とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

若干の古い世界と今

2018-08-05 12:04:09 | 最近の出来事
私は人づてに聞いた話として、高度経済成長期の以前の話を聞いたことがある。

例えば、ケーキは一年に一度食べられるか食べられないかのごちそうで、基本的におやつは干しいもとかがごちそうと呼ばれていたりだとか、そのケーキを買ってくるとなったら、町中(まちなか)で買ったケーキを自転車の後ろの荷台に乗せて持って来るも、当時の道路は舗装されていなかったから、がたんごとんと縦に揺れて、家に着く頃にはちょっと崩れて出てくる。それを、みんなで「おいしいね、おいしいね」と言って食べる(この話を私の周辺にすると、「日本にまだそんなところがあったなんて・・・」と皆ドン引きする。しかしこれは昔の日本の光景として一般的ではなかったのか? )。

あるいは戦後進駐軍に新聞配達をしたりだとか、あるいは高卒で銀行に就職したりだとか、あるいはコーヒーを飲むことは一般的でなかったりだとか、バナナがごちそうだったりだとか、あるいは冷蔵庫がなかったりだとか、女性は女学校に行かない限りは中卒が当たり前だったりだとか、あるいは水道が引いてなかったりだとか、あるいはあるいはあるいは・・・

今のスマホを使って当たり前だとか、あるいは洗濯機にしても二層式ではなくて、全自動洗濯機が当たり前だとかと言う世界は、ほとんど信じられないような世界になってしまっただろう。

こと私が顕著に思うのは、飲み物の扱いのことで、私が子供の頃のジュースと言うのは、飲みたい時に飲めるものではなくて、本当にごちそうに近いものだった。
基本的に麦茶とかお茶しかなくて、あの柑橘系の甘酸っぱい味と言うのは魅惑の代物だったのである。
私が思い出すのは、数年間ジュースを飲まなかった時、親戚の家に言ってコーラを飲んだ時に、「ジュースは○年ぶりに飲んだ」と言ったことだった。

当然、今の年配の人たちは、街のカフェには行かず、その大多数は絶対的にお茶か麦茶で喉を潤しているだろう。
あるいはスーパーで買うにしても、ペットボトルのものではなくて麦茶パックかお茶を買っているはずだ(そっちの方が経済的だからだ)。

そんな背景から見れば、私がインスタントではなく、カップに直接注ぐドリップ式のコーヒーを買ったり、あるいはキリンから発売されているCEBADAをスーパーで88円で買ってきたりするのは、なんて贅沢なんだろうな、とは思ったりするのである。

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コーヒーいろいろ

2018-08-05 11:30:05 | 最近の出来事
マクドナルドのコーヒーは論外として、今私は贅沢にも色々なコーヒーを楽しんでいる。

キリンから発売されたセバダは、言ってみればちょっと濃い麦茶なのだが、アイスで飲むのにも関わらず、飲む前に風味が広がるのが良い。
近くのスーパーで売られているのが、600mlで88円! 安い! 
コーヒー飲みの人からすれば、いや、CEBADAはコーヒーじゃないでしょ、と言うツッコミを喰らうかもしれないが、美味しいので飲んでみて下さいよ。今の季節だとキンキンに冷やすのが吉。
風味がよくて、味もしつこくない。
逆に物足りないかもしれないが、しかし上品でいて邪魔にならない、ヨーロピアン家具が部屋にそっと置かれたような感覚で、ジムノペディを聞いているような感じだ。

ドリップ式のコーヒーもいい。まずセバダと同じく、体にダメージが来ない(インスタントだとダメージを受ける)のと、ドリップのあのカップに乗せるドリップの型もいろいろあって、カップの両脇に羽を乗せる形や、三角形に乗せる形など色々あって楽しい。

と言うか、私はこういうのを見るに、こういう機構を考える仕事をしたかったんだなあとつくづく思い出す。
(あとは飛行機のエコノミー席先頭の袖から出る簡易デスク的なものの機構にも感動した。)
今の姿を顧みるに、ついぞその願いはどこかに雲散霧消してしまったわけであるが・・・。

ハワイのホテルの備品にあったパック式のコーヒーもお土産として持って帰ってきていて(と言うか持って帰っていいんだよね? これ)、これが手付かずで残っているので、これも飲もうと思うのだが、ハワイのやつはちょっと生臭いんだよね・・・どうにかならんのか。

ともあれ、今はドリップ式のものを大切に飲んでいるのだが、これが普通、コーヒーと言ったらミルクを入れないとダメージが来るものが、やっぱりドリップは偉大なところがあって、ミルクなしでもグイグイ飲めると言うところが良い。
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魔王、夏の洗濯祭り 魔王邸の夏はエアコンなし

