goo

バイリンガル教育




子どもに複数の言葉を同時に教える...


日本の親戚や知り合いも子どもを英会話教室に送り込んで、彼らを「英語漬け」にしていると聞く。
わたしは「お嬢さんにもっともっと日本語で話しかけて下さい。」と言われる。

つまりお母さんが赤ちゃんに話かけるように何度も何度も話しかけたら、子どもは言葉を習得する...という方針にのっとっているわけですよね?


わたしはもちろん幼児教育や言語の専門家ではないが、わたし自身が外国語を習得した過程と、娘を育てる過程で気がついたポイントが「ひたすら話しかける/話しかけられる」方法以外にあり、今日はそれが言いたくてたまらない(笑)。


「言語は『会話』を聞いて学ぶ」

ということである。



娘が誕生する前、おそらく暇だったせいで、バイリンガル教育の本を主に米国からいろいろ取り寄せた。
二カ国語ならば、心構えの必要性など思いもしなかったろうが、われわれの場合は三カ国語環境ゆえ、母親としては何らかの指針が必要ではないかと思ったのだ。ええ、マニュアル本世代です(笑)。


結局、三カ国語教育指針は書籍資料の中には見当たらず、ネットで経験者と意見交換ができたにとどまった。そこで学んだのは主に「コンクリートな方法論はないし、追跡調査もされたことはない」ということだった。


つまり子どもを「意図的に」三か国語で育てるケースは少ないということだ。
むろん、自然に三か国、四カ国語の中で育ち、あっという間に五カ国語話者になりました、という人はベルギーにも多い。ブルージュでは最低三カ国語話せなければ、バイトの代名詞、ウエイトレスさんにもなれないのである。


妊婦だった情緒不安定のわたしは不安を消すため、ラカンを読んではどうだろうか(こういうところで最も高尚で難解な本をもってきたがるのがわたくしのわたくしたるゆえんである。寄らば大樹の陰、である)、などという気分になった。
が、ぐうたらしているうちに、あれよあれよと月日は過ぎ行き、結局わが家では母親/日本語、父親/オランダ語、母父の会話/英語、とだけ決め、決して言語を混ぜないという方法をとることにした。
そして何年も過ぎ...



娘の誕生以来、わたしは一所懸命日本語で娘に話しかけ続けた。
一方、わたしと他の誰かが日本語で会話のやりとりをする場面に娘が遭遇することは極端に少なかった。
そのために娘は日本語が出てくるのが一番遅かったのだ、と気づいたのはある夏、日本の友人家族がわが家に長期滞在にしたことがきっかけだった。


逆に娘は、オランダ語と英語の会話のキャッチボールを常に聞いて育ったので、Aという発言にはBとCとD...という返答の可能性があり、相手はそれを聞いてEと言うこともあればFと言うこともある...(以下永遠に続く)という、「場」を支配するコミュニケーションのルール(法則)とマナー(方法)とそこからの逸脱を身につけることができたように思う。

ルールとマナーはモノローグから学べるかもしれないが、逸脱は学べない。そしてこの逸脱こそが、コミュニケーションを発展させる機動力になっているのである。


とにかく話しかける、という健気な働きかけももちろん無駄ではないが、会話を聞くことができた子どもは吸収上達がめまぐるしい、ということをおばあちゃんの知恵袋的なスタンスから、ここに特筆しておこう。



つまりあなたがお子さんに英会話を身につけて欲しいなら、

「○○ちゃん、これは象さんでちゅよ~。お鼻が長いのね~。大きいね~。哺乳綱ゾウ目。陸棲哺乳類では最大ですよ~。はい、ほ に ゅ う る い って言ってみて!」(笑)などと一方的に話しかけるのではなく、


「象、気の毒やな」
「ホンマやな、こんな狭いとこで...アフリカの空が見たいやろな...」
「ちょっと、これアフリカ象ちゃうで。インド象!インド象は耳が小さいの!」
「え、ホンマ?ほんならタイで乗った象は?あれは何象?耳大きかったで?!」
「うそやん。地理的にインド象やろ」
「あっりんご食べた!」
「器用に食べはるねんな...」

...などという、空疎ではあっても会話を聞かせる方が効果的です(笑)。


これは大人が語学習得に励むときにも効果的だと思います!!


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )