私が認識している事実:
・フランスにテレビゲーム会社「Ubisoft Entertainment」があった。
・アサシンクリードと言うゲームを出していた。
これはステルスゲームと言うジャンルで、敵をバンバン倒して進むゲームではなく、逆に敵から見つからないようにして進むゲームである。
全世界でヒットを飛ばし、続編もバンバン作られた。
・続編では世界各地が舞台となり、中世日本が舞台となったのがアサシン クリード シャドウズ(2024年発売)である。
・主人公は黒人で信長に召し抱えられた弥助である。
私が認識していること:
・で、これが大問題になった。
・次のような設定であれば日本人は文句を言わない。
①史実にできる限り忠実であること。それでいて製作者側が日本文化に敬意を払い、謙遜していること(ゴーストオブツシマがこれ)
②完全にネタに振っている存在であること(超兄貴など)
日本人にとって面倒かつ怒りの基点になるようなこととしては、①でもないし②でもなく、かつ、中途半端にしても悪い方向での主張をしてしまっていることである。
まず史実なのだが、名もない黒人が信長に面白がられ召し抱えられて、弥助と言う名前がつけられたのは歴史の事実として正しいと判断できる。
一方において、侍の階級にも上から下まで様々にいて、弥助はどちらかというと下の方の扱いだった。
一番簡単に判断ができるのが当時における名字(last name)があったかどうかで、弥助には名字がない。戦闘に出かける織田軍団の家臣はほぼ全員名字持ちなのに弥助はない。
単に記録がないだけではという説もあるかもしれないが、それはそれで、文字通り「名のある人物」ではなかった、と言うことだ。
呉座さんの解説がまあほぼ正しかろうと言う感じはする。
<
弥助描いた日大准教授の著書「発想に飛躍、検証不能な逸話も」歴史学者・呉座氏に聞く(下) - 産経ニュース
https://www.sankei.com/article/20240806-LVYJLBZM2ZHJTHAWC2Q2SHCTA4/
ーー『信長と弥助』には、「地元の名士のあいだでは、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」というくだりがあり、日本で黒人奴隷がはやっていたというように読めることから、SNSなどで批判されました
「これに関してはおそらく、九州のキリシタン大名の一部が黒人を召し抱えていたということが、分かりにくい書かれ方をしているのだと思います。日本をおとしめようとする悪意は感じられない。この本全体の文脈からいうと、日本人は黒人を差別するのではなく、むしろ好印象を持って、競って自分の手元に置こうとしたという趣旨であり、黒人奴隷をこき使っていた、という話ではないと思います」
>
と言う感じで珍しい舶来のものとか珍品とかの一つであったと。
でここから私の意見なのだが、そういう人物を、武者の一人としてゲームにするのは、まあ私はいいと思うんだよ。絵的に凄い珍妙な組み合わせかつ黒人自身がまあかっこいいから、絵としてもクールになるんだよね。
で、そこで、「ネタとして作りましたー! 」とUBIが大々的に言えば、日本でもそこそこヒットしたんじゃないかと思う。で、「やあやあこういう強い黒人が侍にいてもいいよね」と言う空気にもなっただろう。
一方、作り元のフランスでのUBIや、あるいはネトフリドラマの「SHO-GUN」で質問してきた黒人記者が昨今謎ブームをかますようになった。
何がどうなのかというと、「こういう黒人はイメージだけではなく、歴史事実としても正しいのだから従いなさい」と。
いやいや、歴史事実の範疇で語ったら、そら事実じゃないでしょ、と言う感じで日本人は
反論しているのだ。ネタ方向のゲームですという感じにしておけば良かったのに。
強制的に従うべき事実の尺度があるのには日本人はそこに従うが、そこには発生した事実がなくてはならない。名前がなくてギリギリの範疇で一応サムライの士分であっただろう人物(末端の側小姓とかと同じで名字がないが一応サムライ側、但し小姓が名字を完全にもたないとかではなく森蘭丸とかは名字あり)を、勝手に事実を想像で「戦場でモリモリに戦いましたー」は無理があるだろと。
で、主張は自由だろうけれども、そこには歴史事実の検証が必要なのであって、勝手に想像で言ったことに対して、じゃあ日本人の君らはそれに従いなさいとかは通らないし、反発もするという話なんですよ。
もう一度おさらいをすると、
①史実にできる限り忠実であること。それでいて製作者側が日本文化に敬意を払い、謙遜していること
→弥助はいたが、ギリギリ侍側の範疇にいるような末端の扱いであって、ゴリゴリに戦う人物像ではなかった。
それをちょっとの記述から盛りに盛って膨らし粉を大量に入れてそれを事実として認識せよという黒人側の主張的押し付けは、そりゃ反発を食らう。
②完全にネタに振っている存在であること(超兄貴など)
→ネタではないとUBIが言及。こっちであれば押し付けなどではなく、遊びの範疇なので、日本人には喜ばれた。
と言うことで、日本人は単純には黒人は嫌いではないが、押し付けたり危害を加える人間が嫌いであり、今回はそれが黒人であっただけの話である。
(ちなみに白人・中東人・南米人・インド人・中国人・韓国人・ベトナム人などどの国のどの人種でも事情は同じ)
・フランスにテレビゲーム会社「Ubisoft Entertainment」があった。
・アサシンクリードと言うゲームを出していた。