2018-08-05 11:24:38 | 最近の出来事
現在我が家では洗濯祭りを開催している。
ことあるごとに洗濯をしているのだ。これはどうしてそうなったのか--。
事情が若干複雑であるので、ひとつずつ追ってみたい。


まず私は肺が弱い。何かとつけては居住環境が悪化すると肺が痛くなるのである。
ひどい例だと、仕事場で隣の席にヘビースモーカーの人が座るだけで痛くなったこともあった。

そんな私はエアコンがつけられない。
自宅にはエアコンはあるにはあるのだが、これをつけるとどうにも肺が痛くなるのである。

よくあるご年配の方で、「エアコン、扇風機は体によくない! 」と言われている方もいるとは思うのだが、私の場合は「なんとなく健康に悪そう」と言う問題ではなく、肺が痛むという事象が直接的に実際に発生するのでつけていないだけである。

肺が傷まないならとっくにつけている。職場のエアコンは大丈夫なので、おそらく自宅のエアコンが悪いのだが、一回大家さんに取り替えをお願いしたところ、「うーん、これは変えられないなー」と断られてしまった。悪い空気が出てくるが、冷たい風が出てくるからだ。

よって、このうだるような猛暑の中、私はエアコンなしで過ごしている。
と言うことはどうなるかというと、家の中では汗だくで過ごしているので、必然と汗を拭うタオルを消費することになる。
と言うことは、その分洗濯をしなければいけないということで、洗濯をしまくっているのである。

去年も同じような感じで、エアコンをつけていない歴は数年に渡るので、昨年洗濯機が故障したのも、この夏場の過度に洗濯をしまくるということが影響しているのではないかと考えたりする。

以前買ってきたタオルが大活躍でこれがなければどうなっていたかと思うこと仕切りであるが、今も私は洗濯をしまくっている。
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セバダとマクドナルドコーヒー

2018-08-01 23:31:59 | 最近の出来事
こんな記事を書いて時間を無駄にしてはいけないのだが、しかし書かずにはおられない。

まずは、KIRINから発売された、ペットボトル飲料の「CEBADA(セバダ)」である。

KIRINは自らの独自路線を行く飲料シリーズとして「世界のキッチンから」シリーズを持っていて、私は新発売となる新しい商品をいつも期待を込めて待っている。
それは今までにない風味と、新しい感動、そしてキリン自体の新しい場所を目指そうとするチャレンジスピリットがあり、飲む度にそれらを感じ、そしてそれらが渾然一体となり私の胸を打つからだ。

今まであったシリーズは、惜しいことに全種類飲んでいないのだが、私が飲んだものは半分程度、けっこうひねくれていたのである。
こんなんで本当に売れるのか? と言うギリギリを攻めたラインだ。

ディアボロ・ジンジャーは、最初生姜がきつくて飲めなかった。が、数年経ってまた飲みたくなる不思議。
柑橘ジャスミンは、やっぱりこれ売れないだろうと言うラインであろうが、私は好きだった。
フラワースパークリングはやっぱりこれも売れないだろう味と香りだったが、私は好きだった。

そんななか、やっとメジャーヒットを打ったのがソルティ・ライチである。これは本当にまごうことなき王者の風格だ。

やっぱりここは売れようが売れなかろうが、私の味覚にあっていたのである。
そして売れてないということは世間ではこれが美味しいとはみなされないのであろう。
キリンが気の毒というよりは、私は世間が気の毒だ。この美味しさを分からない貧弱の舌を持って何が楽しいのだろうか? 

さてそんなこんなで、この「世界のキッチンから」シリーズでは新しい新商品が発売された。
その名も「CEBADA(セバダ)」。
なんでもコーヒーっぽいがコーヒーではない、麦をローストした感じの飲み物だという。
これは楽しみだ。

かつてのディアボロ・ジンジャーは、クセというものを突き抜けて、飲む人さえ突き放した極悪っぷりであったが、しかしそのツンデレ具合がまた人を引寄させる。
柑橘ジャスミンとは、その移植の組み合わせが、我々を清涼の南国にいざなわせる・・・

そんな溢れ出てきて止まらない味の感想がおそらくCEBADAにも出てくるだろう。
そういう期待をしていた。

味と言うのは文章に例えるだけではない。匂いもあるし、あるいはそこに結び付けられる音楽や情景すらもあるだろう。
例えばサイダーはエロクトロポップであるが、これにアルコールが加わると、ちょっときつめのテクノ、もっときつい酒だとドラムンベースなどなど。
ミルクティーはボサノバだが、サルサソースのパンなどが出るとサンバになる。そしてそのシーンにあう情景が次から次へと出てくるだろう。そんな表現もできるし、それに納得してもらえるかと思う。
飲み物で音楽が流れ、情景が溢るるのである。

