とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

「クソ映画だという前情報があるから見ない」は食わず嫌いではない

2023-10-30 22:38:41 | 映像作品
「クソ映画だという前情報があるから見ない」は食わず嫌いではない。
今回はこれを書いていく。

現代人にとって時間は希少材だ。大事に減らないように使う必要がある。
が、一方において、我々の時間を貪り食うものがある。
今ではあふれかえるようになった映像作品群である。

あんなちっこい画面に映像がスタートしたら拍手して皆正座で見ていた、映像が希少材であった昭和のあの頃とは雲泥の差で、今は「いかに無駄な映像を見ないか」が主題になってしまった。

いや、もう少し進むと、実体験こそが持つべき経験であり、映像はニセの体験であるとして「いかに映像そのものを見ないか」と言う時代になるかもしれない。

さてはて、それはともかく、映像は「食わず嫌い」を排すべきなのか? 
「クソ映画だという前情報があるから見ない」は食わず嫌いなのだろうか。
見てからモノを言え、と言うものなのだろうか。

私はそうではないと考える。

今まで映像作品の品質が低すぎたのだ。
それを、映像媒体が珍しいからと、こっちが我慢して低レベルの製作に拍手喝采を送っていたに過ぎない。

なので、高品質のものを選ぶ必要がある。
そして低品質のゴミを注意深く取り除く必要がある。
そしてそれは他人の評判が大変に役立つのだ。

食わず嫌いと批判している人は、とにかく映像作品を見れる時間があり、体力がある人なのだろう。私にはそれがない。なので、時間貧乏、体力貧乏の私は工夫をする必要がある。

そもそもなんでクソだと言われているクソをわざわざ見に行って臭いを嗅がなければいけないのだ? 

「あそこにウンコがあるよ! 」
「えっ!? 嘘っ!? 見に行ったろ! ついでに臭いかいだろ! 」「うーわっ! くっさ! 」
もうアホ以外の何者でもないのだが、これをやれというのだろうか? 
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スーパーどこかで見た顔シリーズ

2023-10-30 22:33:53 | 雑感
2008年出版なので、15年前か。




おまけ:
2008年の2015年予想の答え合わせ







現在の世界情勢ポイント:
・現在、日本の企業は脱中国がトレンド(ニデックなどは逆行だがそれは一部にとどまる)。
・2015年付近も日本に手を出すことはなかった。
・日本の半導体シェアが年々低下しているというのはその通りだが、対中国包囲網の一環において、アメリカは東アジアの辺縁系において、半導体のサプライチェーンの強化の戦略を練り直した。
・現在その一環である台湾において有事が想定される。

ここから私の意見:
・まあそれだったら日本に全部半導体生産やらせればええやんという感じではあるが、日本に全部依存させるのは、過去の経緯から見てまずいと思ったのではないか。なので首輪を付けてロープを握った。いや、可動するロボットでの重要部品(ファウンドリ)を抜いたと言うべきか。

・イギリスのアーム(半導体設計)+材料(日本)+製造装置(日本)+生産(台湾)と言う三つを押さえていれば良いと言う発想。アームはソフトバンクに買収されているが、日本企業であり、かつ今まで経営をしてきた孫正義氏は完全に収支における経営判断をしていて、中国寄りの政治判断をすることはない、ということで安心しているのだろう。

・ひとまず経済による軍事行動、軍事行動による経済と言う側面においては、中国と日本、及びアメリカを含むアジア亜周辺の国々は、新たな戦局のフェーズに入った。

・あと岸田首相があれこれ叩かれているのだけれども、そうじゃないんじゃないの、と。
 あれこれ長期的構造がポカやらかしたそのツケをじわじわ払わなければいけなくなって、今になってこうなっているんじゃないの、と。

・大晦日の紅白で、注目歌手の直後の無名歌手でも高視聴率が取れるのと逆で、前のツケの余波を今払っているに過ぎない。

・で、増税だ増税だとか騒いでいる人は、もっとデカい目で見れば、アメリカと中国とロシアに怒るべきなんだよ。これらの国々が宜しくやってりゃ増税なんてなかったわけだし。
 あとはこの長期的構造を招いた自民党はそろそろそのツケを精算しなければいけないフェーズに来ているようにも思う。

 では数十年前にポカをやらかしたその政治家とは・・・? 
 そう、そのアンサーを我々が今後の選挙で出さなければいけない。
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労働と言うものの整理と悩み

2023-10-30 12:34:49 | 労働
私は今まで労働と言うものに悩んできた。

これまで純真な子供の心であったがごとく、一生懸命やればそれは人に評価して貰え、かつそれで昇進し、給料も上がっていくものだと信じていた。

しかし現実の世界はそうではなかった。
いかに懸命であろうとも、結果を残そうとも、それらは上部の構造に限りなく吸い尽くされて、下部の実働部隊が運営できるだけの必要最低限の継続費用=賃金だけが与えられる世界だったのである。これでは士気も下がればサボタージュだって起きる。これではいけない。

ここで、私が最近出会った言葉として、ナタリーポートマンのものがある。
「自分も他人も満たされること」
これは彼女が東京の寿司店に行った時に受けた彼女自身のインプレッションの感想だったが、これだと労働はしっくり行きそうな気がする。

ただ搾取されるだけではない。かと言って自己満足の仕事だけでもない。
自分も他人も満たされることと言うのが、仕事と労働にとって大事ではないのか。

そしてそこから外れそうなものに対しては極力調整をかける。
それが能わぬ時には、それを拒否せねばならない。
そうでなければ彼らはとことんにおいて搾取を働く。ある種労力の盗人なのだ、彼らは。

下層構造の人間がすり潰されてもすまないとも思わないし、仕方の無かった、で済ませる力の弱い小市民なのである。タチが悪いのは彼らはそれらを自認しない。こちらを守る力がない状態でありながら、こちらを攻撃する力を振るう。そうした存在なのだ。

人はハンマー役になるか鉄床に置かれた鉄になるかの二択しか無いのだろうか? 
そうではない。人は意志ある鉄であり、攻撃も調整に変え、要求を利害に変えることができるはずだ。


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