これはステルスゲームと言うジャンルで、敵をバンバン倒して進むゲームではなく、逆に敵から見つからないようにして進むゲームである。
全世界でヒットを飛ばし、続編もバンバン作られた。
・続編では世界各地が舞台となり、中世日本が舞台となったのがアサシン クリード シャドウズ(2024年発売)である。
・主人公は黒人で信長に召し抱えられた弥助である。
私が認識していること:
・で、これが大問題になった。
・次のような設定であれば日本人は文句を言わない。
①史実にできる限り忠実であること。それでいて製作者側が日本文化に敬意を払い、謙遜していること(ゴーストオブツシマがこれ)
②完全にネタに振っている存在であること(超兄貴など)
日本人にとって面倒かつ怒りの基点になるようなこととしては、①でもないし②でもなく、かつ、中途半端にしても悪い方向での主張をしてしまっていることである。
まず史実なのだが、名もない黒人が信長に面白がられ召し抱えられて、弥助と言う名前がつけられたのは歴史の事実として正しいと判断できる。
一方において、侍の階級にも上から下まで様々にいて、弥助はどちらかというと下の方の扱いだった。
一番簡単に判断ができるのが当時における名字(last name)があったかどうかで、弥助には名字がない。戦闘に出かける織田軍団の家臣はほぼ全員名字持ちなのに弥助はない。
単に記録がないだけではという説もあるかもしれないが、それはそれで、文字通り「名のある人物」ではなかった、と言うことだ。
呉座さんの解説がまあほぼ正しかろうと言う感じはする。
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弥助描いた日大准教授の著書「発想に飛躍、検証不能な逸話も」歴史学者・呉座氏に聞く(下) - 産経ニュース
https://www.sankei.com/article/20240806-LVYJLBZM2ZHJTHAWC2Q2SHCTA4/
ーー『信長と弥助』には、「地元の名士のあいだでは、権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まったようだ」というくだりがあり、日本で黒人奴隷がはやっていたというように読めることから、SNSなどで批判されました
「これに関してはおそらく、九州のキリシタン大名の一部が黒人を召し抱えていたということが、分かりにくい書かれ方をしているのだと思います。日本をおとしめようとする悪意は感じられない。この本全体の文脈からいうと、日本人は黒人を差別するのではなく、むしろ好印象を持って、競って自分の手元に置こうとしたという趣旨であり、黒人奴隷をこき使っていた、という話ではないと思います」
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と言う感じで珍しい舶来のものとか珍品とかの一つであったと。
でここから私の意見なのだが、そういう人物を、武者の一人としてゲームにするのは、まあ私はいいと思うんだよ。絵的に凄い珍妙な組み合わせかつ黒人自身がまあかっこいいから、絵としてもクールになるんだよね。
で、そこで、「ネタとして作りましたー! 」とUBIが大々的に言えば、日本でもそこそこヒットしたんじゃないかと思う。で、「やあやあこういう強い黒人が侍にいてもいいよね」と言う空気にもなっただろう。
一方、作り元のフランスでのUBIや、あるいはネトフリドラマの「SHO-GUN」で質問してきた黒人記者が昨今謎ブームをかますようになった。
何がどうなのかというと、「こういう黒人はイメージだけではなく、歴史事実としても正しいのだから従いなさい」と。
いやいや、歴史事実の範疇で語ったら、そら事実じゃないでしょ、と言う感じで日本人は
反論しているのだ。ネタ方向のゲームですという感じにしておけば良かったのに。
強制的に従うべき事実の尺度があるのには日本人はそこに従うが、そこには発生した事実がなくてはならない。名前がなくてギリギリの範疇で一応サムライの士分であっただろう人物(末端の側小姓とかと同じで名字がないが一応サムライ側、但し小姓が名字を完全にもたないとかではなく森蘭丸とかは名字あり)を、勝手に事実を想像で「戦場でモリモリに戦いましたー」は無理があるだろと。
で、主張は自由だろうけれども、そこには歴史事実の検証が必要なのであって、勝手に想像で言ったことに対して、じゃあ日本人の君らはそれに従いなさいとかは通らないし、反発もするという話なんですよ。
もう一度おさらいをすると、
①史実にできる限り忠実であること。それでいて製作者側が日本文化に敬意を払い、謙遜していること
→弥助はいたが、ギリギリ侍側の範疇にいるような末端の扱いであって、ゴリゴリに戦う人物像ではなかった。
それをちょっとの記述から盛りに盛って膨らし粉を大量に入れてそれを事実として認識せよという黒人側の主張的押し付けは、そりゃ反発を食らう。
②完全にネタに振っている存在であること(超兄貴など)
→ネタではないとUBIが言及。こっちであれば押し付けなどではなく、遊びの範疇なので、日本人には喜ばれた。
と言うことで、日本人は単純には黒人は嫌いではないが、押し付けたり危害を加える人間が嫌いであり、今回はそれが黒人であっただけの話である。
(ちなみに白人・中東人・南米人・インド人・中国人・韓国人・ベトナム人などどの国のどの人種でも事情は同じ)
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