さて、CEBADAはどんな味で、どんな音楽を、どんな情景を出してくれるのか・・・

期待に満ちながらそれを飲んでみた。


・・・うん、・・・うまい。うまいが・・・うん・・・

いや、マズいわけではない。いや、私が期待していたのは、音楽で言うなら幻想即興曲のような滑らかで妖艶で正確でそれでいてイデアを刳り込んだ情景だったのだが、そうではなく、ジムノペディのような「家具の音楽」のような、そう、ヨーロピアンスタイルの家具があって、そこにあって上品でいて、邪魔にならない・・・そんな感じで、胸から溢れ出てくるような感動というのはここにはなかったのである。

うん、これは成功例だ。成功例に違いない。しかしこれは「家具の音楽」すぎる。。。邪魔にならないし、上品だが、しかし描くべき尖った要素がない。。。


私は少しだけ落胆した。
いや、確かに飲み始めの麦のローストの香りと、それでいてきつくない味と言うのは全く問題ない。むしろこの存在すら危うい微妙さがこの飲料の正解とも言える。。。だが・・・存在が消えてしまいそうなくらい儚いものを掴み損ねて、私はどうすることもできない感じであったのである。


* * * 第二章 マクドナルドコーヒーの再来 * * * 


私は以前、マクドナルドのコーヒーはクソマズ&ゲロマズと酷評したが、別にマクドナルドを恨んでいるわけではない。
他意などなく、普通にマクドナルドのコーヒーがまずいのである。

日本マクドナルドの経営がカナダ人のサラ・カサノバが着任して以来、かの社のスタイルが改善されていると言う。
コーヒーもその一つで、ネットでは「マクドナルドのコーヒーが改善した! 」ともっぱらの評判なのだ。

どれどれと先日マクドナルドに立ち寄ったので、そこでコーヒーを頼んで見ると・・・


マッズ! クソマッズ! 

どうなってんだよ! 変わってないよ! 
飲むと分かるが、普通に豆をローストしすぎ! こんなん体に悪いに決まってますやん! 

飲み物で音楽が流れ、情景が溢るるとか書いたが、今採石場が見えたよ! 

採石場をダンプとユンボが騒音立てながらドガドガ走ってったよ! 
音楽じゃないんだよ。騒音だよ騒音! 

おーい! 婆ちゃーん!! カサノ婆ちゃーん!!! 
おまはん、どうなっとんのじゃこれ!!!! 

婆ちゃんはこれ飲んでうまいとか思うんか。
カナダ人はこれ飲んでうまいとか思うんか。




しかし世の中、役に立たないものと言うものはない。

このクソマズコーヒーグランプリの王者を維持するマクドナルドの存在のおかげで、
いかにCEBADAが優秀なのかが改めて分かった。

しかもノンカフェインで風味もよく、過度な主張もしない。ガブガブ飲めるという点で、実に優秀な飲み物である。

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不思議な人達

2018-07-28 07:18:25 | 最近の出来事
どうにも不思議な人たちがいる。

1.
普通は職場で集まる人たちで話すと、「へー、○○さんはどこそこに住んでいるんですね」と言う話が出て、「じゃあ利便性はいいですね」だとか「電車で座れますね」だとか言う他愛のない話をしてそこで終わる。
ほとんど住んでいるところなどは、互いにかぶらないのが普通であって、二駅先に住んでいることがわかれば「ご近所さんですね」と言う具合だ。

電車で同じ車両に乗れば互いにびっくりするし、同じスーパーを利用することなどないだろう。


さて、そんな中、職場で知り合ったKさんという人がいる。
このKさんは不思議な人で、特許の事務所やらなんやらを経験し、一時は知財管理の3セクの取締役までやっていたそうだ。
このKさんは仕事が出来、人当たりもよく、周囲の信任も大変厚い。

このKさんと私は、そもそも住んでいるところが違うところで、路線も違えば駅もかなり遠く、そんなに住んでいるところに関連はなかった。

が、その後、利用している電車とその時間帯が一緒なので、電車の中で鉢合わせることが出てきた。
電車に乗り、つり革を掴んで立っていたら、その隣にKさんがいた、と言う感じである。
互いに「あれっ、あっ、どうも」みたいな感じだった。
まあたまたまだったかな、と思い、次の日も通勤するとそこにいる。その次の日もいる。その次の日もいる。どうなっているんだ。
と毎朝通勤路が同じで一緒に職場に行くようになった。
この時点で何か妙にぱったり会うな、と言う感覚があったように思う。

が、このKさんが今いるところを転居して、新しい場所へ引っ越すと言う。
「へーどこですか」と聞くと、その場所は何と私の家の近所であった。
ストーカーか! と思いきや、たまたまの偶然だったらしい。
交通の便なども考えてあそこにしたのだと。

なるほどーとは思いつつも、ここまで偶然が重なるのも珍しい。
これはKさんも私も互いにネタにしているのだが、「どうして近所に住むんですかっ! 」とおかしいくらいの距離の近さと、それにまつわるエピソードが酒の席で話される。

