも「げー」と言われたらしい。
「そう思いたいなら思うのは自由だけど、わざわざ口に出して言う必要はないのよ。
他にも文化があるっていうことを許容できないのだったら、一生小さいブルージュだけで生活していなさい。」

と反発したそうだ。2番目のセンテンスは余計だと思うが(わたしの口調にそっくりなのが苦々しい・笑)。


たぶん、そういうことを言う子どもには大した悪気はないのだろう。

見たこともない形態のランチがある。
ランチボックスの中に、色とりどりの肉や野菜。
ご飯が三角形のかたまりになっている。
フォークとお箸が専用の容器(しかもかわいい)に入っているではないか!

そういうことは特に子どもにとって軽いカルチャーショックなんでしょうな、パンにチーズをはさんだだけの質素なものをして「お弁当」と呼ぶ人たちにとっては。

中には「おいしそーひと口頂戴」と、おむすびをねだったり、「それ、お寿司?」などと目を輝かせて聞いてくる子どももいるそうだ。
たぶん、「げー!」という子どもと「根」は同じなのだと思う。
見たもこともないものに対する驚き。
好奇心。
それがネガティブな言葉になって出るか、ポジティブな言葉になって出るか、の差だと思う。
お弁当だからそれほど害はないが、わが習慣に従って生活していたところネガティブな言葉を投げつけられ、深く傷つく人が世界中にいるだろうのを想像すると痛ましい。



ちょっとだけ違う人と分かり合うのはわりと簡単である。

例えばお弁当で言うと、ベルギーと隣国ドイツのお弁当はちょっと違うだろうが「こういう種類のパンもあるよね」「これがドイツの弁当か」と了解することができる。

でも、ベルギーの弁当しか見たことのない子が日本の幕の内弁当を見た時、自分がいままで当たり前だと思ってきた簡素な弁当が決してグローバルなものではなく、ローカルな「ベルギー弁当」にすぎないのだということを「発見」する。
しかも、自分のその馴染みの弁当を「ベルギー弁当」と定義する「幕の内弁当」に関しては、いったいそれが何なのか、どういうものなのか、全く分からない...その、分からない時の振る舞い方が「倫理」だ。
(こんなに弁当弁当と繰り返しているとゲシュタルト崩壊を起こしそうです)

自分の手持ちの知識、ものさし、では処理できない「なにか」(この場合は弁当)や、想像を絶するマナーやルール(この場合は食事マナーや食材や料理方法)に出会った時にどのように振る舞うのか、全く共感できないマナーやルールを持つ人とどのようにつきあうのか。攻撃的になるのか、バカにするのか、無視するのか、共生するのか。

日本の弁当に投げかけられる言葉は、実は深いのである。


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