ごく稀に「○○さんは起業しないんですか? 」と言われる。
起業するかどうかはともかく、そうした人に詳しく話しを聞くと、どうにも「起業」に関する考えが私と他の人とでかなり違うことに気がついたのでここに書いておく。
私はお金が好きで、というと語弊もあるのだが、その中の一万円札に書かれている福澤諭吉、この人が書いている「学問のすすめ」が非常に好きである(読まれていない方がいましたら、是非ご一読を)。
この「学問のすすめ」であるが、読むと分かるが著しく起業を奮起させられる(だから慶応生には社長が多いのかとも頷くのだが)。この著書のキーワードは「独立」である。簡単に概要を書くと誰かに金を給金されているのであれば、それに頭を下げなければならない、経済的に独立してこそ、初めて人に対して意見を申せるという主旨で話しが進む。無論、福澤の言いたいことはこれだけでは無いのだが、独立と起業に関する部分を抜き出せばこのようになる。
改めて言えば、起業とは、人としての隷従からの脱却する為の道のり、あるいは人としての道をちゃんと歩むための方法として描かれる。独立した経済を持って独立した意見を人として持ちなさい、という内容なのである。私は福澤翁の言う独立をするか否かは別として、学問のススメの内容にはことごとく納得した。
さて、話しは最初に戻る。
「○○さんは起業しないんですか? 」と言った人に話しを聞くと、独立した上でどうするのかというと、人を集め、そして大手企業グループに人を派遣して・・・と・・・いやいや、これを言っている人は大変性格の良い方なのであまり反論したくはないが、これは起業ではない。単にお金を集めてその組織内で偉くなるだけだ。お金は儲かるだろう。得もするだろう。しかし、何も生み出さない。その対価としての社会的言論を発信する権利は無い。
福澤翁の言いたい独立を、日本が持つ本来の起業意識とするならば、本来の起業での主目的とは、独立した金銭勘定を持つことによって、誰にも頭を下げず、社会通汎の中で己がきちんと意見を言えることを目指しているのであって、最初から大企業グループに人を派遣する会社を設立するということは非常に安定して見えるけれども、それは即ち意見を言えぬことを意味するのであって、そして財布勘定は大企業グループにあるわけだから、これは独立でも起業でもなんでもない。
確かに己の意見を言える、言えないというのはどこにでもあって、どの会社にも相手の顧客がいるわけだから、独立したとしてもこちらの都合を全部押し通せるわけではない。しかし最初から隷属をするものの類は起業ではないのだ。
仮に以前の私の先輩にこれを言えば「いや、それはどこだって一緒でしょ? 」と言い放ちのけるだろうが、まあクズ根性の固まりでできていて、代わりに等身大の粘土でも置いておいた方がはるかにマシのようなこの人の言うことは一切聞かなくても良いだろう。むしろその言葉の毒薬が全身に回る可能性があるので耳をふさいだ方が良いのではないだろうか。
さて、最初のお題に戻る。
起業と言えばどれが正解なのでしょうか?