別に私の方は迷惑でもなく、人当たりの良いKさんも「なんでですかねー」と言う。
なんだかんだで毎朝一緒に通勤して、その間に何のこともない話を延々としているのが普通の光景になった。
でもまあ、これ以上は距離も近くならないか、それが人間社会でしょと思っていた。

と思っていた矢先、更に妙なことが起きる。

先日、私が通勤中、たまたまKさんが自宅玄関から出てくるのを見た。
職場が同じで近所が近いとは言え、他人の出勤を玄関から見ることなんてあるかと思うのだが、実際にそういう事態に出くわした。

この一件で妙に距離感が近くなっているような、奇妙な感覚に囚われた。
尚、念の為言っておくと、私がKさんを追っているわけではない。むしろ私の感覚からすれば、私がKさんに追われているような感じだ。


でもまあ、さすがにこれ以上は近くはならんだろう、と思っていたのであるが、ついぞ油断した。
昨日、スーパーで食材の買い出しをしていると、そのKさんが奥さん・子供連れの状態で、私とぱったり出くわしたのである。
私はその場でKさんに「まさかスーパーにまで・・・っ! 」と言った。

奥さんとお子さんと挨拶をし、その場はそこで分かれたのであるが、何やら妙だが、しかし嫌な感じはしない。
一種の警戒感はいだきつつも、嫌な感じはしない。

そのKさんは、遠回しに私に会社から離れることを勧めてくる。うーん、この人は本当どういう人なんだ? 

そしてこの調子だと、将来的には、私の家に家族ごと来そうな感じもする。


まあこういうめぐり合わせもあるのだなあ、と思っている。
私は運命とか幽霊とか信じないのだが、昔の伝統的な仏教観からすれば、私の父方の祖母は人を集め、人と人をくっつけ合わせるのが得意な人だった。母方の祖母は、人付き合いはあまりなかったが、私立学園の学長(女性)と知り合いでその方との縁があった。
父は粗暴で粗野だったが、実直誠実な人間で、人付き合いが少なかったが、それがゆえにその人間関係は軽薄なものではなかった。叔父は銀行員で、人付き合いが上手く、色々な人間とのコネクションを構築するのが得意だった。
この人たちは鬼籍に入ったわけだけれども、そういう私の身の回りの人たちが自分の得意なところをつなぎあわせて、そういう運命を私に授けているのかなあ、と思ったりする。


このKさんとの不思議なめぐり合わせの他、これとは別に不思議な人もいる。
ビンゴ大会を開くと必ず一等が当たるMさんだ。

私がこのMさんの一等当選に二度ほど干渉したことがある。

あまりにもMさんがビンゴで一等を当てまくるので、他の人が不憫で可愛そうな状況だった。
2017年1月の新年会で私が新年会幹事をつとめたので、一等から四等までほぼ同じレベルの商品を用意し、一等はMさんが持っていっても、他の人がきちんと良い商品が当てられるよう、できるだけ等価分配になるように景品を用意した。
Mさんは(予定通り)一等を持っていったが、他の人たちはそれぞれ同じような景品を貰っていった。

二回目は2018年3月の部の年度末の会合で、これまたビンゴがやっていたのだが、その時の司会となる人たちが二人ほど欠席していたので、急遽私がビンゴの司会をすることになった。
私が「Mさんに一等を持ってかれないように、みんな頑張りましょうー!! 」と言って、Mさんに一等を当てないことを目論見、視界を進めていった。
その時はMさんは珍しく一等を逃した。
が、その後がちょっと妙なことが起こった。

電池を切っているはずのマイクとスピーカーから、パチッだのパンッだのパスッだのピシッだのと音が聞こえてくる。
みんな「ん? おかしいな? 」と言って計器をいじるも改善しない。結局その音は放置するに至ったのだが、あれはひょっとして、Mさんの守護霊か何かが、運命を差配できなかったことに対して怒っている音だったのかな、と今更ながらに思っている。


私がそこで思ったのは、Mさんには一等が当たるという絶対的な運命の潮流があるように思われたが、それは干渉によって運命の超留意を削り取ることができ、若干でも変更できる、と言うことである。
そうした予感や直感を受けたことである。

ベルセルクにおけるガッツとグリフィスのように、マルドゥック・スクランブルでバロットとウフコックがアシュレイに挑んだように。ドリフターズで信長がジルドレに「万象は必ず滅びる!! 殺せる!!」と言ってゴリ押しで倒したように。鋼の錬金術師で、エドがホムンクルスに挑んだように。

絶対的な運命の潮流とは、量的なゴリ押しで変更することができる。
それが残念であろうとも、必然であろうとも、正義であろうとも、不正義であろうとも。

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