会計の世界史 田中靖浩 P227
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夢の実現に向けて一歩を踏み出したカールですが、それはあまりに険しい茨の道でした。
試作品の自動車を完成させるまでにたいへんな苦労があり、その後も難問が残っていました。それが「街の人々の反対」です。
信じられないことに、世界で初めて自動車を開発した「わが街のヒーロー」に対し、町の人々は罵声を浴びせ、誹謗中傷していました。馬車しか見たことがない市民にとって「新しすぎる」自動車は目ざわりでしかなかったようです。
うるさい騒音と吐き出される煙、子どもは「魔女の車だ!」と騒ぎ立て、老人たちは役所に駆け込み「早くやめさせろ」と苦情を言います。こうした騒動によって、カールの自動車は役所から路上走行を制限されてしまいました。
試作車が完成したのに町を試走させてもらえない窮地、それを救ったのは「まさか」の人物でした。
せっかくの可能性を、どうして寄ってたかって潰そうとするのでしょう。
まったく理解できない、我慢ができない。
彼の夢は私が守って見せます──ベルタは静かに決意を固めました。
彼女は15歳の長男と13歳の次男に声をかけます。
「夏休みの旅行に連れていってあげましょう。ただ、お父さんには内緒ですよ」
ある日の早朝、3人はこっそり父の自動車に乗り込みエンジンをかけます。目指すは約200キロ離れたデルタの実家があるプフォルツハイム。これが世界初「自動車長距離ドライブ」のはじまりです。
朝、カールが目覚めると家族が誰もいません。ガレージにあるはずの自動車もありません。
「やられた」
追いかけても間に合わないと父が悟ったころ、3人は順調なドライブの最中でした。しかし急な坂道の上りに差し掛かったところで車が止まってしまいます。車には急坂を想定したギアが付いていませんでした。
長男と母が後ろから押し、次男がハンドルを握ってなんとか坂道を登ります。その先もチェーンの不調、燃料のつまりなどが発生しますが、3人は鍛冶屋によって修理してもらいながら旅を続けます。道中、人がジロジロと見てきますが3人は気にしません。
あたりが暗闇に包まれはじめた頃、はるか向こうに目的地プフォルツハイムの灯りが見えました。
彼らは完成を上げながら坂道を下り、プフォルツハイムの町に飛び込みます。汗だく、埃まみれ、油まみれ、3人はぐったりしながらも最高の気分でカールに到着の電報を送りました。
この電報を受け取ったカールは胸をなで下ろしつつ、「この脱走者たちをひそかに誇らしく思った」そうです。
この無謀なドライブによって、貴重な改善点がいくつか見つかりました。カールは早速自動車に上り坂用ギアを付けるなど改善を施します。改良された自動車はこの後ミュンヘン産業博覧会で金メダルを獲得するなど、少しずつ人々に知られた存在になっていきます。
妻と2人の息子は、くじけそうになった父親の夢を見事守ってみせました。
それでも自動車はじわじわとしか売れませんでした。祖国のドイツあるいはイギリスでは依然として「魔女の車」への抵抗が強かったようです。
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それが今では一大産業みたいな。