とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

最近の動き

2023-10-15 16:49:09 | 最近の出来事
最近であるが、ちょっとした機会があって、月イチくらいで東大・京大の博士の人たちと話している。
だいたいギャースカ騒いで(言いたいこと言い放題で言う)、しゃべりたいこと喋ったのでいい気分になって帰ると言うのを繰り返している感じだ。

9/10→東大の人Aさん(現在D)
9/18→京大の人Bさん(院は卒業して現在社会人)
10/13→東大の人Cさん(現在D)

以上です。
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市場とは何か(メモ)

2023-10-15 16:41:44 | 雑感
市場とは何か。

この考えに対して、ある程度形になった場合は、「哲学・社会」カテゴリーの記事として掲載する形になると思うのだが、そこまで行ってないので、雑感カテで記載。
材料の羅列に近い。料理前の丸のままの食材みたいな。


市場(しじょう)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書
https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%B8%82%E5%A0%B4_%28%E3%81%97%E3%81%98%E3%82%87%E3%81%86%29/

し‐じょう〔‐ヂヤウ〕【市場】 の解説

1 売り手と買い手とが特定の商品や証券などを取引する場所。中央卸売市場・証券取引所(金融商品取引所)・商品取引所など。マーケット。

2 財貨・サービスが売買される場についての抽象的な概念。国内市場・労働市場・金融市場など。マーケット。

3 商品の販路。マーケット。「―開発」


金融の世界史 板谷敏彦 P4

そのうちに業者たちが集まって市場が形成されていくようになったのです。


市場とは何かのメモ書き:
・一番根底にある原義は、売買の集合場所、あるいはその様態である。
・売買は1:1の単独取引でもできる。しかしそれだと効率も悪いので、集合した人間が複数間取引を行う場所や様態を自発的に自然形成する。
・売買とは、物品や人間そのもの、あるいは家畜や金銭、権利書、債権などの権利物、資産となるゴールドなどを、金銭やあるいは金銭と同等の働きをする物品と交換交渉、あるいは交換をする営為である。
・そこに人間の情と言うものはなく、無機的で、そこにあるのは値段の比較と競争、最適化の波である。
・一般民衆としては情がない取引によって警戒があるのと同時に、それが無くては効率的な高度社会の中の生活営為ができない。
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「あなたを採用しなければならない理由は何か」

2023-10-15 15:28:27 | 雑感
国連の採用面接で「あなたを採用しなければならない理由は何か」と言うのがガンガンに聞かれるらしい。

が、これはちょっと日本語の感覚と違うんでないかと思うんですよ。

日本語の場合、隠れているニュアンスを丁寧に書いていけば、「こっちは人手が完全に足りていて募集する隙間もない。でももしどうしても必要であれば、あるいは高スキルを持っている人間でこちらの事業に何らかの利益が生ずるようなんであれば雇わないこともない。で、あなたはどういうスキルがあるの? 」と言う高圧的意見になる。

国連や英語圏でも「あなたを採用しなければならない理由は何か」と言うのは高圧的であることには代わりはないが、完全に事務的な説明を求めているように思う。
こっちに事業がある、あなたにはスキルがある。こちらのどういった必要とされるスキルに対してあなたはそれを補填してくれるのかという側面を問われているんじゃないかと。

で、それをそのまま日本に輸入して使ってしまっているのが「あなたを採用するメリットは?」なんですよね。
このままだと感じ悪いので、日本的に採用するならば、文言は「あなたは弊社のどのような箇所においてスキルを発揮できるとお考えですか? 」が良いように思います。
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資本主義と言う現代の王政

2023-10-15 07:26:13 | 雑感
「金融の世界史」(板谷敏彦)を最初の2ページまで読んだ。
ここには直接的には書かれていないが、この内容と現代の社会状態のありようを突合すると現代の世界がヤバいというところまで分かった。

と言うのも、今までの封建制・王政などは、「神様が偉いから」「王様が偉いから」「領主様が偉いから」じゃあそれに従おうと言うことで、搾取も差別もその日の臨時徴税ありも何でもありの世界だった。
こんな不平等はダメだろということで、今の民主主義体制になっているのだが、それは本当に平等なのか? 
そうではない。

現代においては、別の新たなる資本主義と言う名の王政が敷かれていて、そこにはやはり不平等があるのである。これを書いていく。

現代は努力した者から力を得、成り上がっていくことができる。それは本当か? 
それが本当である一方において、それが全てではなく、一部の人間にそれが適用されているのだということを認識しなければいけない。

それは新規企業した経営者であり、あるいは金融に近い現代資本主義の上層にある金をつかめる人間達のことである。

それ以外においては、資本収入、つまり、株式による運用益や売買の利益、不動産収入など「元々持っているから、次の増殖分も入ってくる」と言う人間たちなのである。
それに「持っている人がいるから」「従わざるを得ない」と言う構図ができあがる。
彼らは何も労務をしていない。そこに座して権利を持っているだけである。
それによって身分の上下関係に似た、金銭に従わざるを得ない体制が構築されている。
これは現代の王政ではないか? 本当にそこに平等はあるのか? 

そして、そこから成り上がれる方法、差別状態から、階層状態から上に行ける方法は、経営者になるか、自ら金融資産を持つしかない。しかしそれは全員が全員できることなのだろうか? それは本当に本当の意味で平等であるのか? 
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