「クソ映画だという前情報があるから見ない」は食わず嫌いではない。
今回はこれを書いていく。
現代人にとって時間は希少材だ。大事に減らないように使う必要がある。
が、一方において、我々の時間を貪り食うものがある。
今ではあふれかえるようになった映像作品群である。
あんなちっこい画面に映像がスタートしたら拍手して皆正座で見ていた、映像が希少材であった昭和のあの頃とは雲泥の差で、今は「いかに無駄な映像を見ないか」が主題になってしまった。
いや、もう少し進むと、実体験こそが持つべき経験であり、映像はニセの体験であるとして「いかに映像そのものを見ないか」と言う時代になるかもしれない。
さてはて、それはともかく、映像は「食わず嫌い」を排すべきなのか?
「クソ映画だという前情報があるから見ない」は食わず嫌いなのだろうか。
見てからモノを言え、と言うものなのだろうか。
私はそうではないと考える。
今まで映像作品の品質が低すぎたのだ。
それを、映像媒体が珍しいからと、こっちが我慢して低レベルの製作に拍手喝采を送っていたに過ぎない。
なので、高品質のものを選ぶ必要がある。
そして低品質のゴミを注意深く取り除く必要がある。
そしてそれは他人の評判が大変に役立つのだ。
食わず嫌いと批判している人は、とにかく映像作品を見れる時間があり、体力がある人なのだろう。私にはそれがない。なので、時間貧乏、体力貧乏の私は工夫をする必要がある。
そもそもなんでクソだと言われているクソをわざわざ見に行って臭いを嗅がなければいけないのだ?
「あそこにウンコがあるよ! 」
「えっ!? 嘘っ!? 見に行ったろ! ついでに臭いかいだろ! 」「うーわっ! くっさ! 」
もうアホ以外の何者でもないのだが、これをやれというのだろうか?
今回はこれを書いていく。
現代人にとって時間は希少材だ。大事に減らないように使う必要がある。
が、一方において、我々の時間を貪り食うものがある。
今ではあふれかえるようになった映像作品群である。
あんなちっこい画面に映像がスタートしたら拍手して皆正座で見ていた、映像が希少材であった昭和のあの頃とは雲泥の差で、今は「いかに無駄な映像を見ないか」が主題になってしまった。
いや、もう少し進むと、実体験こそが持つべき経験であり、映像はニセの体験であるとして「いかに映像そのものを見ないか」と言う時代になるかもしれない。
さてはて、それはともかく、映像は「食わず嫌い」を排すべきなのか?
「クソ映画だという前情報があるから見ない」は食わず嫌いなのだろうか。
見てからモノを言え、と言うものなのだろうか。
私はそうではないと考える。
今まで映像作品の品質が低すぎたのだ。
それを、映像媒体が珍しいからと、こっちが我慢して低レベルの製作に拍手喝采を送っていたに過ぎない。
なので、高品質のものを選ぶ必要がある。
そして低品質のゴミを注意深く取り除く必要がある。
そしてそれは他人の評判が大変に役立つのだ。
食わず嫌いと批判している人は、とにかく映像作品を見れる時間があり、体力がある人なのだろう。私にはそれがない。なので、時間貧乏、体力貧乏の私は工夫をする必要がある。
そもそもなんでクソだと言われているクソをわざわざ見に行って臭いを嗅がなければいけないのだ?
「あそこにウンコがあるよ! 」
「えっ!? 嘘っ!? 見に行ったろ! ついでに臭いかいだろ! 」「うーわっ! くっさ! 」
もうアホ以外の何者でもないのだが、これをやれというのだろうか?